95話「一番いい案を頼む」
砂の魔女は、目の前に並ぶ料理の数々を恨めしそうに眺めている。
俺は口についた汚れをナプキンで拭うと、彼女の方に視線を向けた。
「口を聞く気にはなったか?」
「悔しいですが、ここまでの拷問を受けては仕方ありません。お話しましょう」
砂の魔女はいまにもよだれを垂らしそうなほどだらけた口で言った。
「よし、それじゃ食っていいぞ」
「本当ですか!? やっ――ごほん。別に、食べたかったわけではありません。礼儀として食べないわけにはいかないから、食べるのです」
砂の魔女はごにょごにょと御託を並べてから、肉にかぶりついた。その顔は満面の笑みに満ちている。
やっぱり食べたかったんだな。
「それで、どうしてあの熊を守ろうとしたんだ?」
そう問いかけると、砂の魔女は口の中の物をゆっくりと飲み込み、それから語り始めた。
「私は、あの森の動植物や魔物の生態系を調べることをライフワークにしています。空白とこちらの世界との違いを探ることで、なにか研究のヒントを得られるのではないかと考えたからです」
なるほど。あちらの世界に帰るため、彼女なりに色々考え、行動しているんだな。
「それであの熊についてですが、現在マーク中の個体でして、実は子持ちなんです。街道の通行人を襲うのは子供を守るため、そして食糧を手っ取り早く確保するためです」
「そうだったのか……」
てっきりただの凶暴な獣としか思っていなかった俺は、意表を突かれた心地だった。子を思う母としての気持ちが、あの熊を凶行に走らせていたというわけだ。
「私としては、あの熊が悪いのではなく、森の動物たちの生活圏を不必要に侵食している人間の方が悪いと思っています。あの熊はただ、自分の生活を守るために戦っているだけなんですから」
自然豊かな土地における人間と動物のバッティングというのはよくある話だ。
邪魔な動物を害獣扱いして殺すのは、あくまで人間のエゴにすぎない。彼女はそう言いたいのだろう。
「そうは言っても、現状を放置したって問題は何も解決しないだろ? どうしろって言うんだよ」
「人間たちが森を大きく迂回すれば済む話でしょう。自分から襲われに来ているようなものじゃないですか」
「それはさすがに極論すぎないか? もう街も街道もできちゃってるんだし、それをいますぐに放棄しろっていうのはめちゃくちゃ無理筋だと思うぞ」
「でも、あの熊をこのまま見捨てるわけにはいきません!」
砂の魔女は必死の形相で机に手をつき、身を乗り出した。
これでは話が平行線だ。どうしたものかと考えていると、そのうちニアがふと手を挙げた。
「それじゃあ、引っ越ししてもらったらどうかな?」
「えっ?」
そっと聞き返した砂の魔女を、ニアはきれいなブルーの瞳で見つめ返した。
「熊さん、違う森に引っ越してもらうの。ダメ?」
「ダメじゃありません。というか、いい案ですね、それ……!」
砂の魔女は腰を下ろし、嬉しそうに手を合わせた。
たしかに、それなら熊を殺さずに済むし、人間が襲われる危険を取り払うこともできる。なんとも素晴らしい妙案を思いついたものだ。
「でも、どうやってあのでけえ熊を移動すんだ?」
「魔女さんは物を浮かせるんでしょ? それで一気に引っ越してもらおうよ!」
「すみません。生き物を浮かせるのは、ちょっと難しくて。日頃から練習はしているんですが、あまり長い時間は持たないかと」
「じゃあ、こうしよう。鉄の檻の中に熊たちを入れて、その檻ごと運ぶっていう方法ならどうかな?」
「あっ、はい。それなら可能だと思います」
「よし、決まりだな。俺たちも手伝うよ。みんな、いいよな?」
「いいと思うよ」
「構わんぞ」
〈もちろんなのだ!〉
とんとん拍子に進んでいく話に、砂の魔女はしばし呆然としていたが、やがて深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。これで無益な殺生を起こさずに済みます」
「俺たちも別に、何が何でもあの熊を狩猟しようってわけじゃないからな」
「そうだぞ。いくら戦うのが好きなおらだって、そんくれぇの頭はあるぞ」
「のう、それ笑っていいところなのか……?」
シエラのツッコミに、俺たち他のメンバーはくすくすと笑った。
「なっ、言っただろ? なんでもまずは話してみるもんだよ」
「そう、ですね。森のことを想うばかりに、意地を張りすぎていたのかもしれません」
砂の魔女は少しうつむきながら、恥ずかしそうにはにかんだ。
初めて見る彼女の柔らかい表情に、俺は安心感を覚えた。いつもそういう顔つきで接してもらえるとありがたいんだけどな。
「それじゃ、具体的にどうやってあの熊を引っ越しさせるか考えよう」
「そうですね」
「うん!」
そして俺たちは、さっきまで敵対していたことが嘘のように、顔を突き合わせて会議を始めた。