第108話 商売の香り
”魔術国家インティアル、エルフ王に買収される!”。
各国を揺るがすニュースは当然、冒険者ギルドや商業ギルドにも広がっていて――。
情報によると彼等は今、フレークシルバー王国にお問い合わせの嵐。
それなり以上の騒ぎとなっているが、まあ全てにおいて一切の不正行為はない。
こちらは全て、双方同意の上かつ正規手段での買い取りの一点張りで、解決。
魔王という事で私を警戒し、揚げ足取りが得意な他国の者達も口も手も出せずに焦っているだろうが――それは私には関係のないこと。
問い合わせの嵐は止まらず。
フレークシルバー王国の諜報担当となっている風の勇者、キリギリスのギルギルスは私を心配し、噂を消すかどうかを問い合わせてきたが……噂を止める必要はないと、連絡をくれたことへの感謝も返事も済んでいる。
風の勇者だけあり本気になれば噂を操作し、ほぼ全ての噂を止めることができるらしいので……なかなかどうして、敵には回したくない人材ではある。
ともあれ世界が揺れる状況の中。
孤児院を拠点としているままの私は、礼拝堂の奥を執務室代わりとして悪だくみ。
そんな私を訪ねてきたのは、緑髪の落ち着いた長寿エルフの女性だった。
シックだが気品を感じさせるドレスに身を包む彼女は、私の顔見知り。
貴婦人は礼儀正しい所作で、礼をしている。
まあ国を一つ乗っ取ったのだ。
言いたいことも多くあるだろうと、私は苦笑の息に言葉を乗せていた。
「まともな人材が飛んでくるとは思っていましたが、これは奇遇といっていいのでしょうか。まさかあなたとは」
「陛下……お戯れはほどほどにしてくださいと、いつもお願いしていたと思うのですが――」
古いが大事にされている髪飾りを装備した彼女は、信頼できる側近の一人。
豪商貴婦人ヴィルヘルムである。
もはや商業ギルド本部の最奥にまで入り込んでいる彼女だが、表向きは私との関係はドライ、あくまでも少し親しい程度の家臣の一人という扱いになっていた。
まあ実際はこうして密談する関係。
価値観や基準がズレている私のために、真摯に苦言を呈してくれる貴重な人材ともいえる。
そして今回もこうして飛んできた、というわけだろう。
「ほどほどにしましたよ。相手は私を魔王と知っていて仕掛けてきたのです、他の魔王ならば正直、この国は既に滅んでいたと思いますが、いかがです?」
「それはそうですが――」
「分かっています。そう困った顔をなさらないでください。これからはなるべく穏便に済ませる予定ですよ」
「――申し訳ないのですが、陛下の穏便は度が過ぎておいでですので、心配ですわ。陛下も女神様から穏便にするから安心せよといわれ、言葉通りに信じて安堵できますでしょうか?」
むろん、女神の言葉を額面通りには信じられない。
心の底から穏便にと思っていても、女神ならばなにをやらかすか……と懸念が浮かび続けるだろう。
さすがは女神と私を知る者からの、説得力のある忠告である。
実際、私も「それを言われると……」と、思ったらしく。
出した飲み物の波紋に、僅かに目線と顔をそらす私の銀髪が反射している。
「――分かりました。エルフとしても人間と敵対したいわけではないですから。ちゃんと節度を守り、死者だけはでないように調整しますよ」
「死者だけはなのですね」
「逆に甘い対応をしすぎ、あまり舐められても面倒なことが起こりますからね。なにしろエルフは貴重な合成素材ともなる、希少種。私という後ろ盾と、エルフという種そのものが女神の修業により強化されているので、誘拐などは起きていません。ですが、あまり甘く見られると狙われる可能性もある。何事も加減が肝心だと私も感じております」
手加減が苦手なのは女神と同じ。
何度かやらかしたことがあるので心配なのだろう。
豪商貴婦人ヴィルヘルムは頬を押さえての、露骨な溜息である。
「そうしていただけると助かります。しかし……此度の件はいったいどうされたというのです? 国を買い取るなど……最近、明らかに治安の悪くなっていた魔術国家インティアルとはいえ、国の権利をすべて買い抑えるなど異常事態です。攻撃的買収と思われても仕方がないかと」
「本当にまあ、色々とありまして。女神バアルゼブブの機嫌を取っていたら、こうなってしまいました」
「こうなっていたではありませんよ。各国では既に魔王陛下に対する懸念が増大しているようです。要らぬ不穏を抱かせるのはいかがなものかと」
家庭教師の顔で苦言を漏らす豪商貴婦人は、腰の前で手を揃えて冷静に私をちらり。
「庇いきれなくなるという事態になったとき、それでもワタクシは陛下につきますが……なるべくならば商業ギルド幹部という正攻法で各所に手を出せる権力は、維持しておくべきだと具申いたします。ただでさえエルフは百年前までは評判が悪かったのです、もはや昔話だと思っている人間はともかく、ドワーフをはじめとした長命種にとってはつい最近の話。我々はまだ試されていると自覚をするべきです」
正論であるからこそ、私は反論のしようがない。
「いやはや困りましたね、ははははは」
「笑い事ではありませんよ、陛下。ただでさえ唯一の魔王を相手に、冒険者商業、どちらのギルドも目を光らせているのですから……」
「――これでも本当に善処したのですがね」
豪商貴婦人ヴィルヘルムもこの国の姫殿下、姉ティアナがあそこまでの愚行をしたとは知らないのだろう。
言葉のニュアンスを感じとった彼女は、眉を跳ねさせ。
「……なにかあったのですか?」
「終わる国家の暴走に巻き込まれた形となります。まあ本当にただ終わるだけの国ならば放置してもいいのですが、他の魔王も動いているようですので放置もできません。あなたにも協力していただきたい」
「――承知いたしました。それでは陛下……こちらも商業ギルド本部への言い訳や、情報操作のために動きますので……どういう状況だったのかを正確に、説明していただけますね?」
頷いた私は真面目な顔に戻り。
過去視の魔術を用い状況を説明した。
ヴィルヘルムはまじめな女性だ。
エルフという種全体が驕り昂っていた時代ですらまともだった、善良なエルフといってもいい。
そんな彼女ですらも今回の経緯を聞き、さすがに呆れを隠しきれなかったようだ。
それでも長耳の先と髪飾りのチェーンを垂らし。
「――まずは商業ギルドの不始末をお詫びさせていただきます」
「構いませんよ。しかし、ははは、出世すると大変ですね。自分の不始末ではないのに謝罪をしないといけない、心中お察しいたしますよ」
「だから、笑い事ではないのですが……陛下もお人が悪うございますね」
「おや、なにがでしょうか?」
状況は把握しているのだろう。
「お言葉ですが、一つ宜しいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「陛下……今回の商業ギルドの件は詐欺と分かっていてわざと引っ掛かりましたでしょう? もちろん、受付が犯罪に手を染めていた事自体が論外なのですが」
「女神バアルゼブブの留飲を下げるためにも取っ掛かりが欲しかった時に、詐欺に出くわしたもので――少々利用させていただきました」
まあそれが人が悪いという指摘なのだとは自覚している。
それでも、獄炎魔竜の短刀があそこまで高いとは想定外だった。
必要以上の大事になったのは事実。
平然と私は言う。
「相手に弱みや付け入る隙が無ければ敢えて作ればいい。交渉を有利に進めるための常套手段ですからね。まあ今回の件に関しては、そんなことをする必要もなく穴だらけでしたが。誓って私からは何もしかけていませんよ、相手が勝手にやらかしたので黙っていただけです」
「権力のある者が詐欺を理解していながらわざと被害に遭い、それ以上の賠償を請求する……ならず者のやり方ではありませんか」
ヤクザの手口というやつである。
「陛下は魔術国家インティアルをお潰しになられたいのですか?」
「私が手を下さなくとも、おそらく十年以内に勝手に滅びますよ」
「……そうですか、やはりそれほどにこの国は腐敗を……」
「何か心当たりが?」
長命種ゆえの情報量で、貴婦人は淡々と語りだす。
「魔術王がまだ政務に健在だった時代は良い話が多く聞こえていたのですが、ここ数年……とくに、病に倒れたとされてから、悪い話ばかりが聞こえてきていて……。今回の詐欺の件もそうですが。商業ギルド本部にも苦情が無視できない量になるほどに溜まっていて。こちらの支部とは縁を切るという話まで上がっていたのです」
「今に始まった事ではないという事ですか」
「今回の件で冒険者ギルド本部は、魔術国家インティアル支部を解体することになるかと」
「私はさほど怒っていませんので、別にそこまでする必要はありませんよ」
いまだに鬼陛下とも呼ばれる貴婦人はニコリと微笑み。
「いえ、せっかく……と言う言葉もございます。陛下のおかげで、この機会にギルド内の膿を出し切れるかもしれませんので、こちらは陛下のご威光を利用させていただくつもりでございます。インティアル王都の商業ギルド支部は一度解体し、再編成が望ましいかと」
「こちらは構いませんが――」
「ご懸念が?」
大柄乙女な代表は少し困るだろうが、まあ監督責任はある。
それにいざとなったらもう一度代表になれるよう、私が口添えをすれば通るとは思うが。
ともあれだ。
「仮にも魔術国家と呼ばれる国の商業ギルドです。潰すとまではいかなくとも、あまり大きく動くと商品に影響があるのでは? と」
「この地に魔術国家としての価値があったときならばそうでしたね」
「なるほど、もう貴女はこの国の商品を諦めているのですね」
「あくまでも商業としてですが。生産される魔道具は劣化し、値段だけが立派。正直、本部でも問題になっていたので、この話は渡りに船と言っても過言ではないのです」
実際、今のこの国ではそうだろう。
しかし、私が買い取ったからには少し変化が生まれるはず。
そんな私の顔を読んだのか。
「陛下? またなにかお企みで?」
「少し新しい風を流し込んでみようと思っておりまして、この国の商品にも、まだ価値があるかもしれません。解体の話はその結果を見てからにしていただければと」
「それは構いませんが……」
「実は面白い人材を見つけましてね、この回復薬を見ていただければご理解いただけるのではないでしょうか」
私が取り出したのは、ダブルス=ダグラスが生み出した回復薬。
純度の高い魔力の薬。
回復薬の頂点を名乗っても問題のないアイテム【エリクシール】。
「幻の秘薬エリクシールですわね」
「さすがによくご存じで、実はこれを作れる職人が見つかりましてね。材料を渡してみたら、この通りです。再現性も取れていますので、他国の王族向けの商品として出すことも現実的かと。今その職人に一生以上の恩を売って、囲っているところなのです」
「お言葉ですが、陛下ならばご自身で作れるのでは?」
「私一人が全ての技術を独占しても仕方ないでしょう。消えるつもりなどはありませんが、もしもの場合です――いつか私がいなくなる日が来たとして、全ての技術が途絶えてしまうとなったら問題です」
リスクの分散というやつである。
そして商品価値があるのなら、それを活かすのが商売人。
豪商貴婦人ヴィルヘルムは頷き、商人の顔で言う。
「必要なものがございましたら、ワタクシにお任せください。全て用意してみせましょう」
「話が早くて助かります」
彼女も彼女で伊達で鬼陛下と呼ばれているわけではない。
この国に価値があるのなら、動くことは躊躇わない。
この国が存続できるかは、正直、この国の者たち次第なのだが……。
ともあれ。
私と彼女が商談を進める、その裏。
国の買収騒ぎに、王宮も騒がしくなり始めていた。