第105話 そもそもの破綻
魔術国家インティアル城内にて進む会話。
かつて宮廷魔術師であり、なにやら訳あって追放された魔術師崩れのダブルス=ダグラス。
彼女はこの国の終わりを示唆する、ターバン装備のルイン王子殿下を眺め。
「詰みって、おいそんな簡単に」
「仕方ないだろうダブルス=ダグラス。エルフ王陛下は全て正規の手続き、正規の手段を徹底なされていた。姉上のやらかしも映像として残されているだろう。君たちも国内で起こった詐欺事件の被害は把握しているのでしょう?」
大柄乙女な代表と眼帯のダブルス=ダグラスは目線を合わせ。
「そりゃあまあな。なんつーか、たぶんすげえ額になってるぞ」
「はい。それらの被害額も国の借金となり、これからどんどん上がってくる。とても払える額ではない……けれど、冒険者ギルドに加盟しているほぼ全ての国は、不当な手段でエルフ王を投獄した僕らを、悪と認定する筈。実際、こちらが悪いのですからどうしようもありません」
「気づいたときには、もう遅かった……ってことかい。なにか、なにかっ、策はないのかよ」
前のめりになって思考加速をさせるべく、親指の爪を噛むダブルス=ダグラス。
マナーの悪い仕草だが、一点に精神を集中させ《知力》と《集中力》を上げる姿勢だと知っているのだろう。
集中状態の元宮廷魔術師に王子が向けたのは、もはや取り戻せないあの日を眺めるような遠い目だった。
王子の口から冷静な声が紡がれる。
「――父上が病に陥ったあの時、既に魔術国家インティアルは国家としての基盤を失っていた。それだけの話だよ、ダブルス=ダグラス」
「あたいが……あの時、陛下の病を治せていたら……こんなことには」
「君のせいじゃないし、誰のせいでもないさ。それに、父上はおそらく……いや、もう考えても仕方のないことか。全てはあの日……このインティアルの恩人であるはずの君を追い出したあの日に、終わっていたのさ」
私は人の心の機微に疎い。
魔王と化す前からおそらく、人としての感情が希薄だった。
けれど……道を探し深く考えるダブルス=ダグラス。その顔を――物悲しい優しさで眺める王子の瞳にあるのは、愛なのだと。
私は察してしまった。
空から私だけに声が落ちてくる。
『ほう? こやつ、この女に惚れているようじゃな』
『そのようですね――』
『いったい、かつてこの宮廷に何があったのか――僅かであるが興味が湧いた。レイドよ、我が夫よ』
アシュトレトの声の意図は察している。
『……過去視の魔術を使えば宜しいのでは?』
『それでは風情がなかろうて――』
『正直に言いますが、私はあまり彼等に興味はないのですが』
『であろうな――しかし、ダゴンも興味があるようじゃが?』
『そうですか……ダゴンが。分かりました、ならばタイミングを見て接触しましょう』
私はアシュトレトの意向を汲んだのだが。
なぜか、んな!? っと素っ頓狂な声が響く。
『これ、レイド! なにゆえダゴンが知りたがっているとなったら突如として前向きになる!?』
『日頃の行いという言葉をご存じですか?』
『差別じゃ! 女神差別じゃ!』
『はいはい、後で話を聞きますから――』
こんなやりとりが行われていることを知らず。
シリアスな空気の中で、ダブルス=ダグラスは強く結んでいた口から言葉を絞り出す。
「しかし、なんだってあのバカ女はエルフ王にケンカなんて売ったんだい」
「レイド陛下は回復魔術の達人でもある。その可能性にかけたんだろうね」
「ちょっと、どういうことよ? あたし、全然話に加われないんですけど?」
蚊帳の外の代表に、ルイン王子殿下は人当たりのいい笑みを返し。
「姉上……ティアナ殿下は父上の事を尊敬していますからね。どうしても助けたいという気持ちが先行してしまったのでしょう。そもそも父上の病は、この国で魔術を最も得意とする父自身にも治せなかった。そして父の一番弟子だったダブルス=ダグラスでも……残念ながらできなかった。だからこそ、人の身ではできないと諦めた。ならば次は常識の外にある者、理外の理に頼るしかない」
「なぁるほどねえ、それが大森林のエルフ王だった……と」
納得している代表に頷き、王子は冷静に整った唇を上下させる。
「だが、姉上は手段を間違えた。彼の王の逆鱗に触れてしまった。だから、僕らは終わるのです」
「いったい、なにしたってんだい? いや、そりゃ投獄して難癖をつけたってのは知ってるが」
「あくまでも結果的にだけどね、姉上は子供とその家族を人質にしたのさ」
ダブルス=ダグラスの眉間にしわが寄る。
「はぁ? エルフ王に子供がいるなんて話、聞いたことねえぞ」
「彼の子供ではなく、看守に魔術国家インティアルの子供を使ったのさ。エルフ王は子供に甘いって有名だったからね――脱獄を許せば子供たちの罪となる。だから、エルフ王は絶対に逃げない。子供の命を盾に引き留め、投獄をしている間に父上の病を治させようとした。僕は止めたのだけれどね、聞く耳を持っていないってのは君ならば分かるだろう? ダブルス=ダグラス」
呆れ顔の代表が目も唇も尖らせ。
「なぁるほどねぇ……。本来の計画なら魔術王の病さえ治せれば、後はどうとでもなる筈だった。だってあの人は本物の天才だし……けれど、本来なら払えるはずのない金額の違約金を払われてしまった時点で、計画は失敗。むしろ逆に詐欺の証拠を押さえられて、倍の金額を世界各国の王のお墨付きで請求されたってことかしら?」
「そうなります、レディ」
ルイン王子は代表に向かいロイヤルスマイル。
そしてそのままなぜか王子はダブルス=ダグラス――その眼帯ではない方の瞳をじっと眺め。
まるで交渉する商人の笑顔で語りだす。
「というわけです、陛下。この盤上の戦争はこちらの完敗。姉上は失態を取り戻そうともっと悪手を踏むことが見えています。子供をダシにはしたくないですが、このままでは魔術国家インティアルに住まう無辜なる人々まで不幸になるでしょう。どうか矛を収めては頂けないでしょうか?」
「は? あんた、あたいに何を」
「ダブルス=ダグラス。君の瞳に薄らとあなたのものではない魔力を感じる。たぶん、視界を相乗りされていますよ」
魔力同調が看破されている。
どうやら、やはり警戒しないといけないのはこの王子のようだ。
「――……な……っ、ここは干渉ができない部屋さ。ありえないだろう!?」
王子が淡々という。
「魔術という概念は、本来ならありえないことを実現させる現象……いわば世界の法則を捻じ曲げる力の総称。それがあなたの師でもある父上の持論だったはずだろう?」
「そりゃそうだが――」
まあこの辺りが潮時か。
私も別にこの国を亡ぼすつもりなどないのだ。
私はダブルス=ダグラスの瞳から魔力音声を放っていた。
『ルイン王子殿下、残念ながら私はその場所への転移を許されてはおりません。許可なき城内への不法侵入は重罪。私は一国の王ゆえ、慎重に動きたいと願っております』
動揺する二人とは違い、王子は冷静に応じていた。
「招待させていただきます。どうか姿を見せてくださいませんか、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー陛下」
「ご招待とあらば、失礼させていただきます」
言って私は彼等の前に転移。
やはり慇懃に礼をして見せる。
「マジかよ……あの透視遮断を無視して干渉するなんて」
「そもそも陛下は監獄から脱出する時に、魔術封じと魔力封じが組み込まれた場所にもかかわらず転移魔術で出ていかれた。文字通り、常識の外に在る方なのでしょう」
ダブルス=ダグラスに説明しながらも、ルイン王子殿下は私の前に跪き。
ターバンの先に巻かれた鈴を鳴らす。
まるで主従の誓いのように深々と頭を下げたのだ。
「此度の度重なる無礼、誠に申し訳ございませんでした。どうかこの首ひとつでご容赦願えないでしょうか」
「ああ、そういうのはいいですよ。私がこの国にさして興味がないことも、賢いあなたならば既にご存じなのでしょう?」
「……インティアルはつまらぬ国だと?」
「かつては良い街、良い国だったのかもしれませんが――正直な感想は、はい。申し訳ないのですが、反面教師とすべき国と思わざるを得ません」
「いやはやお恥ずかしい限りで――やはり偉大な指導者が倒れた国の末路とは、悲惨なのかもしれませんね」
立ち上がった王子は、ソファーに戻り。
「それで陛下は我が国をどうなさるおつもりなのでしょうか」
「どうもしませんよ。あなたがた人間種とは違い、こちらの寿命は永遠と言っていいほどに長い。魔術国家インティアルに課せられた借金の支払いを、ただただ待ち続ける事になるでしょうが」
「ただ額が額だけに、非常に困難。そもそも利息が膨らむだけで、払い終える日は永遠に来ない。ははははは、これは困りました。我が国は終わりですな」
笑うルイン王子殿下とは裏腹。
商業ギルドの代表が、ごくりと息を呑んでいた。
今の魔術国家インティアルが置かれた状況は、火の車。ありえない額の負債の利息を、永遠に搾り取られるということ。
ダブルス=ダグラスが敵意に似た視線を私に向けていた。
「属国扱いにしようっていうのかい」
「逆にお聞きしますが、この国を属国にするメリットなどありますか? 王女殿下の件は父君を助けたかった故の暴走と、とりあえず見なかったことにしてもです。中立であるはずの商業ギルド内で詐欺を働き、外に出てみれば間の抜けた旅人をカモにし、高額なアイテムを詐欺で巻き上げる。なにより恐ろしき魔王相手に子供を盾にするその性根。属国としたら他の国から笑われてしまいますよ」
事実であるから耳が痛いのだろう。
探るように前のめりになったルイン王子殿下は、ターバンの鈴を揺らし。
「もはやチェックメイト済み。けれど、周囲を見る目の無き者にはそれが理解できていない。勇猛という名の蛮勇の中で生きる姉上は、勝てないと理解もせずに武力による戦争で一発逆転を狙うでしょう。魔王陛下が治める国を相手に、初めて戦争をしかけた愚かな国と……我らインティアルは歴史に愚者の代名詞としてこの名を刻むことになるかもしれません」
「それはお気の毒に」
「けれど、陛下はそこまでは望んでおられないのでしょう?」
「まあ、本当に国を潰してしまったら大事になりますからね。冒険者ギルドの本部からも商業ギルド本部からも、こちらが危険視されてしまいますし……そもそもあの二つには、私に口を出せる人材もいますし……。この歳になって説教はあまり受けたくない」
今の両ギルドには、私の知人がかなりの上層部に入り込んでいるのだが。
それはともあれ。
王子は王族の矜持を維持したままに口を動かしていた。
「恥を承知した上でお願い申し上げます。できれば、腹を割って話をさせていただければ――と」
「分かりました。そうですね――ですがその前に残念なことをお知らせしなければなりません」
言葉をつなげる前に、私は商業ギルドの代表とダブルス=ダグラスに目をやっていた。
彼等に聞かせていいのか王子に問うたのだ。
目線だけの会話だったが、交渉術に長けた王子は意図を理解したのだろう。
「既に彼等も関係者。それに終わる国なのだとしたら情報が聞こえていたとしても問題にはなりませんよ」
「ならばお伝えしますが。おそらく魔術王の病は私でも治せませんよ」
王子は納得顔である。
既に王の状態を察していたのだろう。
だが、ダブルス=ダグラスはまともに顔色を変えていた。
「魔王の力でも無理だって!?」
「ええ――治せはしないでしょうね」
「だって、あんたは孤児院で本来なら治せない傷や病を治療して見せたんだろう!? あたいは噂だけしか知らない、けれど、あれはまさしく神の奇跡。どんな冒険者よりも高位聖職者よりも上位の癒し手だって……」
交渉テーブルに並ぶ銀のお盆に映る自分を見たのだろう。
焦燥し、ヒートアップしていた彼女は自らの顔色を眺め。
「悪い……いや、失礼しました」
「落ち着いておくれダブルス=ダグラス」
「殿下……、すまないね」
二人はやはり妙な空気感なので、私と代表はなんとも居心地が悪い。
ともあれだ。
「一応、延命する手段がないわけではありませんが。あまりお勧めしませんよ」
「それはいったい」
「アンデッド化による意識や自我の継続。他者の命を媒介に、要するに生贄を用いることによる生命吸収。或いは種族を変更することによる一時的な延命……」
一つ一つ指を折る私にダブルス=ダグラスは察したようだ。
「まさか……陛下の病は病じゃなく」
「ええ、寿命ですよ」
それは人間としての器の限界。
誰にでも訪れる、定められた死。
「既に魔術王は多くの延命手段を用い、寿命を延長している。おそらくはこの国を守るために、若い頃から無茶をしていたのでしょう。同じ手段の延命、寿命の延長は効果が薄い。それでも王は国のため、長くを生きる手段を選択し続けていたと予想されます」
「ダブルス=ダグラス……。幻の秘薬、回復アイテムの最高峰。エリクシールさえ作れる君の錬金術ですら治せなかったんだ、その時にはもう、僕には分かっていたんだ。父はもう、きっと、限界だったのだろうとね。認めたくはないが、偉大な王の終わりこそがこの国の終わり。僕らインティアルは走り切ったというわけさ」
代表もダブルス=ダグラスも言葉を失っている。
だが。
唇を噛んだ元宮廷魔術師は言う。
「それでも……っ。多くの手段を用いれば、まだ陛下の寿命は」
「それは止めておいた方がいいでしょう」
「てめえ! 陛下を見捨てろって言うのか!?」
叫ぶダブルス=ダグラスを咎めようと王子は動くが、私はそれを手で制し。
「おそらくですが――魔術王はもう疲れ切ったのでしょう。寿命の延長と言えば聞こえはいいですが、それは本来なら死人も同然な体を外部から無理やり動かしている、無茶に過ぎない。既に何十年と、相当な苦痛と痛みと共に国を治めていたのだと思いますよ」
「あ……」
「私は蘇生の魔術を百年かけて研究してきました。実際に、多くの治療の魔術が完成しました。けれど、実験に協力してくれた女性は何度も私に言いました。寿命を迎え死んだ者の蘇生だけはお勧めしないと。それは相当な苦痛を本人に与えると、ダブルス=ダグラスさんでしたか。あなたも、恩師に再び地獄のような苦痛を与えたいわけではないのでしょう?」
種族変更や寿命そのものを伸ばしたところで、魂がもはや限界。
そもそも既に無茶な延命をしすぎていた。
何も加工されていない魂を加工するのは容易いが、既に歪に補強され続けた魂を加工するのは対象者に大きな苦痛を与える。
魔術師ならばそれが理解できたのだろう。
だから――。
彼女は膝に落とした拳に、ポツリと雫をこぼしたのだ。