97話「魔法大国リンギス」
「ついたみたいですよ」
砂の魔女は空中を浮遊しながら言った。
眼下には、鬱蒼と茂る森が辺り一帯に広がっている。
砂の魔女が手を下に向かって動かすと、檻はふわりと着地した。
俺たちは熊に襲われないよう、注意しながら地面に飛び降りていく。
「それじゃ、開けるぞ」
「はい」
「いち、にの、さん!」
俺と砂の魔女が檻の扉を開いた途端、熊の親子は森の中に向かって一目散に逃げていった。この新しい環境に上手く慣れてくれるといいのだが。
熊たちの背中が木々の間に消えるまで見送った後、砂の魔女は俺に向かって手を差し伸べてきた。
「ありがとうございます。おかげで無事に熊たちを移動させることができました」
「気にしないでくれ。俺たちはただやるべきことをしただけだから」
討伐依頼が成功扱いになるかどうかは分からないが、少なくともこれでダグの町の住人たちに危害が及ぶことはなくなったはずだ。そのことを素直に喜ぶべきだろう。
「それじゃ、俺たちはこれで」
「お疲れ様でした。もしまたダグの近くに寄ることがあったら、遊びに来てくださいね」
「ああ。もちろん」
俺が砂の魔女に向かって軽く手を挙げると、彼女は静かに手を振り返してくれた。
出会い方は最悪だったし、ほんの短い間だったが、一緒に行動できて楽しかった。今度彼女の家に寄るときには、手土産の一つでも持っていってやろう。
こうして砂の魔女と別れた俺たちは、森の中をずんずんと進んでいく。
運がいいことに、この森はリンギスとの国境にほど近い。抜ければすぐに次の町へたどり着くだろう。熊を助けるだけでなく、移動時間の短縮にもなって一石二鳥だった。
視界がようやく開けたのは、歩き始めておよそ一時間が経過したときだった。森の端に到着したのだ。
「ついにリンギスの領地内に突入、か」
「ずいぶんと遠回りになってしまったけど、全員無事にたどり着けて良かったね」
「そうだな」
振り返れば、一人くらい欠けてもおかしくない、波乱万丈な旅程だった。それでもみんな俺についてきてくれたのは、本当にありがたいことだ。
メンバーたちと取り留めのない会話をしながら、さらに歩いていくと、やがて次の町ウシマが見えてきた。
石造りのこぎれいな建物がいくつも立ち並んでおり、いくらかの魔導車が通りを走っている。
いままでにラピスタンやイルスティナで通ってきた町と比べると、ずいぶんと都会的な印象を受けた。
「リンギスってどんな国なんだ?」
俺が尋ねると、ユウキは自慢げに胸を張った。
「自他共に認める先進国だよ。国民はみんな理知的で治安がいい。しかも、交通網が発達していて移動しやすいんだ」
「まあ、ナジアに比べれば全然大したことねぇけんどな」
「よく言うよ。リンギスの最先端魔導技術を真似してるくせに」
「んー? そっちが真似したんでねぇのか?」
「なんだって? 言いがかりも大概にしてくれるかな」
郷土愛の強い二人は、視線をバチバチとぶつけ合う。俺は慌ててその間に入った。
「まあまあ、とりあえず行ってみようぜ。な?」
「「ふんっ」」
不満げにそっぽを向く二人に、残りのメンバーは苦笑するしかなかった。
ウシマの町に入ると、ユウキはある地点へ向かって真っ先に歩き出した。
「ここからはバスに乗る」
「バス?」
聞きなれない単語に、ニアが食いついた。
すると、ユウキは何かを探すような素振りで通りを見渡した。
「残念ながら、この辺にはないみたいだね。まあ、行けば分かるよ」
俺たちは、土地勘のあるユウキの後についていく。
やがて到着したのは、縦に細長い立て看板の前だった。
「あったあった。ここで少し待とう」
「何を待ってるんだ?」
「そのうち、来れば分かるよ」
焦らされた状態で待つこと十分ほど。やってきたのは、縦長の魔導車だった。
てっきり馬車にでも乗るのかと思っていた俺は、停車したその車に驚いた。
「まさか、これで首都まで行くのか?」
「そうだよ。さっき言っただろう? 交通網が発達してるって」
「うひゃあ、こりゃたまげたぞ」
〈かっこいいのだ! 楽しみなのだ!〉
ずっと屋敷に一人で閉じこもっていたから、外での出来事を新鮮に感じるのだろう。念話ではしゃぐエーリカが微笑ましくて、俺は思わず笑った。
バスに乗り込み、車掌に料金を支払ってから座席に着席する。
備え付けられている布地のいすはクッション性が高く、座り心地抜群だった。
「それでは発車いたします。揺れますのでお足元にご注意ください」
車掌のアナウンスが流れ、バスの扉が閉まる。
ウシマの街を出たバスは、通りから伸びる街道を走り出した。揺れるとはいっても、馬車の揺れ方とは雲泥の差があり、静かに運行していく。
首都ウィンゲアへの旅は、想像以上に快適なものになりそうだった。