88話「ボロ屋敷の怪」
ずぶ濡れになった服を着替えると、俺はようやくひと心地ついた。
とはいえ、雨で冷えきった体はそう簡単に温まるものではない。底冷えする寒さに俺は体を震わせた。
体を動かせば少しはマシになるかもしれない。
屋敷の中を散歩でもしようと思い、部屋を出たときだった。
「きゃああああああああっ!!」
「なんだ!?」
甲高い悲鳴を聞いた俺は、その声の下へ駆けつけることにした。
いくつかの部屋を探した末、キッチンに踏み込んだ俺は、ニアが倒れ込んでいるのを見つけた。その隣には割れたコップが落ちている。どうやら転んで床に落としてしまったらしい。
「どうした!? 大丈夫か!?」
「ありがとう、アケビ。わたしは大丈夫」
見たところ怪我はなさそうだ。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「よかった……いきなり叫ぶから驚いたよ」
「えっ、わたし叫んでないよ?」
「えっ?」
俺たちはきょとんと見つめ合う。
それじゃあ、さっきの叫び声は一体誰のものだったんだ?
「どうしたの、アケビ?」
「あっ、いや、なんでもない。無事ならそれでいいんだ。片付け、手伝うよ」
「ありがとう!」
〈硬化〉した手でコップの破片を集めてゴミ箱に捨てながら、俺は考え込む。
もしかしたら、他のメンバーの声だったのかもしれない。そう思い、俺はそれぞれの無事を確かめることにした。
まずはユウキだ。そう思い、部屋の様子を見に向かうと、ユウキとルナはソファでゆったりとくつろいでいた。
よかった、彼女の身には何事も起きていないみたいだ。
「どうしたんだい、アケビくん?」
「いや、ちょっとみんなの様子が気になってさ。困り事はないか?」
「うん、いまのところ大丈夫だよ」
ユウキはそう言うと、手に持っていた水筒をテーブルに置き、こちらに身を乗り出した。
「それよりアケビくん、ニュースだ。私たち以外にも人がいたよ」
「本当か?」
「うん。さっき、窓の外で誰かが通りかかったんだよ。もしかしたら、この屋敷の持ち主が様子を見に来たのかもしれない」
「そんなわけないだろ。この部屋、二階だぞ」
「あっ、そうか」
何とも言えない沈黙が場を支配する。
「あれ、おかしいな。私の見間違いだったかな」
「風で何か物が飛んできたんだろ、きっと」
「そうだね、そうだと思う。変なことを言ってごめんよ。いま言ったことは忘れてくれ」
ユウキは取り繕うように笑った。それに合わせて俺も笑う。
彼女の気のせいだろう、きっと。
俺はユウキの部屋を後にして、次のメンバーの下へと向かう。
屋敷の中を探し回っていると、廊下でタオファとすれ違った。よかった、彼女もどうやら無事みたいだ。
タオファは出会い頭、俺に向かって手を挙げた。
「アケビ、さっきは助かったぞ。ありがとう」
「ん? なんのことだ?」
「トイレに尻を拭く紙がないからって、わざわざ持ってきてくれただろ?」
「いや、俺はそんなことしてないぞ」
「あり? たしかに男の声だと思ったんだけんどな……」
身に覚えのない出来事に、俺も首をかしげる。このパーティで男性は俺一人だ。そしてお手洗いには一度も足を運んでいない。
なるほど。ニアが言っていた「いやな感じ」の意味がだんだんと分かってきたような気がする。
その疑念を確かめるべく、俺は最後の一人であるシエラの下へと向かった。
シエラがいたのは、一階のリビングだった。
彼女は俺の姿を見とめると、慌てた様子で抱きついてきた。その表情は今にも泣きそうだ。
「ア、アケビ!」
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「あれ!」
シエラが指差した先には棚があり、その上にはなんと人間の生首が飾り付けられていた。
長い黒髪を前に垂らしているせいで顔がよく見えず、肌は血を抜いたかのように真っ白で、総じて不気味な雰囲気をまとっている。
俺は恐る恐るそちらに近づいていった。
「なんだ、ただのマネキンじゃないか」
生首を手に取った俺は、シエラに放り投げた。シエラはひいっと言いながらそれを避ける。
ついていたウィッグがぽろりと取れ、つるっぱげになったマネキンの生首は、ごつんと音を立てて床に転がった。
「お前、こういうの苦手なの?」
「う、うるさい! いきなり見つけてびっくりしただけじゃ!」
涙を手で拭いながら、シエラは怒りの声を上げた。普段は強気な割に怖いものが苦手とは、意外な一面もあったものだ。
さて、これでパーティメンバー全員の無事が確認できた。どうやら、誰も悲鳴を上げてはいないらしい。
つまり、あの悲鳴の主が他にいるというわけだ。
雨が降る窓の外を眺めながら、俺は考え込んだ。
この屋敷、やはりどこかおかしい。立て続けに不可解な現象が起きている。
(これはもしかして――)
そのとき、バンッ!と大きな音を立てて、リビングの入口のドアが鳴った。
「っ――! 今度はなんじゃ!?」
「見てくる」
「わ、妾も行くぞ!」
俺の服の裾を掴みながら、シエラはおずおずと後をついてきた。
ドアの反対側をのぞき込むと、扉の中央に大きな手形のシミがついていた。そっと指で触ってみると、そこだけが湿っており、その手形がいまついたばかりのものであることを示していた。
俺とシエラは思わず顔を見合わせた。
「いたずら、にしては手が込みすぎてるよなぁ」
こんなくだらないことをビヨンドメンバーがする理由がない。
だとすれば、気がつかなかっただけで、他に誰かいるのか?
なんだか気まずい空気が流れ、俺はそれを取り繕うようにシエラの肩に手を置いた。
「大丈夫か?」
「うむ……」
「顔色が悪いぞ。部屋に戻って少し休んだ方がいい」
「分かった。そうする」
シエラは珍しく俺の言うことを聞き、自室に戻っていった。
俺は腰に手を当てて嘆息した。この不可思議な屋敷で一晩過ごすのは骨が折れそうだ。