第110話 蛙と魔王―長き前振り―
謁見の間の内部は広い。
多くの者と同時に謁見するため。
王の広大さを知らしめるため。
儀礼のため。
仮に敵の襲撃を受けたとしても距離を稼げるため。
その他さまざまな政治的事情と兵法としての優位があり、この世界での謁見の間は広大。
だから結界さえ張れば、決闘とて可能なスペースになる。
決闘の申し手を受けた私は、やはり慇懃に礼をし――ずずずずずずぅ。
亜空間に手を伸ばし、肉を割るような軋む音をわざと立て装備を召喚。
先端で禍々しく鎮座する髑髏が特徴的な杖。
邪杖ビィルゼブブ。
黄昏の女神バアルゼブブから賜った私の得意武器。
私は魔王としてのスイッチを入れ。
母譲りの白雪のような銀髪を輝かせ、煌々と照る赤い瞳の下――無限の魔力を孕んだ声を漏らす。
『一応確認しておきますが、まさかこの私に勝てると本気で思っているわけではありませんよね?』
「勝てるとは思っていないさ。ワタクシもそこまで愚かではない」
『おや、ではなぜ決闘など』
私の赤い魔力で揺れる空間。
魔力の光で輝く黒髪を揺らし、ティアナ姫殿下は挑発するように斜に構え。
「――実在が確認されている唯一の魔王陛下が、まさかハンデもつけずに戦うなどと、卑劣な事を言うことはないのであろう?」
それは騎士道精神による問いかけだろう。
圧倒的な実力差。
勝ちが約束されているほどの上位の者が下位の者と決闘する時には、条件を付けるなどのハンデをつけることが一般的。
だが――。
『いえ? 言いますよ?』
しれっと言い切ったからだろう。
私にだけ聞こえる空からの声はおそらく、女神アシュトレトの爆笑だろうが。
それは気にせず。
「なっ、……プライドはないのか!?」
『おや、なぜそう思われたのですか? 王としての矜持はありますよ? なにしろこれでも百年は国のために動いておりますからね、それなりには責任意識もあります』
気丈な声が謁見の間に響く。
「矜持があるのならばそのような卑劣な――っ!」
『――やはりあなたも何かを勘違いなさっている』
私の指摘は相手の言葉に割り込む形で挿入されていた。
それが王の話術スキルであると気付いているのは、魔術王と状況を見守るルイン王子か。
『王族とは民の奴隷、社会契約論とでもいいましょうか――王を王たらしめるのは平和や安定を維持する力と姿勢。心穏やかな暮らしを民に提供することこそが、この世界での王の役目。プライドを優先し、少しでも負ける機会を増やすなど……愚策。私は民のためにも負けるわけにはいかないのです。何故、私があなたのルールで戦わなければならないのでしょうか』
「見損なったぞ、魔王!」
今更、見損なうも何もないと思うが……。
「きさまは、アントロワイズ卿、卿とは騎士が名乗ることができる誉ある名。つまり騎士の家系だと伝承にあったではないか! 騎士としての誇りを捨てると言うのか!」
『騎士ならば相手の要求を呑めと?』
「そうだ! それが卿の家名を持つ者の義務であろう! 義務から逃げるな!」
かなり無理のある論法だと思うが……。
騎士団の反応は是と非の半々と言ったところか。
『どうやら私とあなたとでは騎士に対する考え方が違うようですね。騎士とは他者を守る者。弱きを助け、誠実に生きる者。騎士道などという曖昧なマナーや暗黙のルールに従い我を通し、守るべきものを守れなくなるのなら――それは本末転倒。この私に、自らが背負う民の重みを知らぬ愚者になれと?』
「いや――ここで決闘から逃げる者こそが愚者。騎士以前に王として、恥ずべき行為であろう」
ティアナ姫殿下はこの主張が通ると思っているのだろう。
それはそれは見事なドヤ顔である。
まあ本当の意味で井の中の蛙なのだろうが。
魔術王もルイン王子もここまで脳筋だとは思っていなかったのだろう。
どうしたものかと緊張している。
王としても親としても、今すぐにでもその口を閉ざしたいのだろうが……。
まあこれもティアナ姫の打算。
なるべく死者を出さないという私の方針を聞いていたので、ここまで強気に暴走をしている可能性もあるか。
温厚で穏便な私だから問題にはなっていないが、論外の交渉である。
私は言う。
『ティアナ姫殿下。今のあなたは残念ながら実力不足、王の器ではありません』
「当たり前だ、王は父たる魔術王ただ一人!」
『ファザコンをここまで拗らせれば問題ですね。分かりました、あなたのルールで決闘をしましょう。ただし、こちらには一切のメリットがないことです。その穴を埋めるために、あなたには何かを賭けて貰いますよ』
「望むところだ――」
姫はふふんと勝ち誇ったままである。
彼女が考えていることはおそらく、百年前の武術大会の逆。
あの時は私が攻撃魔術を使えないとされていたからこそ、対戦相手は魔術の優位性を活かそうとしていたが――。
今度の彼女は、私が魔術師だからこそ、接近戦ならばどうとでもなると思い込んでいるのだろう。
魔術国家インティアルは名の通り魔術を得意とする国だが、姫が得意とするのは魔術と武術。
私が魔術を詠唱する前に、剣術で押し切るつもりなのだと想像がつく。
案の定、彼女の口が予想通りに語りだす。
「我が国を蝕む魔王レイドよ、貴公には試合開始から三十秒間、魔術の詠唱を禁止させて貰う。当然、スキルの使用も儀式アイテムの使用も、魔道具の使用も禁じさせてもらう。なぜスキルも禁じるのかは、理解はできるな?」
『――スキルも魔術も結局のところは、魔力をどう使うかの差でしかない。結局は同じモノ。自らの内で魔術式を展開させ、世界の法則を改竄した力を外に放つのがスキル。詠唱をもって直接的に法則を捻じ曲げ、望む形に世界法則を改竄する魔術式を展開させるのが魔術とされていますからね』
実は、そのような厳密な区分も本来は不要。
本当の意味で呼び名の差でしかなく、魔術とスキルは結局同じなのだ。
百年の間に私の研究は進んでいる。
全ての力の根源にあるのは、例の『あの方』。
女神たちが恩人と仰ぐ存在へと繋がっている。
魔力の源は心だが、心が魔力となる現象を発生させている魔術式の核――世界の法則を書き換えられる理由や原因こそが『あの方、あるいはあの方の力』なのだと既に私は結論付けていた。
女神ダゴンもそれを聞いた時、まさか……と考えたそうだが……最終的には納得をしたようだった。
その辺りをどう説明しても、女神以外の存在には通じないだろう。
だから私は一般的な知識において、最上位の見解を示したのだが。
「ほう、さすがは魔王だ。よく理解をしているな」
謎の上から目線である。
「それと楽器の使用も禁止させて貰おうか」
『楽器を?』
「百年前のフレークシルバー王国の武術大会にて、貴公は相手を足止めし、絶対不可避なる即死効果の戯曲を奏で相手を降参に追い込んだと聞いている。それはフェアではないだろう?」
『よくご存じで――』
「貴公を捕らえるとなったときに、様々な調査をしたまでだ。強敵だからこそ相手を調べつくす、それが一流のやり方だ。よもや、今更条件を呑めないなどとは言わぬな?」
誰かに入れ知恵されている空気を感じる。
これは彼女の背後にいる何者か……私も知らぬ魔王にうまく操られている可能性も高いか。
まあその性根は彼女本人のものだろうが。
しかし百年前の戦いを知っているとなると……。
私が当時健在だった魔術王に目線を送ると、王は頭を振って否定するのみ。
昔話として戦いを語っていたという可能性を考えたが、違っていたか。
ならば、百年前のあの戦いを見ていて生きている可能性のある者……。
私は姫殿下ティアナをもう一度、下から上へ向かい観察する。
女神の加護をつけている様子はない。
……。
『三十秒の魔術やスキルの禁止。決闘の条件は受け入れましょう。ですが、こちらも何か見返りが欲しいのです。聞きづらい事をひとつお聞きしても?』
姫ははっと自らの胸元を隠し。
外道を見る目で私を睨んでいた。
「……よかろう。何を聞きたいのだ、ゲスめ」
それはさながら暴漢を侮蔑する騎士姫のソレ。
どうやら、センシティブなことを聞かれると勘違いしているようである。
女神ダゴンが、若干イラっとしているようで空が荒れてきているが。
『生憎と、たかが二十年程度しか生きていない子供の体に興味などありませんよ』
「な! 子供だと!?」
『忌憚のない意見を述べさせていただきますが、あなたは言動も考え方も子供でしょう?』
「侮辱はそこまでにして貰おう」
『私が聞きたいのは情報源。あなたがその情報をどこで入手したかです。まあ……なんとなくは見当がついてはいるのです』
「戯言を――ワタクシは情報を漏らしてなどいない。どこからも漏れるはずがない」
勝ち誇っている姫のドヤ顔に、私は苦笑し。
『おそらく、旅の吟遊詩人なのでは?』
「な!? なぜそれを!」
ようするに、夜の女神の駒。
クリームヘイト王国やフレークシルバー王国に顔を出した魔王の一人だろう。
夜の女神に気に入られた私を敵対視していたようだが。
しかし、なんとなく彼の行動原理も読めてきた。
今回もそうだが、吟遊詩人姿の魔王は私の行く先に先回りしている。
あるいは……。
……。
もう一つの可能性を考えながらも、私は露骨に呆れた様子を見せ。
『やはり、あの男ですか。それよりも姫様、あなたは処世術を学ぶべきです。正解を突かれたからと顔に出すようならば、王にはなれません。なにやら本性を隠している弟殿下を見習い、もう少し外面を作るべきでしょうね』
「無能のルインをだと?」
『――まあ、いいですよ。それでは始めましょうか』
言って私は、結界を展開。
姫と私。
外からは見えるが、中に入れるのは二人だけの決闘空間を生成して見せる。
『あなたが勝ったら、あなたの望みを何でも一つ叶えて差し上げます。あくまでも私が可能な範囲内であればですがね』
姫は魔導書を装備。
隠しているつもりらしいが……その裏で。
急襲用の不可視の剣を隠し持ちながら――宣言。
「……こちらが勝ったら、貴公が買収した我が国の権利、その全てを父上に返還せよ」
『おや、無欲ですね。全ての権利を王を通さず、あなたにお渡ししても構いませんよ?』
「いや、父上にだ――我が父以上の王などいない!」
本当に、父を敬愛しているのだろう。
その心だけは……本当に無垢。
純粋であるからこそ、たちが悪い。
父のために動く行動は全て肯定されるべき、その行いも全てが正しいと信じ切っているのだ。
……。
『いいでしょう。私が勝ったら最初の件で家族を人質にした子供たちに、心からの謝罪をしてもらいます』
「その程度の事でいいのか?」
『その程度と言えてしまうから、あなたは王にはなれないのですよ』
存外に――冷めた声が飛び出ていた。
魔術王もどうやら私と同意見のようで。
娘の無謀を止める気は失ってしまったようだ。
王の前、互いに魔導契約書にサインし――。
そして決闘は始まる。
合図が鳴らされた。
その刹那。
戦いは一秒も経たずに終わっていた。