76話「シエラvsムッシュ」
室内の準備が整うと、ムッシュは改めてユウキたちと向かい合った。
「ふぅ、やっとすっきりした。食事も戦闘も、やっぱりきちんと準備してから始めないとね」
ムッシュは両手を広げて前に出し、構える。その表情からは、先ほどまでの親しげな笑みは消えていた。
一方シエラは、ユウキとニアの前に進み出た。
「行け、二人とも」
「えっ?」
「妾たちの目的はバリーを倒すことじゃ。五大将なんぞ二の次でよい。そうじゃろ?」
「その通りだ、ニアくん。ここはシエラくんに任せて行こう」
ニアは少し躊躇っていたが、やがてシエラに呼びかけた。
「絶対勝ってね!」
「当然じゃ」
背後のドアから出ていく二人を見届けた後、シエラはムッシュに向き直る。
「二の次だなんてひどいなぁ」
「妾はお世辞が嫌いでな。言いたいことははっきり言うタイプなんじゃ」
「そうかい。だったら僕からも一つ言わせてもらうよ。君は僕に絶対勝てない!」
「なに?」
ムッシュはどすどすと足音を鳴らしながら、シエラに向かって接近してきた。
シエラは、ムッシュの無防備な腹に蹴り込んだ。すると、ぐにゃりと凹んだ腹はクッションのように反発し、あべこべにシエラを跳ね飛ばした。
壁に背中から激突したシエラは、悶絶しながら膝をつく。
「ぐっ……!」
「どうだい、自分の攻撃の威力を食らった感想は?」
ムッシュは顔色一つ変えず、シエラが立ち上がるのを悠々と待ち構えている。
やつのユニークスキルは〈弾性〉。体にゴムのような弾力を付与するスキルだ。
それを知っていてあえて攻撃してみたシエラだったが、その結果は無傷で終わってしまったのだった。シエラは悔しさと痛みに舌打ちした。
体勢を立て直したシエラは、再びムッシュに向かい合う。
「厄介なスキルじゃな、全く」
「だから言ったでしょ、君は僕に絶対勝てないって」
「何事もやってみなければ分からんじゃろ!」
シエラは瞬時に踏み込み、拳を雨霰と浴びせる。ムッシュは仁王立ちのまま、それを難なく受け止めた。
「効かないねぇ」
「ならばこれはどうじゃ!」
シエラは右手で手刀を形作り、ムッシュの飛び出た腹に突き刺した。わずかに刺さった指先から血があふれ出す。
ムッシュは驚いた様子で飛び退いた。
「斬撃なら通るようじゃのう」
「きみ、器用だね。素手でぼくに傷をつけたのはきみが初めてだよ」
「お褒めに預かり光栄じゃ」
じりじりと距離を詰めるシエラに対し、ムッシュは後ずさりしながら両腕を広げた。
「じゃあ、これはどうかな? バウンドルーム!」
ムッシュは近くの壁に向かって思い切り跳んだ。そして、衝突の瞬間に体を丸めることによって、ゴムまりのように跳ね返る。その勢いのままムッシュは天井へ衝突し、さらに跳ね返る。
そうやって部屋の中で反射を繰り返すうち、ムッシュはすさまじい速さへと加速していった。
シエラはそれをなんとか目で追いながら、迎撃態勢を整える。
やがて、十分に速度を得たムッシュの体が、シエラ目がけて飛んできた。
シエラはそれを両手で押しとどめるようにして受け止めようとしたが、その威力に耐えきれず、後方へ吹き飛ばされる。そして表面に大きなひびを入れながら、壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
跳ね返りを終えたムッシュは、器用に体勢を変えながら地面に降り立った。
「へえ、まだ立てるんだ。小さい体なのに結構頑丈なんだね」
「吸血鬼じゃからな。これくらいかすり傷じゃ」
「それにしては、ずいぶんとふらついてるみたいだけど」
「うるさいわ。よろけただけじゃ」
シエラは強がりを言いながら両手を構える。
ムッシュの〈弾性〉は打撃を一切受け付けない。だから攻撃を通すには手刀を入れる必要があるが、あれだけ高速で突っ込んで来られたら、突き指したときに骨が持たないだろう。
一番相性の悪い相手に当たってしまったかもしれない。
シエラはそう思いながら、〈弾性〉の攻略法を見つけ出すため頭をひねった。
「それじゃ、もう一度いくよ。バウンドルーム!」
ムッシュは再び体を丸め、室内を跳ね返り始めた。
シエラは回避に専念しつつ、ムッシュの動きを目で追う。
避けるだけでは何の解決にもならない。
それなのに、シエラはなぜ逃げ回っているのか。
その答えはすぐに明らかになった。
「はっ!」
突っ込んできたムッシュに向かって、シエラは右手を真っ直ぐに突き出した。
その動作は、全身タックルの威力を相殺するものではなかった。攻撃をもろに食らい、壁に激突したシエラは、たまらずその場にくずおれた。
一方、床に着地したムッシュもまたダメージを受けていた。
胸部に突き刺さった銀色のナイフを引き抜き、放り捨てる。
「これは……食事用のナイフ……!」
「どうじゃ? 効いたじゃろ!」
シエラはよろめきつつもなんとか立ち上がる。
血がにじんだ傷口を手で押さえながら、ムッシュはシエラをにらんだ。
「この程度の攻撃でぼくが倒せると思ったのか? 舐めないでほしいな」
「ふん、素直にくたばっておれば楽なものを」
「それはこっちのセリフだ。次で終わりにしてあげるよ。バウンドルーム!」
ムッシュは室内を縦横無尽に跳ね回る。
(超回復できるとはいえ、食らった傷が即座に消えてなくなるわけではない。次にあの技を食らったらまずいのう)
体に蓄積されたダメージを鑑みつつ、シエラは攻撃の機会をうかがう。
ムッシュが言った通り、これが最後の攻防になるかもしれない。
壁際に立ったシエラは目を凝らして、ムッシュが突進してくるタイミングを見計らう。
そして、斜めに突っ込んできたムッシュに向かって右手の手刀を突いた。
めきめきと腕の骨が折れる感覚を覚えながら、それでもシエラはさらに右腕を突き出す。
この攻撃だけは絶対に通さなければならない。その覚悟を持ち、シエラは全力で踏ん張った。
一瞬の拮抗の末、吹き飛んだのはムッシュの方だった。〈弾性〉を発動することなく壁に叩きつけられたムッシュは、壁面にめり込んだ。
その胸部には手刀で貫かれた大きな穴が開いており、どくどくと血が流れ出ている。
「千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ、じゃ」
血にまみれた右腕を押さえながら、シエラはにやりと笑った。
シエラが狙ったのは、先ほどナイフでつけた傷口だった。全く同じ位置に加えて手刀を打ち込むことで、〈弾性〉が効かない内部まで攻撃を到達させることに成功したのだ。
床の上に倒れたムッシュが起き上がらないことを確認すると、シエラは壁際に置いてある椅子に腰かけた。
「ちょっとくらい休んでも罰は当たらんじゃろ」
勝利の余韻を味わいながら、シエラはほうとため息をついた。