87話「雨宿りの一夜」
「うっひゃあ! こりゃひでぇ!」
「ああ、もう最悪だ! これじゃ魔導書が濡れてしまう!」
「愚痴ってる暇があったら走れ!」
両手を頭上にかざし、降りしきる雨から体をかばいながら、俺たちは街道を駆けていく。
雲行きが怪しくなったのは、イルスティナ領に入ってすぐのことだった。
突如として降り始めた雨は、瞬く間にザーザー降りの大雨へと変化した。
大きな雨粒が天から容赦なく降り注ぐ。その降雨量はすさまじく、まだ雨が降り始めて少ししか経っていないのに、もう全身ずぶ濡れだ。
「アケビ! どこかに雨宿りできる場所はないのか!」
「そんなこと言われたって分かんねぇよ!」
俺は若干の苛立ちを交えながら叫んだ。雨音があまりにでかすぎて、大声を出さないと会話さえままならないのだ。
周囲を見渡そうにも、視界が雨に遮られてしまって遠くまで見えない。これではアーシャからもらった〈千里眼〉も使いようがない。
こんなとき町が近くにあればよかったのだろうが、残念ながら街道はまだまだ先まで続いているはずだ。
八方塞がりかと思われたそのとき、ニアがその独特の嗅覚を発揮した。
「アケビ! あっちになんかあるよ!」
「分かった! 信じるぞ、ニア!」
俺たちはニアの後について走っていく。
街道を大きく逸れ、鬱蒼と茂る木立を通り抜けてたどり着いたのは、大きな屋敷だった。
激しい雨のせいで全体像はよく見えないが、目につく範囲では外装のそこかしこが風化してボロボロになっており、人の手が加えられている雰囲気は全く感じられなかった。
「ここで雨宿りできないかな?」
「よし、行ってみよう!」
雨に打たれてすっかり弱っていた俺たちは、朽ち果てた正門を抜けて屋敷の方へと歩を進めた。
寂れた庭を抜けると、俺は藁にも縋る思いで屋敷の大扉に手をかけた。すると、その両開きの扉はキィーと音を立てながら開いた。
「やった! 中に入れさせてもらおう!」
「そうだな!」
今回はやむを得ない事態だ。屋敷の持ち主がどこのどなたなのかは存じ上げないが、少しくらい甘えても許されるだろう。
俺たちは急いで屋敷の中に入り込んだ。それと同時に、少し湿っぽいにおいが鼻をつく。
「お邪魔しまーす……」
俺は律儀にそう言いながら、恐る恐る室内を見渡した。
エントランスホールには埃まみれの調度品がいくつか置かれている。それらは手入れされた様子がなく、人気は全く感じられなかった。
「誰もいないみたいだね」
「そうみたいじゃな。なら、自由にしてもよかろう?」
「あ、おい! ちょっと待て!」
シエラは奥の方へずかずかと入り込んでいく。こういうとき、彼女の図太さには定評がある。
俺たちは慌ててシエラの後を追った。
それから、俺たちは屋敷の中を簡単に探索していった。
そして、分かったことがいくつかある。
この屋敷はいくつかの大部屋と、住居用の小部屋に分かれていること。
ここにはいま誰も住んでいないこと。
そして、どの家具も埃をかぶってはいるが、まだ使えそうなこと。
一通り手に入れた情報を整理した俺たちは、続いて今後の行動について話し合うことにした。
「最初はにわか雨だと思っていたけど、どうやら止みそうもない。どうだろう、ここで一晩越すというのは」
「妾はここに泊まりたい! 泊まろう!」
「俺は別にいいよ」
「おらも問題ねぇぞ」
「うーん……」
メンバーたちが前向きな回答を返す中、唯一返事を渋るニアをユウキはのぞきこんだ。
「なにか問題があるのかい、ニアくん?」
「えっと……」
ニアは少し躊躇していたが、そのうち口を開いた。
「わたしがみんなを連れてきたのに、ごめんね。なんかいやな感じがするんだ、この屋敷」
「いやな感じ?」
「うん、上手く言えないんだけど……」
第六感の鋭いニアにそう言われると、なんだか薄気味悪い屋敷のような気がしてくる。
すると、今度はユウキがうーんとうなる番になった。
「とは言っても、いまからまた外に出るっていうのは、ちょっとねぇ……」
「もうすぐ日が暮れる。いずれにしても、どこかで雨宿りしなきゃならねぇのは確かだぞ」
「そうなんだよなぁ」
正直なところ、この大雨の中、次の町までたどり着く自信はない。なぜなら、雨というのは予想以上に体力を奪うものだからだ。
しかも、ただ単に街道を進むだけで済むとは限らない。どしゃ降りの中で魔物に襲われるなんていう最悪の状況、想像したくもなかった。
そのうち、俺はメンバーたちの視線が自分に集まっていることに気がついた。こういうときは多数決か、もしくはリーダーの鶴の一声で結論を決めるのが、後腐れない決め方だろう。
やがて、俺は気持ちを一つに固めた。
「よし、決めた。今日はここに泊まろう! ニア、せっかく心配してくれたのに悪いな」
「ううん、アケビがそう言うならきっと大丈夫」
ニアは俺に向かってにかっと笑いかけた。
そうだよ、きっと大丈夫だ。俺は自分にそう言い聞かせた。
そんなわけで、俺たちはこの屋敷に一泊することになった。
部屋割りは、五人がそれぞれ小部屋を使うことにした。せっかく豪邸に泊まるのだから、広々と使わなければ損だとシエラが主張したからだ。
「それじゃ、今日のところは解散しよう。みんなお疲れ様」
俺がそう言って、各々割り当てられた部屋に向かおうとした、そのとき。
「アケビ」
ふと背後からか細い声で呼ばれ、俺は振り返った。
「うん? いま誰か呼んだか?」
「いんや?」
「呼んでないよ」
「ん? そうか。ごめん、聞き間違えたみたいだ」
「疲れてんな、アケビ。今日はゆっくり休めよ」
タオファに背中をぽんと叩かれ、俺はため息をついた。おそらく、物音が人の声に聞こえたとか、そういう感じのやつだろう。
雨に打たれて疲れているせいだと思い、俺は背伸びしながら自分の部屋に向かった。