第100話 聖者の戯れ
金がどれだけあっても。
どれだけの権力があっても、届かぬものがある。
蘇生に近い病の治療も、その一つだろう。
時刻は夕刻。
魔術国家インティアルにより統一され、インティアル大陸と名を定められた地。
その王都にて投獄騒ぎを終えた私。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーは、黄昏の女神バアルゼブブを連れて王都を観覧している真っ最中。
口を開かなければ黒き聖女と思えなくもないバアルゼブブは、周囲を見渡し。
口の端をデヘへと溶かして、私の腕に絡みつき。
『レ、レイド。じゃ、じゃあ――ど、どこから……ほ、滅ぼそうか』
「……滅ぼしませんよ」
『どうして?』
彼女にとってみれば、主人をいきなり投獄してきた悪い国判定は継続中。
放っておくと、こやつ勝手にこのインティアル全土に死の疫病を蔓延しかねんぞ……と、アシュトレトの忠告を受けて、こうして共に行動しているのだが。
「これでも私は一国の王。訪問した途端に疫病が蔓延したとなると、関与を疑われます。近隣の大陸や国家とはうまくやっているので、その均衡を崩したくないのですよ」
『バ……バレないようにやるよ?』
「はぁ……あなたは相変わらず、見かけによらず一番好戦的ですね」
本当にやりかねないから困るのだが。
女神バアルゼブブは、褒められたと思ったようで、デヘヘヘヘヘ。
溶けた口から漏れる酸で、塗装された魔力レンガの道をじゅぅぅぅぅぅぅううっと削り――。
顔の前で、照れる少女のように合わせた指を回し。
『レ、レイド、本当に、ほ、滅ぼす気になったら、い、いつでも言ってね? ぼ、ボクは、あ、あたしは、わ、我らは、ずっと、ずっとレイドの味方なんだよ?』
「あなたは優しいですねバアルゼブブ」
『ボ、ボクが優しいのは、レ、レイドと、ア、アシュちゃん、と、ダ、ダゴンちゃんにだけだよ?』
これも実際にそうだから困りもの。
自覚がある分だけ良い方なのだろうが。
「あの方と呼ばれた恩人にはどうだったのです?」
『あ、あの方は、恩人だよ? けど、ボ、ボクがバアルゼブブである限り、あ、あの方とはね、敵対関係だから、た、たぶん、殺し合い? になるかも?』
敵対関係……。
バアルゼブブはそう言った。
「理由をお聞かせいただいても」
『い、いいよ。あ、あのね。ボ、ボクは、バアルゼブブ、蠅の王。け、けどね? レ、レイドは、知ってるとお、思うけど。ボ、ボクは、元は、雨と嵐の主人、バアルっていう、神性だったんだよ。い、逸話と、な、名を歪められて、今の、ボクの属性は、悪。悪であるべき存在として、こ、固定されちゃってる、ここまでは、いい?』
私は頷いていた。
魂の属性。あるいはカルマ値。
善悪。そしてどちらでもない中立。
人間や神の性質、その在り方を三つに無理やり当てはめ、分類する……ステータス情報の一種なのだが。
『ボ、ボクは悪で、悪魔の王で、地獄の大公爵。け、けれど、あの方の存在の在り方は善。そ、それも、とっても強い、善。あ、あの方は、た、たぶん。ぜ、善の神様の生まれ変わりなんだよ』
「善の神の生まれ変わり……ですか」
あの方と呼ばれる存在の蘇生、または捜索。
それが今の私の目的の一つなのだが。
もし蘇生させたとしても、悪の蠅王バアルゼブブと敵対関係になる可能性があるというのは少し問題だ。
これは大きな懸念材料だ。
神に尋ねる声と顔で私は言う。
「絶対的な質問権。神託を利用してでもお聞きしたいのですが、その、あの方とされる善の神の名は――」
バアルゼブブは首を横に振っていた。
『こ、答えたいんだけど。答えられないんだよ。な、名前をね? だ、誰かに、ふ、封印されていて、口にできなくなってるんだよ?』
「名を封印……?」
『うん……名前を言ってはいけない、神様に、なってるみたいなんだよ』
「わかりませんね……。大災厄も名を封印して魔術の対象になることを避けていましたが、その類でしょうか――」
それは何者かの策略。
女神たちが再会を望み、焦がれ続けている”あの方”を蘇生させないように、名を封印している可能性を推察できるが。
「バアルゼブブ、あなたほどの大神でもその名の封印は解けないと考えても」
『……うん。ま、前にね? ア、アシュちゃんと、ダ、ダゴンちゃんと協力して、あの方の名を、と、取り戻そうと魔術儀式をしたことが、あ、あったんだよ? で、でもね? む、無限に広がる……お、大いなる闇みたいな、よ、よく分からないケモノに妨害されて、儀式に失敗しちゃったんだ……』
私の頬には汗が浮かんでいた。
「大いなる闇のケモノ……。あなた方ですら一筋縄ではいかない存在が、実在する、ということですか。いったい、何者なのでしょうか」
『ど、どことなく、ア、アシュちゃんと性質が似ていたかも……?』
バアルゼブブが言葉を詰まらせてしまう。
正体は分からないという事か。
『うん。ボ、ボクたちは、つ、強いでしょ? で、でも、上には上がいるんだね。せ、世界は広い。こ、この【三千世界】には、ボクたちと、な……並ぶ、存在がまだいるはずなんだ。だ、だからボクたちは、レ、レイド。き、きみを、いっぱい、いつでも、毎日、鍛えているんだよ? だって、し、死んでほしくないから、もう、二度と、大事な誰かには消えて欲しくないから。レ、レイド、き、きみは、死なないでね? 消えないでね? ぼくを、一人にしないでね。お、お願いなんだよ?』
更にぎゅっと私の腕に抱き着き。
バアルゼブブは、瞳を閉じる。
まあ……いたる所に見えない複眼があるので、実際に目は閉じていないのだが。
私はその頭を空いている手で撫で。
「善処しますし、努力しますよ。だから私も小さい頃から、あなた方からの訓練を欠かしていないでしょう?」
『うん! えへへへへ! レ、レイドは僕たちの、最高の弟子なんだよ!』
とりあえず機嫌は良くなったようである。
『そ――それで、これからどうするのかな?』
「そうですね。とりあえずは貴女の気が晴れるように、この国に嫌がらせでもしましょうか」
『い、いやがらせ?』
コテンと首を九十度傾けるバアルゼブブに頷き。
私は静かに微笑する。
「インティアルの王子と王女、ティアナ姫とルイン王子の目的は病に臥せる父を治療させることにあったでしょう? そしてここは魔術国家。最先端とまでは言えないのかもしれませんが……おそらく回復魔術の研究も進んでいる筈、なのに治療ができていない……。つまりは現段階での限界を超えた病に陥っていると考えられる。そこで彼らは知恵を絞り、人知を超える存在の助力を得ようとした」
『それが、レ、レイドなんだよね』
「ええ。私はハーフエルフであり、存在が確定している魔王。魔術国家ですら治せない病を治せる可能性にかけたのでしょう。けれど、彼らはその手段を間違えた。私は家族を大切なものと考えます、しかし彼らはそれを軽んじた。私を気遣ってくれている貴女ほどではありませんが、少し不快に思っています。ならば折角です、逃がした魚の大きさを存分にアピールして差し上げることこそ、彼等への最も大きな復讐となるでしょう」
つまり、どうするんだよ?
と、今度は反対に首を傾けるバアルゼブブに、私は目線で答えを返す。
そこにあったのは、孤児院に似た教会。
私は何食わぬ困り顔で、砂利道を進み。
教会の戸を閉めようとしているシスターに話しかけていた。
◇◆
インティアルの王都。
金銭を不当に要求されてしまい、泊まる場所が無い……。
という名目で一夜の宿を借りたのは、王都の端の寂れた教会。
その朽ち果てかけた診療所にて、回るのは魔法陣。
聖なる回復の光も魔法陣と連動し、広がっていく。
「それでは、次の方の治療を開始いたします――」
衆目の中。
詠唱するのはこの私。
女神ダゴンから回復魔術の多くを授かっているエルフ王。
快く一夜の宿を貸してくれた施設の聖職者たちに、微笑――。
その宿代代わりにと、教会しか行き場所が無くなっている負傷者の治療を、無償で行っているのだ。
黄昏に沈む教会。
どこか物悲しい、寂れた空気のある施設が魔力で満ちる。
「――其処に光あらんと欲すれば、其は聖霊の慈悲を乞うであろう。我、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーが祝福と共に言祝ぐ祝詞は、再生の光。汝の魂に救いあらんことを」
治療対象は様々だが、現在の魔導技術でも治療不可能な患者を優先していた。
もちろん、わざと規格外の治療魔術の噂を国中に広げるためである。
今のところ、治療に成功したのは――。
腕を失い没落した冒険者や、視力を失ったシスター。
内臓の一部を売却されて捨てられた孤児。
彼らの失った部位を再生、神経まで繋げて元の状態に戻していたのだが。
回復魔術を嗜む者ならば、これがどれほどの奇跡か理解できるのだろう。
聖職者たちにとっても衝撃だったようで――神が降臨したと、私に平伏し、祈りを捧げる者まで現れている。
治療は完了。
もはや治らないと諦めていた者が頬に光を流す中。
膝の上に登ってきた孤児院の子供が、ニコニコ笑顔で私に問う。
「すごいすごい! エルフさん! 神父様もシスターお姉ちゃんも治せない傷を、全部治しちゃうだなんて! エルフさんはすっごい魔法使いなの!?」
「それはどうも、褒められると悪い気はしませんが、一つ訂正です。私はエルフではありますが、純粋なエルフではなくハーフエルフと呼ばれていて」
「ハーフエルフ?」
「母はエルフなのですが、父は人間なのです」
「それだと何か問題があるの? あたしも、お父さんが獣人で、お母さんが人間だよ?」
シスターから、「まだ子供ですのでよくわかっていないようで、すみません……」との声が聞こえてくる。
孤児院にいる子供だ。
やはり色々と訳ありなのだろう。
私は猫をかぶったままに【王族の微笑】を発動する。
高貴な血筋や、皇族の地位にある者が発動できる、いわゆる気品あるロイヤルスマイルである。
空中庭園からこちらを眺めているアシュトレトの笑い声が聞こえるが、そこは無視。
孤児院を兼ねた教会の聖職者が、子供に微笑み――少し話があるからと退出させ。
治療の終わった私に深々と頭を下げていた。
「その気品に、その魔力……そして聖女の如きお連れ様……。あなた様は一体……さぞや位の高いエルフの血筋だとお見受けしますが」
問いかけに応じ、私は人当たりのいい静かな声で皆を魅了していく。
「私はハーフエルフではありますが、エルフが暮らす大森林に住んでおりまして。その……、母が少しだけエルフの中では有名だったので、その縁でいい暮らしをさせていただいております。このような優れた王都に足を踏み入れると、田舎者となってしまいまして……いや、お恥ずかしい」
「なるほどエルフの王族、ということですか」
勝手に想像してくれているようなので、それ以上はこちらからは触れず。
「それで、路銀が徴収されてしまったというのは、いったい。なにかご理由が」
「どうも貴国の王族の不興を買ってしまったようで、少しの間。投獄されていたのです」
「なんと」
「――ハーフエルフもそうなのですが、エルフは長くを生きていますからね。母が昔……この国のかつての王と契約を交わしていたそうなのですが……どうもこちら側が違法行為をしていたそうなのです。それで投獄されてしまい……その契約を破棄するために金銭が多く必要となってしまい。なんとか契約を解除し監獄から出ることはできたのですが、路銀はゼロ。困っていたところを――そちらのシスターに助けていただいたという経緯がありまして」
私が感謝を示して礼をすると、シスターがぽぅっと頬を赤らめる。
ほとんど嘘は言っていない。
「魔導契約書というやつですか、しかし、あの契約書はたしか……国の名同士ならともかく、個人名での契約ならば子の世代には影響しない筈では?」
「そうお伝えしたのですが、聞きいれて貰えず……抗議しようにも、なにぶん千年以上前に作られた契約書だったのと、こちらも魔術封じの檻に入れられてしまい……強くは言えず……」
「なるほど、それは酷い話ですな」
これもほとんど嘘は言っていない。
千年も前の契約を……悪用して。
と。
後は勝手に色々誤解してくれるだろう。
「ところで、この回復魔術の腕前はいったい――」
「エルフは無駄に長くを生きております。これでも私も魔術師の端くれ、治療魔術の研究を百年ほどしておりまして――」
「百年も、それはさぞや努力なさっていたのでしょうな。しかし、よろしいのでしょうか」
「なにがですか」
「回復魔術での治療は本来、莫大な治療費が必要なはず。なによりここにいる者は治療が不可能な、落伍者としての扱いを受けていた者が多いのです。にもかかわらず、あなたは欠損部分の再生までしてみせた。並の腕ではありませんでしょう。それをこのように、無償で行っていただけたとなると……少々、心苦しいと申しましょうか」
「――路銀を徴収され困っていたのは本当なのです。なにしろ私はハーフエルフ。どこでも良い扱いを受けるとは言い難い……。言葉は悪いのですが、こちらもある程度、こうなることを見越して教会を訪れたのです。こうして研究中の回復魔術を実践できるというのも経験値となりますので、あまりお気になさらないでください」
なんと欲のない。
と、聖職者たちからのお墨付きも獲得。
もはやこの黄昏の一瞬で、私はこの周辺の信頼をマックスまで稼いだといっても過言ではないだろう。
皆はこの奇跡を語るだろう。
王都の端の教会に、治せぬ傷を治せるハーフエルフが滞在していると。
そして、そのハーフエルフがどこか異国の王族であり、この魔術国家インティアルに不当な賠償責任を追及され、国家予算に匹敵する財産を奪われたらしい……と。
当然、それは王城にも伝わる筈。
魔術国家インティアルにも存在する冒険者ギルドと商業ギルドにも伝わり。
しばらくすればそれがエルフ王の私だと結び付け、ひたすらに頭を抱えるだろうが――。
それは私の知った事ではない。
とりあえず私とバアルゼブブは善良な旅人のフリをし。
孤児院の者達と共に、一夜を明かした。