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第99話 遥か彼方の遺産


 薄暗い部屋を照らすのは、魔術の明かりではなく松明の揺らめき。

 古い獣脂の燃える香りが漂っている。


 冷たい牢獄の中とは言え、何故かここには一流の調度品が揃っていた。

 鉄格子に使われている建材は私も知らない素材だが、魔力を弱める効果のある魔封じの監獄とみるべきだろう。

 つまりは――。


『レイドよ。ふふ、何を血迷うたのか。どうやら相手はフレークシルバー王国の王だと分かった上で、この狼藉を働いたようであるな――、ぷぷ、ぷはははははは! 笑いが止まらぬ、よもや幸福の魔王に手を出すなど、終わりの始まりであろうに』

「アシュトレト、笑いを堪える努力ぐらいはしてください……」


 声はやはり天から聞こえていた。

 空中庭園で体をのけぞらせ、大笑いするアシュトレトの姿と顔が目に浮かぶようである。


『すまぬすまぬ! じゃが、その地域は冬の気候に近い。後三時間もすれば夕刻じゃ、バアルゼブブの時間となると、ちと厄介じゃぞ』

「まあ彼女なら」

『レ、レイドを……い、虐めるなんて、ゆ、許さないんだよ。と、大陸全土を疫病で覆う事とて躊躇わぬであろうな』


 他人事のように言っているが。


「止めてはくれないのですか?」

『妾が? なぜじゃ?』

「このインティアル大陸が滅びても――」

『構わぬ。ここの者はそなたをそなたと知り投獄しおったのだ、噂ぐらいは当然知っておっただろうにな。ならば覚悟をしての決断という事。それを止めるのは過ぎた干渉、過保護というものじゃ。妾たちは確かにこの世界の創造主じゃが、子供らの選んだ結論に釘を刺すつもりはない』


 おそろしいことに。

 これがいつも釘を刺し、世界に干渉しまくっている女神のセリフである。


『それに、妾とて夫を突然投獄されたら多少は腹も立つ。じゃが冷静さを欠き、気分のままに滅ぼすというのも大人げない。なれどバアルゼブブを止める気にはなれぬ。故にレイドよ。インティアル大陸とやらを滅ぼしたくないのであれば、三時間のうちに話を済ませることだな』


 ではな!

 と、女神アシュトレトの、それはそれは面白がっている声が響いて、消えていく。

 私は周囲を見渡した。


 ここはおそらく地下ではなく地上。

 看守はまだ十五歳前後の子供たち。

 投獄された施設の近くには、人間と共生している野良猫の姿も散見される。


 やはり相手は私について調査をしていたようだ。

 今の私は子供や猫に甘い。

 なるべくなら殺さないようにと子供と猫を守るせいか、その姿が、百年の間に何度も目撃されているからだろう。


「確かに、竜を軽々と倒す看守よりも子供一人の方が、私相手にはよほど優れた看守となる。ですが、少し気に入りませんね」


 子供の看守に聞こえるように私は話を続ける。


「私が脱獄すればあなた方が罪に問われると思っていいのですね?」

「……返事はするなと言われています」


 看守からの返答があった。


「ならばあなたがたに命じた偉い人にこうお伝えください。三時間以内に交渉をしましょう、期限が過ぎれば私でも対処できない女神の罰が下る――と」

「女神の罰……」

「さすがに私も創造神の神罰には対応できませんからね。こちらは警告しました。後はご自由にともお伝えいただければ幸いです」


 子供たちは相談し。


「あ、あんたがあの、エルフ王ってのは、ほ、本当なのか!?」

「すべての大陸を把握しているわけではありませんので、私が唯一のエルフ王だと断言するつもりはないですが。おそらくはあなたがたが想像している、フレークシルバー王国の王ですよ」


 一番小さな子供が言う。


「お、王様を投獄って……何を考えているんだ」

「さあ、それはこちらが聞きたいくらいです。何か知りませんか?」

「お、俺たちは、あんたを見張っていろって。これは正当な拘束だから、大丈夫だって……その、魔導契約書って知ってるか?」


 私は頷いていた。


 魔導契約書とは魔術や魔道具の一種。

 術構成やアイテムにより多少の差はあるが、基本的な効果は同一。

 契約書類や同意書――。

 いわゆる文書にされた約束事を強制的に守らせる魔道具である。


 強制力は絶大。

 契約違反を犯せば、どんな強力な魔術師とて魔導契約書の効果により、定められた罰を受けることになる。

 国家間で契約を交わすときに稀に用いられるのだが。


 私は子供に向ける微笑みを保ちながら。


「しかし、子供であっても魔導契約書を知っているとは、さすがですね。魔術国家インティアルの識字率が高いという噂は、どうやら本当らしいとは理解できました」

「そ、それで」

「はい」

「あんたの国と、このインティアル大陸を統一したインティアル王の先祖が、昔に魔導契約書を交わしていたとかで……それでその、フレークシルバー王国の王は、契約違反を起こしたから、正義も大義も我らにある……と」


 なるほど。

 白銀女王スノウ=フレークシルバーの時代の名残、というわけか。

 どんな契約を交わしたのかは知らないが。


「どうやら魔導契約書をよく理解していないようですね。親の負債はあくまでも親の負債。あれは次世代には影響しないようにと、契約者本人にしか効果を発揮しないはずですよ」

「お、俺に聞かれても……」


 他の子供たちも顔を合わせて、困惑している。

 まあ彼らは私に対する重し。

 罪はない。


 無辜なる彼らを殺して逃げることはしたくない。

 私が逃げれば彼らがおそらく殺される。

 まあ連れて逃げるという選択肢もあるが、そうすると彼らは家族から引き剥がされてしまう。

 よく考えられた手だ。


「とりあえず時間がないのは本当なのです。責任者を連れてきてもらえますか?」

「あ、ああ。わかった」


 素直に返事をするところを見ると、まともな人格の子供たちだ。

 こうして子供を使うことは少し気に入らないが、その国にはその国の事情がある。

 口を出すべきではないだろう。


 やはり私に何かをさせるつもりだったのか。

 私は早々に奥の部屋へと通された。


 ◇◆


 やはり魔術を弱める部屋の中。

 やってきたのは黒髪褐色肌の若者が二人。


 どこかジャッカルのような、細く締まった印象のある男女である。

 中肉中背で、年齢は二十歳ぐらいか。ところどころに、ターバンを用いた魔力強化の装備をしている点を踏まえると、彼等も魔術師の類なのか。

 身なりはかなりいい。


 整った顔立ちには気品があるし、なによりその職業はプリンスとプリンセス。

 このインティアルの王子殿下と姫殿下だろう。

 おそらくは双子である。


 私を捕らえた主犯とみるべきか。

 ここで私は慇懃無礼な礼を一つ。


「初めまして、ティアナ殿下にルイン殿下。私は女神の駒にしてエルフの王。幸福の魔王レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーにございます。この度は丁重なご歓迎、誠に恐縮であります。ああ、パーティの準備は結構ですよ、子供を盾に使う方々と食事を共にする気はございませんので」


 弟の方があからさまに眉を吊り上げ。


「な、なぜ我らの名を!?」

「鑑定に御座いますよ、殿下」

「おかしいであろう! ここは魔術封じに魔力封じの監獄。そのような戯言……っ!」


 狼狽し情報を漏らしまくる弟の首に、シュッと円月刀を突き付けたのは姉の方。


「ルイン、お前は黙っていなさい」

「しかし姉上」

「いいからお黙りなさい。全て姉さんに任せていれば、それで全てが上手くいくのです」


 どうやら姉の方が主導権を握っているようだが。

 黒い眼光を尖らせた姉は、毅然としたまま書類を広げ。


「弟が失礼しました、エルフ王陛下。ワタクシは魔術王インティアルの長女ティアナにございます。本日は無礼ではありますが、盟約に従い陛下の身柄を拘束させていただきました」

「魔導契約書を確認させていただいても?」

「ええ、どうぞ」

「姉上! 書類を燃やされたらどうするつもりなんだ!」


 姉の額に青筋が一瞬浮かぶ。

 魔導契約書を燃やすことなどできない。それを知らない無能だと、自分でアピールしたわけで、姉がイラっとしたのだとは理解できた。

 なかなか苦労しているようである。


 ともあれ私は魔導契約書を確認し。

 ――……。

 ゆったりと瞳を細める――。


「なるほど、確かにあなたがたの私への拘束は妥当、一応の大義名分がありますね」

「お分かりいただけて、大変嬉しく存じます」

「姉上、なにが書かれていたのだ?」


 再び弟の横槍に、姉は頬をヒクつかせているが。

 面白がった私が言う。


「実は私の先々代のエルフ王、母にあたるフレークシルバー女王がかつて、まだ大陸を統一する前の小さかったインティアルの王国と契約を交わしていたようでして。その内容は互いに人身売買を止めること。今回の件ではエルフと人間での金による取引の話ですね。それを我が国は破っていた――という国際問題が発生しているのです」

「つまり、エルフが人間を金で買っていたと言うのか?」


 聞きたいことは聞く。

 素直な王子なようだ。


「ええ、ルイン殿下。お恥ずかしい話ではありますが、我が国では一時期、大災厄という脅威に国を乗っ取られていた時期がありまして――、その時代に、人間狩りという悪しき貴族の遊びが流行ったことがあるのです」

「そのような話、聞いたこともないぞ?」

「なにぶん百年以上前の話ですからね。そして、スノウ=フレークシルバーが女王として国を治めていた時期はもっと昔。その契約書も千年以上前の、一種の古文書のようなものですね」

「スノウ=フレークシルバー、白銀女王……無限の魔力を持っていたとされる伝説のエルフ女王……か」


 禁忌とされていた母の話は、もはや禁忌ではない。

 ギルドの公式文書で閲覧できるようになっている。


 ティアナ姫殿下が冷たい美貌のジャッカル顔を尖らせ。


「千年以上前の古文書であっても、魔導契約書に期限の記載はない。よって、我が国ではこれをまだ有効な契約だと考えているとご理解いただきたい」

「ご主張は理解できました。エルフは時間感覚に無頓着ですからね、母は期限を定めるのを忘れていたのでしょう」

「それはとても助かるが――」

「ええ、大変申し訳ないのですが――はいそうですかと、納得してしまっては王とは名乗れません。フレークシルバー王国のエルフが、貴国の人間を誘拐した、或いは金で購入したと証明できる何かはありますか?」


 私との交渉準備は整っていたのか。

 百年以上前に発生していた行方不明事件と、その詳細が提示される。

 弟の方はともかく、姉は優秀なようだ。


 しかし、誰かが手引きをしなければここまでタイミングよく、私を拘束することなどできないだろう。

 どこか別の女神や魔王。

 制限解除されていない勇者が助言している、という可能性もあるが……。


「――このように、フレークシルバー王国からの誘拐と思われる件が三件。そしてそのうちの一件は確定している」

「姉上、なぜそのような昔の事なのに確定だと分かるのだ」

「新しきエルフ王、このレイド陛下が王位を継承したときにエルフの間で大きな改革があったのだ。これもその一環。王陛下は過去視の魔術で人間狩りを行っていた者たちの痕跡を辿り、被害に遭った者たちの関係者に謝罪、遺品を各国に返還したのだ」


 百年前の話なのによく調べてある。

 ルイン殿下は私を向き。


「つまり、貴殿は自らの首を絞めたのではあるまいか」

「追及を恐れて証拠を隠滅するのは趣味ではありませんでしたし、誠実ではありませんでしたからね。今でこそ品行方正とされているエルフですが、当時は驕り昂っておりました。その汚れと驕りを祓う為にも、必要な処置だったと考えておりますよ」


 しかし、と私は言葉を区切り。


「そこまで調べているのなら、もう分かっている筈。私は百年前にギルドを通じ、既に貴国に賠償金を支払っている。そしてその魔導契約書はスノウ=フレークシルバー本人を対象にしたモノ、更に言うのならインティアル王国は大陸を統一する際に魔術国家インティアルとして世界には再登録されている。その魔導契約書は無効ですよ」

「魔術としてはな」

「というと?」

「他国を脅かさぬ筈の魔王が、難癖をつけ魔導契約書を無効にした――そう噂されるのは、あなたがたエルフにとってもあまり快い話ではないでしょう」


 こちらは実際にかつて人間狩りをしていた。

 それは消せない事実。

 そこに付け入るつもりのようだが。


 ……。


「私を投獄し、なにをさせたいのですか?」


 誘導するように私が弟殿下ルインの方に目線をやると。

 彼は私に騙され、元気そうに口を開いていた。


「父の定期的な治療をして欲しいのだ!」

「ば! 弱みを晒すバカがどこにいる!」


 姉ティアナの本気の罵声が飛んでいた。


「そう怒らないで上げてください。これでも私には多くの目と耳がある。どうせ情報はすぐに筒抜けとなります、ここで変な交渉をせずに暴露した弟殿下の対応も、そう間違ったものではありませんよ。どうでしょうか、ここはいっそ事情を聞かせていただけませんか?」


 私は彼らの話に耳を傾ける。


 彼等の父――魔術王が病に臥したのは、十年程前の話。

 インティアル魔術王は人間の身でありながら、その英知と魔力により既に百五十年は生きている特殊な存在。

 人間の器を超えた存在らしい。


 だが、魔王でもなければ勇者でもない。

 人の身でありながら人のレベルを超越した、いわゆる天才のようなのだが。

 それでも病には勝てなかった。


「父はここ十年、長時間眠らず政務に動き。また長時間眠る。そんなサイクルを繰り返している、だから、いつまた病になるか……」

「なるほど、それで既に無効となっている魔導契約書を盾に私をここに監禁し、いつ陛下が倒れてもすぐに治療させるようにした――と」

「恥知らずだと我らを嗤うか?」

「いいえ、父を思う気持ち……それは家族愛。私が是とする感情です」


 それでは!

 と、ルイン殿下は露骨に目を輝かせるが。

 次の瞬間には――その陽気な顔は、ぞっと恐怖に染まっていた。


「ですが、あなたがたは子供を利用した。その命を利用した。彼等にも家族がいる。とても気に入りません。端的に言えば、不愉快極まりありません」


 交渉決裂の気配を感じたのだろう。

 強気な姉ティアナがこうなることを予見していたように、全身に汗を浮かべながら。

 ぐっと言葉を絞り出す。


「ならば申し訳ないですが――陛下には奴隷となって貰うしかありません。陛下は無効となっていると仰いましたがそれはそちらの一方的な解釈。曲解だと我が国では考えます。よって盟約に従い、陛下の身柄はここで拘束させていただきましょう」

「あくまでも契約の有効を主張なさいますか?」

「当然だ」

「今ならまだ間に合いますよ。無礼を詫び、子供を使った事を反省しその家族に頭を下げるというのなら、恒久的にあなたの父上の治療を行うと約束してもいいのです。私は魔王ですが、鬼でも悪魔でもありませんから」

「信じることはできぬ。契約での拘束がある以上、こちらが有利だと理解していただきたい」


 交渉は決裂。

 相手がその気ならこちらもそのように対応するまで。


「そうですね、では仕方ありません」


 私は頷き。


「既にこちらは百年前に一度、賠償金を支払っている。けれど再度罪の責任を追及されるというのでしたら、その時点で既にそちらが契約違反を起こしている気もしますが。まあこちらは、人間狩りに関しては間違いなく加害者です……仕方ありません、契約に従いましょう」

「ではさっそく、父の容態についてだが」


 ほっと息を吐く姉ティアナに向かい、私は眉を下げ。


「おや、何か勘違いされていますね。私は盟約に従い、魔導契約書に記載された違約金を全額お支払いするといっているのです」


 魔導契約書には非常に細かい取り決めがされている。

 その中で契約解除と違約金の項目があり。

 私は亜空間にあるアイテム保存空間から、アイテム召喚。


 共通金貨八百九十三万枚分の金塊。

 そして敢えて回復系の素材だけには使えない伝説級の素材アイテムを、交渉テーブルに積み上げ。

 無表情のままに、席を立ち。


「商業ギルドを通じて換金できるように手配しておきます。たとえ投げ売りしたとしても違約金の二倍の価値はあるので、契約は履行されました。これで魔導契約は破棄、誠意は尽くしたので文句はありませんね? それでは、これにて失礼させていただきますよ」

「な!?」

「なにか?」


 相手は払える金額ではないと違約金の項目を見逃していたのだろう。

 けれどこれでも私は魔王。

 それくらいのポケットマネーは持ち合わせていた。


「だって、いや、こんな――金額」

「これが現実ですよ。あなたは事を急ぎすぎました、子供を利用するのは下策でしたね」


 必死に引き留める理由を考えているようだが。

 時間切れである。


「それでは――お元気で。もう二度と会うことはないでしょうが」


 三時間過ぎる前の交渉完了なので、バアルゼブブによる神罰は回避された。

 王は病に臥せたままだが。

 それは私には関係のない話。


 子供を利用したので同情の余地もない。


 私は指を鳴らし、魔術封じの空間を魔術で破り。

 本来なら交渉するまでもなく、いつでも逃げることができたとアピールし。

 その場を振り返ることなく、後にした。


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