第10話 幕間―女神の知恵―
話はあれよあれよと進んでいた。
ギルドの皆も、ギルド酒場の皆も私が貴公子様の目に留まり、学業の真似事ができると知り大喜び。
昨晩も私を口実にして、朝までどんちゃん騒ぎを起こしていた。
結局、私の就学祝いだというのに、片付けに私も参加することになり。
時刻は既に明け方を過ぎ、昼前に。
冒険者ギルドの宿舎への住み込みはそのまま。
私は祝日や休日にギルドで今まで通り過ごし、平時は学び舎へと赴く。
既にお貴族様の学生服も届いている。
実際、ギルドから与えられている私室では、開封の儀と称して梱包を解き。
がさがさごそごそ。
勝手にベッドを占有している邪悪な女、大蛇を纏う痴女の如き裸婦の女神が、キラキラキラ。
『ほう! これがあの金髪が用意したおぬしの制服か! あの貴公子とやら、凡庸のくせに服の趣味だけは良いではないか!』
唯一、まともに会話をする気にもなる、三女神の中では比較的マシな存在。
昼の女神アシュトレトである。
「勝手に覗かないでください、それにデザインしたのは殿下ではありませんよ」
『そうなのか? ふむ、人間の文化というのはどこの世界でもよく分からぬな。だが! よいよい! 学生服とやらの趣味が良いのなら、それで良し!』
言って女神は私を抱き寄せ、髪をわしゃわしゃ。
実際、この学生服はかなり高価な魔道具。
【サイズ補正】の祝福が込められている。
身長が伸びれば服が自動的に感知し、身長に合わせたサイズになってくれるというが――どこまで対応できるのかは、私には判断できない。
欠点は体格別にカテゴリー分けされ、同じ学生服であっても別の装備になっていることか。
その注意事項を守らぬ生徒が毎年何人か出て、クレームをだしてくるのだと愚痴を漏らしていたのは、これを届けてくれた王宮お抱えの裁縫職人。
ようするに痩せすぎたり太りすぎたりした場合の、自動サイズ変更は行ってくれないとのことである。
まるで獲物をからかう蛇が食い物で遊ぶような瞳で。
女神が私をじっと見ている。
「袖を通すのは入学の時なので、今は着ませんよ」
『なぜじゃ、サイズが合わない場合に困るじゃろう』
「あなたは……おそらくは裁縫職人を困らせるタイプでしょうね」
『褒めておるのか!』
「説明をまったくお聞きにならないという意味ですよ」
昼の女神アシュトレトはいつでも前向き。
『つまり! おおらかという事であるな! 神とは懐の広さを求められる時もある、まったく、そうやってすぐさまに妾を褒めるのだから。おぬしぃ、妾に惚れておるな?』
「好きか嫌いかと問われれば、憎悪をしていると答えるでしょうね」
『愛憎というやつであるな、おぬしの世界に居た時にドラマとやらで見たぞ!』
付き合っていられないと、私は就学に際しての注意事項が記載された書類に目を通す。
私が説明書を最初から最後まで目を通す方ならば、この女神はその逆だろう。
『そう呆れた顔をするな。だいたいなぜ学院などという場所に通いたいのだ? 学問ならばほれ、この妾がいるだろうに!』
「胸に手を当てお考え下さい」
女神は自分の豊潤な谷間を眺め。
『魅力的じゃな?』
「わざとじゃないと知っているだけに……呆れも増します。別にあなたを蔑ろにしているわけでも、信頼していないわけでもないのです。あなたなら、私を裏切らないという事も……アシュトレト」
『おう、レイドよ! 分かってくれておるのじゃな』
抱き着いて来ようとする女神を回避。
女神がシーツの中にズブっと間抜けに突っ伏している。
「ただし――あなたの知識には偏りがあり過ぎるのも事実。私見も多い。現実と妄想と、思い込みも全て混ぜて教えようとする悪癖もある。なにより。神と人間とで価値観が違い過ぎるのは致命的です。あなたに悪意がないのは分かりますが、言葉を全て信用できるかと言われたら……。それは自分が一番お分かりになられているのでは?」
『ならば明け方や黄昏に聞けばよかろう』
「私が信用しているのは貴女だけ。申し訳ありませんが、他の二柱の女神には手を借りたくはない」
私は頼るように、依存するように女神の肩に顔を埋めていた。
女神アシュトレトは露骨に頬を崩し、にへぇ!
『分かっておるではないか! 愛い奴め!』
抱き返そうとしてくる女神を再度回避し。
「それで今日は何を教えて下さるのですか」
『うむ、ならば勇者について教えよう』
「どうせまともな答えをお持ちではないのでしょうが、まあ一応聞きますよ」
おそらく今回はハズレの授業だろう。
『なんじゃその言い方は、妾が嘘をついたことがあったか?』
「嘘はありませんが、事実とは異なる脚色が多々ありますからね。そこがあなたの個性でもあるのでしょうが、正しい知識を欲する私には少し困るのですよ」
女神はぷっくらとした唇に、細い指先を当て。
『まあたしかに、勇者と言っても多種雑多。この世界は多くの異世界の要素を組み合わせた、いわばミックスジュースのような世界。妾の知る勇者が、この世界の勇者に当てはまっているかどうかは分からぬな』
「待ってください、初耳なのですが?」
『なにがじゃ?』
「この世界の性質について、あなたはいまサラリと仰っていましたが?」
『おお! ミックスジュースか』
「詳しく知りたいのですが――」
私はそこで言葉を止める。
神託の制限を忘れてはいない。
『ならばこれは独り言じゃが、おぬし、AI画像というものを知っておるか?』
突拍子もない言葉が聞こえてきた。
「ええ、あらかじめ保存されていた画像や、データ、検索エンジンなどから拾い上げてきた芸術などを基盤として、アーカイヴを作成。そこに細かい命令プログラムを言語のように記入し、合成獣キメラのように一枚の絵を完成させる……まあ多少の理解の違いや研究の違いはあるでしょうが、概ねはあっている筈ですが。それがなにか」
『この世界はアレと同じなのじゃ。いろいろな世界を含め、ゲームやら小説やら漫画やら、実際の異世界やら。まあ色々なそれっぽい要素を抽出した情報を、全部贅沢にも混ぜ合わせてじゃな? 神がいて、ダンジョンが自動で生成され、冒険者ギルドや剣と魔法の世界観のある空間を作り上げたのだ』
この世界の作り方。
黎明の話となるのだろうと、私はふむと知識に刻み。
「なるほど、人々の名前に文化の混流……聖書圏内の宗教の存在を確認できないにもかかわらず、十二使徒ゆかりの名を持つ者がいたり。かと思えばインドやヒンドゥーといった地域の名を冠する者も確認できる。あなたの性格のようにカオスな文化が形成されているのは」
『うむ、様々な世界を混ぜ合わせた結果ということじゃな。ぶっちゃけ、面白そうだったから、作ってみたのじゃ!』
また、とんでもないことをさらりと言う。
「つまりはこの世界を作った神は」
『妾たち、ということであるな? ほれ、創造神ぞよ? 平伏しても構わぬのだが?』
妾たち、というのは三女神のことなのか。
それとも他の神も含めて、妾たちなのか。
当時の私には判断できていなかった。
おそらくはそれは一年に一度の神託に引っかかる。
この時既に、私は神託を使っていたのでしばらくは使えない状態にあった。
「この大陸の主神とされるマルキシコスのことは」
『おそらくはミックスジュース現象によって生成された現地特産の神じゃろうな。妾はそのような神を知らん。おそらくは明け方も黄昏も同じであろう』
「仮に、貴女と戦いになった場合は」
女神は言う。
『滅ぼすこととて造作もない』
その言葉に、嘘や驕りの片鱗はみられない。
事実として、おそらくそうなのだろう。
女神は威厳と威光を纏っていたが、すぐにそれはいつものアレに変わる。
『さて! 明日が楽しみじゃな! 良い男か良い女がいたら、おぬしの眷属にするがいい! 妾はオスメスどちらでも愛でるでな!』
「入学は明日ではないと説明した……といいたいのですが、どうせ、聞いていらっしゃらなかったのでしょうね」
『うむ! 妾、おおらかじゃな?』
陽気で無邪気で。
けれど残酷で。
女神とは恐ろしくも美しい、バケモノ。
けれど私はその女神さえも利用しなければ、生きられない。
この六年。
生きる理由を考えた。
とりあえずは私を拾ってくれたあの少女、貴族令嬢ポーラの無念さえ抱けぬままに消されてしまった、その無念は拭ってやりたい。
それが今の私の目標だ。
だからこそ、正しい知識が欲しい。
誰が何をして、あの日、ああなったのか。
私はこの国の奥、獅子身中の虫となろう。
存外に難しい話ではない。
女神はいまだに。
いやむしろ、前よりもっと。
私に執着しているのだから。