第0話 恩寵
現実的な世界の現実的な都会の中。
研究室にて液晶の光を受けるのは、理知的な男。
彼は狂ってもいない筈なのに、最近、酷い幻覚を見るようになっていた。
女神を自称する美女が三人。
どこに行ってもつき纏ってくるのだ。
男は三人の美女に言った。
「女神? まさか、そのようなファンタジーな存在がいるわけないでしょう」
『目の前におるではないか』
「コスプレというやつでしょう? 経済効果はあるので止める気はないですが、不法侵入してきてそれは正直問題かと」
『女神を前にしてその不遜、ふふふふふ、気に入ったぞ人間よ』
「話になりませんね……早々にお引き取り下さい。私は研究で忙しいのです。警察を呼びましょうか?」
『ふむ――どうやら信じて貰えぬようじゃが、まあいい。少し話がある。これは神託じゃ』
妖艶な美女が唇に指を当て。
『おぬしは、三秒後に死ぬ』
「何を馬鹿な、たとえ心臓発作が起こったとしても、人が死ぬまでに必要な時間は……」
三秒後。
女は男に絡みつき。
そして男は死んでいた。
三人の美女。
自らを女神と名乗るモノたちに、殺されたのである。
『罪状は恋。おぬしは妾たちを惚れさせた――それがおぬしの死因じゃ』
彼女たちは男が憎かったわけではない。
彼女たちはむしろ、男を愛していたのである。
◆◇◆◇◆◇◆
少年レイドは生まれ落ちた瞬間から幸福であった。
産まれは処刑場。
ギシリギシリと嫌な音を立てる硬く冷たくなった、母の揺り籠の下。
赤い瞳の赤子は、じっと風に揺れる母を眺めていた。
あの高さから産まれ落ちても――幸福ゆえに死ななかったのだ。
これが最初の幸運だ。
どこからともなく、声がする。
『さあ、レイドよ。これが最初の幸福じゃ、妾に感謝せよ!』
『駄目よ、この子はまだ赤子。言語がちゃんと育つまでは、言葉も通じない。前世の事は思い出せないんですもの』
『およ? そうなのか?』
『彼を転生させるときに、そう言ったでしょう? 忘れてしまったのかしら?』
『そのような些事、覚えておる方がおかしい――』
声が遠ざかる。
だが奇跡的に生を受けてもただの、赤子。
当然、飢えて死ぬ筈だったが――。
その容姿が父ではなく母に似たことが幸いした。
レイドの髪の色は幸福なことに珍しい銀髪。
だから死骸から遺品を盗みに来ていた、心綺麗な聖職者に拾われたのだ。
罪人が死んだかどうか、回復魔術をかけて確認するための聖人である。
彼らに遺品を盗む業務はないが――報酬がないので見逃されている状態にある。
拾われた子が五歳まで満足に育つ事は稀だ。
ましてや五体満足な状態で生きているなど、奇跡としかいいようのない豪運だ。
彼が無事だった理由もやはり――奇跡。
『えへへへ、へへへ。ち、ちゃん、と。ひ、拾われた、ね。せ、成功だよ?』
『うむうむ! 順調順調!』
『レ、レイドは……うん、ちゃんと美形だよ?』
幸福なことにレイドは赤子の状態で既に美しかったのだ。
恵まれた容姿の持ち主だったのである。
それも、成長すればさぞや良い商品になると、目利きの奴隷商でなくとも分かる程の美貌。
だが、彼を拾ったのは聖職者だ。
教会に容姿など関係ないだろう。
けれど幸せなことに。
ここにも奇跡があった。
なんとも幸福だ。
その教会では他の多くを救うため、一つでも多くの命を救うため、そしてなにより神に仕える身にもたまにはご褒美を――と。
個の犠牲を是とする宗派だった。
貴族や金持ちを相手に商売をしていた。
身寄りのない子どもを売っていたのだ。
聖職者は本来そんな人身売買まがいなことは行わない。
レイドが生きていられたのは、そんな奇跡の積み重ねがあったから。
故にやはり、レイドは幸福だと言える。
売られる子どもの用途はさまざまだった。
本当に、様々。
幸いなことに、銀髪で美しい少年には多種多様な需要が存在したのだ。
『大丈夫かのう、虐められたりせんのか?』
『まあ、心配性ですのね。大丈夫ですわ、虐める子がいたら消してしまえばいいのですし。ねえ?』
商品に疵をつけるバカはいない。
だからレイドは幸福なのだ。
少なくともレイドを見つめる幸福の女神たちは、そう信じ切っていただろう。
レイドは孤児院で育つ。
まともな教育を受けられないが。
幸せに育つ。
レイドの扱いは粗末であったが、食べ物は与えられていた。絶対に深い傷をつけられることもなかった。
だから。
幸せだ。
彼の成長を見守る女神たちは、自分達が彼に幸福を与えたと信じ切っていた。
早く大きくなれ。
銀髪赤目の美しい男となれ。
あたくしは、妾は、僕は――美しく凛々しいあなたが成熟する日を静かに待ちます。
ああ、早く大きくなれ。
大きくなれ――と。
女神が言う。
『それで、人間の赤子と同衾できるようになるには、どれくらいの時がかかるのじゃ?』
『せ、せ、せ……せめて、十五、歳、ぐ、ぐらいは、必要かも?』
『うふふふふふ。まあ、あなたたちは気が早いのですから。でも、そうですわね。大人の関係になるには、そうでありましょうね』
女神たちは考え。
『十五年など、一瞬じゃな』
『へへへ、へへ……そ、そうだね』
『あたくしたちにとっては、瞬きのような時間……早く魔王におなりなさい。といっても、赤子のあなたでは、こちらは見えないのでしょうが』
女神たちは美しく育つ男の成長を、眺めつづける。
そこには愛があった。
女神の恩寵があった。
『さて、それではまたなレイドよ』
『あ、あ、あた、あたしたちはずっと、み、見てるから』
『それでは、ごきげんよう――』
少年は、女神に溺愛されていた。
少年には女神からの加護が授けられていた。
最上級の権能【スキル】が与えられていた。
その能力の名は――【女神の恩寵:天才(全)】。
文字通り、全ての事柄に才能を発揮する神からのギフトである。
なぜそのようなギフトがレイドに与えられたのか。
なぜ、ここまで幸福が続くのか。
なぜ、女神に愛されているのか。
今のレイドには分からない。
これが本当に幸福かどうかも分からない。
神とは上位存在だ。
人間とは価値観の異なる存在だ。
だから、幸福であっても――どこかの軸がずれていた。
これはそんな女神に愛された男。
魔王レイドとして転生した男の生涯を綴る。
幸福の物語である。
【完結済み】
人外女神に愛されたい方は是非。