86話「女王と冒険者」
俺たちは謁見の間で、アーシャの前にひざまずいている。
シンプルなデザインながら高級感を醸し出すドレスを身につけており、その顔つきは凛々しく保たれている。先日の宴会で出会った際とは異なり、女王としての気品が感じられた。
どうやら女王デビューは上手くいったようだな。
「もう行くのですね」
「はい、女王様」
俺は新たなラピスタンの君主に対する礼節をわきまえた口調でそう答えた。
今回はノエルさん以外にも側近や兵士が大勢いる。アーシャの威厳を保つためにも、フランクな話し方をするわけにはいかないだろう。
「もう少しゆっくりしていっても良いのですよ」
「いえ、そうはいきません。俺たちにはまだまだやることが山積みなので」
「そうですか。名残惜しいですが、仕方ありませんね」
アーシャはどこか悲しそうに笑った。
約一ヶ月しか一緒にいなかったとはいえ、俺たちの大切な仲間だ。こっちだって、寂しくないと言えば嘘になる。
「近くに寄った際には、いつでも顔を見せてくださいね」
「もちろんです」
俺はにこりと笑いかけながら立ち上がった。
「それでは、失礼します」
「道中、お気をつけて」
後ろ髪を引かれる思いで俺たちはアーシャに背を向けた。これで彼女たちとの旅はおしまいだ。長いようで短い一月だった。
「あっ、そうそう。一つ言い忘れていました」
俺たちはアーシャを振り返る。すると、彼女はいつものいたずらな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「あなたたちにプレゼントを差し上げました。私からのささやかな気持ちです。どうぞ受け取ってください」
「プレゼント、ですか?」
俺は首をひねった。アーシャの手には何も握られていない。それに、これより前にプレゼントをもらった記憶も全くない。
万が一にも俺の落ち度でない限り、アーシャからは間接にも直接にも何も受け取っていないはずだ。
発言の意図が分からずに訝しむ俺を見て、アーシャはくすりと笑った。
「あえてここでは何も言いません。旅をしていれば、そのうち意味が分かるでしょう。楽しみにしておいてください」
「……分かりました。ありがとうございます」
きっと、何らかのサプライズを計画したのだろう。彼女の気持ちを汲んで、俺はあえて何も聞かないことにした。いずれ分かるというのなら、それを待つことにしよう。
「それでは、行ってまいります」
「行ってらっしゃい」
小さく手を振るアーシャとお辞儀をするノエルさんに見送られ、俺たちは謁見の間を後にした。
「のう、アケビ。本当にこれで良かったのか?」
「ああ。これで良いんだ」
アーシャには女王としての役目がある。一方、俺たちは根無し草の冒険者だ。その地位には本来、天と地ほどの差がある。
彼女の本当の立場が世間に明らかになったいま、もう一緒に旅をすることはできない。悲しいが、それが現実だ。
「アケビ、意外と大人でねぇか」
「意外と、ってなんだよ。いちおう成人してるんだが?」
「いんや、おらから見たらまだまだ子供だ」
「や、やめろ!」
タオファに髪の毛をくしゃくしゃされた俺は、照れながらその手を払いのけた。
古代人であるニアの年齢の謎は脇に置いておくとして、他の三人はたしかに全員俺より年上だ。
とはいえ、彼女たちと比べて精神的に未熟ではないという自負はある。からかわれるわけにはいかないんだ。
だから、アーシャと別れるときも涙は一切流さなかった。それに、目標へ向かって前進するための旅立ちに、涙は似つかわしくない。
「それじゃ、まずは魔法都市ウィンゲアを目指して東に向かうぞ!」
俺が元気よく言い放つのに合わせて、ニアが手を挙げる。
「おー!」
「朝っぱらから元気じゃのう、二人とも」
「年寄りじみたこと言うなよ、シエラ」
「誰が年寄りじゃ、たわけ! 妾は朝に弱いんじゃ!」
シエラはぷんぷんと怒りながら頬を膨らませた。
彼女の肌の色が白いのは、吸血鬼だからではなく、単なる貧血気味のせいだと前に言っていた。もしかしたら、血色の良い吸血鬼もいるのかもしれないな。
俺たちはイシュレムの街並みを眺めながら、街の外に向かって歩いていく。
この国の人々は今日も懸命に力強く生きている。これなら、内戦で荒れ果てた経済や文化も必ずや立ち直ることができるだろう。
なにより、困難に立ち向かう強さと国を愛する心を兼ね備えているアーシャが女王なら安心だ。
「それにしても、もう刺客に襲われることはないんだよね? 久々に安心して旅ができるね」
「そうじゃな。なんだか気が抜けてしまうな」
「わたしたち、まだ旅の途中だよ。気を抜いちゃだめ」
「ニアの言う通りだ。パヤッカでの前例もあるしな。気を引き締めていこう」
「真面目じゃのう、お主たち」
若干だらけ気味のシエラを連れて、俺たちはイシュレムの街を後にした。
まずは東の隣国イルスティナへ再び向かうことになる。気持ちを新たに、旅はまだまだ続く。