第101話 穏やかな朝、不穏な朝
王都の端の孤児院教会に滞在することが決まり。
既に一泊。
私とバアルゼブブは貸し与えられた部屋で、朝の陽ざしを浴びていた。
今回はバアルゼブブのガス抜きという事で、黄昏時でなくともしばらく同行することになったのだが……。
熱した鉄板の上――踊るようなベーコンの脂と玉子が混ざり弾ける香ばしいBGMの中。
揺れるカーテンの隙間。
明け方の穏やかな風と共に、清楚な淑女の声が響いていた。
『――おはようございます、旦那様』
「ダゴンですか、おはようございます」
既に起床していた私は手も火も止め、振り返る。
まだシーツに包まり眠るバアルゼブブに朝食を用意していたのだが……、ダゴンが顕現してきているのなら大事な用事があるのだろう。
昼の女神には悪いが、これが用があってもなくても襲来してくるアシュトレトならば、手を止めずに背中で話を聞いていたかもしれない。
『朝支度の最中に申し訳ありません。少し、お時間宜しいでしょうか?』
「構いませんよ」
『ありがとうございます、一つお耳に入れたい話がありまして――こうして朝の拝謁を賜りに参った次第でございますの』
言ってダゴンはフレークシルバー王国の王族の仕草を披露してみせていた。
ちなみに、アシュトレトとバアルゼブブは王族としてのマナーに関しては勉強しておらず、それぞれの女神流のやり方を貫いている。
この点でもダゴンは思慮深く、やはり私と思考が近いと分かる。
蘇生魔術の研究の際もやはり、ダゴンが一番の協力者だったのだが。
彼女は他の二柱とは違い、母親気質なのかもしれない。
『どうかなさいましたか?』
「気にしないでください、あなたの見事な作法に感心していただけです」
『まあ! それは、ふふふふふ。とても嬉しく思いますわ。けれど、バアルゼブブちゃんの邪魔をしては悪いので簡潔に。此度の件、どうやらいずれかの女神の駒。魔王が動いているように思えるのです』
私も投獄されたときに違和感を覚えていた。
「……確かに、あの王子と姫が私を投獄したタイミングはどうも不自然でしたし、事前に対応されていたというのは引っ掛かります。口を出した者がいるという事ですか」
『可能性は高いかと』
「しかし、投獄させることの意図が全く分かりませんね。ただの嫌がらせという可能性もありますが……魔王がそのような嫌がらせ目的で動くとは思えませんし」
思案する私に、ダゴンは自らの口元に曲げた指をあて。
くすり。
『あら旦那様、お忘れでしょうか』
「何の話です?」
『いま旦那様はバアルゼブブちゃんの溜飲を下げるために、あの姫殿下に嫌がらせをしている最中ではありませんか。魔王だからと言って嫌がらせをしないとは限りません。何事も柔軟に、可能性は捨てるべきではありませんと思うのですが、いかがでしょうか?』
指摘の通り、彼女はいつでも合理的である。
可能性を考慮しろ。
ゼロではないのならば気をつけろ、魔術の在る世界ならばゼロでない限りは無限の道がある、全てがありうる未来と繋がっているのだから。
それが彼女の教えだった。
「あなたには敵いませんね」
『出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありません』
どんな魔王が動いているか聞いたら楽になれるが、まあダゴンの事だ、正解を知っていても答える気はないだろう。駒同士のぶつかり合いに口を出すのも無粋、ということもあるが。
ダゴンもダゴンで状況を楽しむ、享楽的な部分が存在する。
聖職者の服の中では、逸話を歪められたせいで発生した、深淵よりも濃い名状しがたいナニカが棲んでいる。
「いえ、ご警告ありがとうございます」
聞かなかったことに満足した様子で、ダゴンは明け方の光に姿を溶けさせ。
『それがあたくしの務めでございます。それでは、アシュちゃんと共に空中庭園から眺めておりますので、なにかあればお呼びくださいませ』
一切の隙の無い――。
女神の微笑と共に、すぅぅぅぅ……。
言葉を残して消えていく。
が――。
退場をキャンセルして、素っ頓狂な声が響く。
『これ、ダゴン! 肝心なことを忘れておるぞ!』
『……アシュちゃん? いま、あたくしとってもイイ感じに、朝焼けと同化し去ろうとしたのだけれど……?』
『おぬしが伝言を忘れておるのが悪いのじゃ。妾は悪くない。のう、レイドよ』
肝心なことと言っているが。
どうせろくでもない事だろう。
思わず口の端がにやけてしまうが、私はぐっとこらえて様子を探るのみ。
朝焼けの中からグジュリとした触手だけを出し、苦笑と同時にダゴンが言う。
『旦那様。お忙しい中大変恐縮なのですが……アシュちゃんが三時のおやつまでに、魔術国家インティアルのタルトケーキを送ってきて欲しいとのことです。あたくしは敢えて告げなかったのですが、すみません』
『わ、妾ではなく午後三時の女神の提案じゃ! 妾だけのせいではないぞ!?』
仲が良いことはなにより。
全てを受け入れる顔で私は微笑していたのだと思う。
「それでは、あなたがた全員分の菓子を購入して送っておきます。茶葉などはどうしますか?」
『相も変わらず話が分かる男よ――王都で一番良い、高級な茶葉を所望するぞ』
「分かりました。味よりも値段を優先ですね、ダゴンもあまり遠慮せず――こちらは構いませんので、どうぞ願いがあれば言ってください」
『ほれみろ! あやつは、頼まれるのが好きなのじゃ!』
目に見ずとも浮かぶのはやはり、アシュトレトのドヤ顔。
私とダゴンは同時に溜息。
「アシュトレト、あなたはダゴンと逆で少し頼み過ぎですので自重してください。私になら構いませんが、キマイラタイラントを倒せる程度の訓練途中のエルフに、不死鳥の尾羽を取ってこいと頼んでいたり、海底火炎サンゴの首飾りが欲しいから海底に潜り素材を用意して欲しい、など……様々な無理難題を与えていると聞いていますよ?」
『レイドよ、そなたは過保護よのう。これも女神への奉仕、そして品行方正を目指すエルフの修業。あやつらには精神修行をさせねば、また腐る。百年前の驕り昂りを反省させるべく与えた、妾からの愛じゃ』
愛と称し、私利私欲を満たす試練を与える。
これはもはやアシュトレトの持ちネタと化していた。
当時、殊更に態度の悪かった貴族のエルフをロックオン。
百年間、延々とこうやって無理難題を押し付け続けているのである。
まあそのおかげで一部の傲慢過ぎたエルフたちも反省し、今やエルフといえば品行方正の代名詞とされる種族になっているのだが……。
「さすがに彼等ももう反省しています。ほどほどで頼みますよ」
『ほどほどじゃな、オケオケじゃ!』
声が遠く離れて消えていく中。
ダゴンが無理させすぎないように見張っておきますと。
聖母の如き優しい声を落として消えていく。
バアルゼブブが目をこすり。
ギギギギギギィィッィ。
虫の足音を無数に重ね合わせて体を伸ばし。
『い、いま。ア、アシュちゃんと、ダ、ダゴンちゃん、きてた?』
「スイーツと茶葉を求めているようでしたので、朝食を終えたら観光のついでに買いに行きましょう」
『デ、デートなんだね、えへへへへへ!』
「けれど、その前に――朝食にしましょう」
とりあえず、バアルゼブブもしばらくはおとなしくしているだろう。
既に余熱で固まったベーコンエッグを魔力ナイフで切ったパンに乗せ、彼女の前に。
バアルゼブブが朝食を作り出すより前に調理する、これが朝の目標だった。
彼女の名誉のために言及は避けるが……。
黄昏の女神様の料理は個性的なのである。
『ね、ねえレイド。こ、こどもたちが匂いにつられて、き、来てるみたいだよ?』
「教会と言えども、子供たちにまで肉食が禁じられているとは思えない。おそらくは、肉を買うお金がない……といったところですか」
『じゃ、じゃあ……ぼ、僕が、あ、あの子たちに、あ、朝ご飯を作ってあげようかな?』
良い伴侶アピールだね。
と、やる気を出しているバアルゼブブの肩に手を置き、私は言った。
「その……。私が用意するので、あなたは希望者に声をかけてくれませんか?」
『うん? い、いいけど、僕が作った方が、え、栄養、いっぱいだよ?』
確かに栄養も魔力も漲るのだが。
問題はその料理過程にある。
バアルゼブブが調理するとなぜか異界の肉塊芋虫や、蛾の胴体が混ざり……。
味も、効果も高いのだが……。
……。
「孤児たちは教会の羊たち。食事には宗教上の制約があるかもしれません。それを確認してからでないといけませんから」
なんとか説得には成功。
施設の聖職者たちにも家賃の代わりだから気にしないで欲しいと、食材提供。
調理の代金は断り。
バアルゼブブが帰ってくる前に超高速調理。
彼女が聖女に擬態した微笑みを携え、にこりと戻ってきた時には――温かい香り。
孤児たちの朝食にはパンとベーコンエッグと野菜スープが並んでいた。
◇◆◇◆
シスターから街のスイーツ有名店の話を聞き。
目的地は登録済み。
だがまずやってきたのは商業ギルド。
この国での路銀を補充する必要があったのだ。
バアルゼブブは人と接触することを嫌い、私の影の中に潜んでいる。
まあ、たまに顔だけを出しでデヘヘヘヘっと嗤うので、ある程度の強者ならば魔王の影の中で嗤う、もっとヤベエ何かがいると戦々恐々となるだろうが――。
ともあれ、私は商業ギルドの受付へ行き。
「よろしいでしょうか? 装備品の換金をお願いしたいのですが――」
声に反応したのはやる気のなさそうな女性の受付。
魔術師崩れ……と言った印象のある、片目を眼帯で覆った女性だった。
「よろしくないねえ、今は営業時間外。悪いがあと数分ほど待っておくれよ」
「数分ですか――」
「ああ、それがルールってもんだ。悪いが規則ってのは守るためにある、別にあたいが少しでもサボりたいから難癖をつけているってわけじゃないのさ」
私は魔力で動く壁掛け時計を確認。
「お言葉ですがあの時計、時間がズレていますよ?」
「ああん? うちの錬金術師が作った時計がズレてるだって!?」
窓を揺らすほどの大声にギルド職員が振り向いているが、彼女は気にせず。
「はははは! あんた良い目をしてるじゃねえか。その通り、あの時計はズレちまってるから本当はもう営業中。だけどここの無能どもは誰も指摘しねえから、このまんま。気付いたのはあんたが初めてだよ!」
「そうですか、でもなぜ放置を?」
「だって営業開始を遅らせりゃ、就業時間を減らせるじゃねえか」
「終業時間も変わらないのなら、結局同じでは?」
彼女はしばし考え。
眼帯にかぶさる髪をガシガシと掻きむしり。
にこりと営業スマイル。
「いらっしゃいませ、お客様。当商人ギルドになんの御用でしょうか?」
定型文での接客である。
「よく考えていなかったのですね?」
「いらっしゃいませ、お客様。当商人ギルドになんの御用でしょうか?」
なかなかどうして、愉快な性格の受付なのだろう。
そして彼女は、商業ギルドではなく商人ギルドという呼び名の派閥のようだが、この辺りは繊細な話題なので言及せず。
「換金をお願いしたいのです」
「んじゃ、そっちの受付カウンターで買い取り希望のアイテム、或いは装備を提出しな。即金が欲しいなら武器がお勧めだよ、今この国では武器が不足してるんだ。早く安く買い取って欲しいならだがね。逆にちゃんと丁寧に見て欲しいなら他所の国で売った方がいいかもな」
まあ、好きにしなよと眼帯の受付はペラペラと手を振って、カウンターを示していた。
仕事はまじめなようである。
私は促されたカウンターに向かうが、どうも客が少ない。
先ほどとは違う受付が言う。
「査定には時間がかかりますが、お時間、大丈夫でしょうか?」
「昼までに間に合うならば構いませんが、どうでしょうか?」
言いながら私は、手製の【獄炎魔竜の短刀】をカウンターに乗せる。
魔王でありエルフ王である私の作り出した武器である。
素材は活火山の最奥にしか生息しない魔竜の牙なので、それなり以上の値になるだろうが。
「はい、”ワイバーンの短刀”ですね。こちらでしたら――」
査定額は相場以下。
というよりも、論外。
どうやらこちらの店員はあまり有能ではないらしい。
獄炎魔竜の短刀を、ワイバーンの短刀と勘違いしている様子だ。
まあ、女神たちに献上する、タルトケーキと茶葉が購入できるだけの即金があればいい。
だが――受付のためにも一応、確認をしておくか。
目線に気付いた受付が言う。
「あの、なにか?」
「高価なモノだと聞いていたので、少し拍子抜けしてしまいまして」
「魔術師の方ですよね?」
「はい」
「よくあるんです、安価な武器を高値の武器だと偽って売りつける悪い商売が。きっと、騙されてしまったのですね」
受付の女は完ぺきな笑顔を張り付けているが。
これは虚偽だ。
なるほど、彼女は私が武器に疎いエルフだと踏んで、詐欺を働こうとしているようである。
旅の間抜けな亜人を騙す、よくある手でもある。
わざわざ外からやってきてくれる客を騙す行為は非道で卑劣、もちろん我が国では重罪だが。
他所は他所、うちはうちか。
この後、こっそりとワイバーンの短刀と入れ替えるのだろう。
実際いま私の目の前で、幻術を使ったすり替えが堂々と行われている。
幸いなのは、おそらくこれが単独犯のことか。
商業ギルド全体がグルならさすがに止めるが、個人の犯罪に口を出す気はない。
これはこれで構わないのだ。
私を騙したというこの一件は、商業ギルド全体に対する貸しにできる。
獄炎魔竜の短刀よりももっと高い利となり、私に戻ってくるだろう。
そもそも自作品であり、本来なら砦の一つでも建つほどの金額なのだが――コストは一切かかっていない。
証拠を押さえつつ。
私は敢えて気づかないふりをして。
「なるほど、そうだったのですね。ご親切にご忠告ありがとうございます」
「いかがなさいますか?」
「そうですね……急いでいますしその金額で結構ですよ」
まあ王が病に倒れている国家だ。
この国の倫理観もたかが知れているようだと、少しの残念さを感じつつ。
私はそのまま了承。
投獄の件で一つ。魔導契約書の難癖で一つ。そして今回でまた一つ。
結果的にだが、災いの種をまた一つ撒いて。
私はこの場を後にした。
魔術国家インティアルの前途を示すように、空は不穏な色に染まり始めている。
そろそろまともな人材が、既に取り返しがつかないレベルの失態を働いていると気付くだろうが。
やはりそれは相手側の事情。
私はのんびりと、女神と孤児院の分のタルトケーキを購入した。