61話「山脈に潜む影」
パーティメンバーの誰もが言葉を交わさない中、荒い息づかいだけが聞こえている。
俺は額に垂れる汗を腕でぬぐった。激しい運動のせいで、いまや額だけでなく、全身がぐっしょりと濡れている。
それもそのはず。俺たち一行はいま、キルゲ山脈を越す山道をひたすらに歩いているのだ。
俺はふぅと息を吐きながら、後ろを歩いているユウキの方を振り返った。
「どれくらい登った?」
「まだ二時間も経ってないよ」
「マジかよ……」
懐中時計を開いたユウキに言われ、俺はひどくがっかりした。ここまでだいぶ登ってきた気がしたが、そうでもなかったらしい。そして山道はまだまだ続いている。
他のみんなが頑張っているのに、俺だけが弱音を吐くわけにはいかない。心の中で自分自身を鼓舞しながら、険しい山肌を登っていく。
その最中、石片がぱらぱらと足元に転がってきて、俺は山の上の方を見上げた。
丸々とした大きな岩が山頂の方から転がってくるのが見える。もし直撃すれば、人ひとりくらい簡単に潰されてしまうだろう。
「なあ、あの岩、こっちに向かってきてないか?」
「そうみてぇだな」
「危ないなぁ。避けた方がいいかな?」
「いや、変に動いたら逆に避け損なうかもしれないだろ。俺がなんとかするよ」
俺は〈身体強化〉と〈硬化〉で体を頑丈にし、〈粘着〉で足元を固めた。そして迫ってきた大岩を受け止め、〈質量操作〉で軽くしながら横へ放り投げる。
大岩はがらがらと音を立てて山麓へと転がり落ちていった。
「これでもう大丈夫だろ」
「ありがとう、アケビ」
「さすが妾が見込んだ男じゃ!」
この程度のことで褒められると、なんだかこそばゆい。とはいえ、これでパーティへの脅威は去った。俺たちは気を取り直して、再び山道を歩いていく。
それから先に進むことしばらく。
順調に歩を進めていた俺たちは、突如ずんと響いた揺れに驚いた。
「今度は何でしょうか?」
「あっ、あれ見て!」
アーシャは山峰の方面を指差した。大きな砂埃を立てながら山の一角が崩れ、こちらに向かって雪崩のように押し寄せてくる様がありありと見て取れる。
先ほどの大岩も十分に大きかったが、今回の土砂崩れはそれとは比べ物にならないほどの規模と範囲だ。こんなものに巻き込まれたら、ひとたまりもなく死んでしまうだろう。
「逃げよう!」
「ダメだ! 走って逃げるんじゃ間に合わない!」
「どうするんじゃ、アケビ! このままでは全滅してしまうぞ!」
「どうするって言われても、どうしようもないだろ!」
何とかこの窮地を切り抜ける策を練らなければ全滅してしまう。俺は必死に頭をひねった。何かいいアイデアはないのか。
しかし、そうこうしている間にも土砂崩れは迫ってくる。
――ダメだ。何も思い浮かばない。
俺たちはそのまま成す術なく、もうもうと舞い上がる土煙に飲まれていった。
全てをかき消す轟音に包まれた後、場に静寂が戻ってくる。俺は恐る恐る目を開いた。
目の前には、両手を前に向かってかざすニアの姿があった。俺たちは半透明の球状のバリアに覆われており、その外側には大量の土砂が頭上高くまで積もっているのが見える。
どうやら、ニアがとっさの判断でバリアを張ってくれたらしかった。
「みんな、大丈夫?」
「助かった……! ありがとう、ニア」
「おら、てっきりおっ死んだかと思ったぞ!」
「同感だよ」
俺はバリアの外側にある土砂を〈硬化〉した手で掘り進めながら、脱出口を作り出していく。やがて、十分かつ安全なサイズの穴が確保できたところで、俺たちは土砂の中から這い出した。
それにしても、立て続けに自然災害に巻き込まれるなんて、今日はついていない。とんだ災難とはまさにこのことだろう。
やれやれと思いながら、続きの山道へ戻ろうとした、そのときだった。
「へえ、あれだけ豪快にやってもまだ生きてるのか。悪運の強いやつらだな」
そこには、土気色をしたゴーレムの肩に座ってこちらを見下ろす一人の男性がいた。茶色い短髪に、切れ長の垂れ目をしている。
「これ、お前がやったのか?」
「そうだよ。俺の〈土工〉のスキルで山をちょっと削ってみたんだ。楽しかっただろ?」
男は俺たちにせせら笑いをしながら、己の実力を誇示するかのように両腕を広げた。
俺は〈能力視認〉を使って、男のユニークスキルを確認した。
たしかにやつが言う通り、〈土工〉と表示されている。
〈土工〉は触れた土の形状を自在に操ることができるスキルのようだ。それを利用して、断崖を崩したのだろう。
「お前もアーシャを狙ってるのか?」
そう尋ねた俺に、男は愚問だと言いたげに笑った。
「当たり前じゃないか。殺せばたんまり報酬がもらえるんだ。死にたくなければ、さっさとこっちに身柄を渡した方がいいよ」
「残念だが、お断りさせてもらう」
「そうか。それじゃあ仕方がないな」
男はゴーレムから飛び降り、地面に手を当てた。
周囲の土がむくむくと盛り上がってゴーレムを包み込み、新たな姿を形作っていく。
やがて出来上がったのは、見上げるほどの巨大なゴーレムだった。
「ま、倒せるもんなら倒してみなよ」
「上等だ!」
俺たちはアーシャとノエルさんを後ろに退かせると、思い思いの構えを取り、戦闘態勢に入る。
男が指揮官のように腕を振るうと、ゴーレムは地面をずんずん揺らしながらこちらに向かってきた。
ゴーレムの身長はおおよそ10メートル。それが迫ってくる光景はなかなか迫力がある。
しかしもちろん、黙ってやられる俺たちではない。
俺は正面から近づいてきたゴーレムの右パンチを受け流し、返す刀でそのすねを斬りつけた。すると、傷口は即座に修復された。
こいつ、自動修復機能がついているのか。
ぶんぶんと振り回される腕を避け、俺はいったんバックステップで距離を取った。
「ユウキ! 対処法は!?」
「埋め込まれた魔晶石がゴーレムの核になっているはずだ! それを壊すか取り除けば、たぶん倒せる!」
「そうは言っても、どこにあるんだよ!」
「分からない! 探すしかない!」
この巨大サイズのゴーレムの体内にある小さな核をピンポイントで見つけ出すというのは至難の業だろう。正直、できるとは思えない。
これぞという決定打がなく、攻めあぐねる俺たち。そこにさらなる追い打ちをかけてきたのは、男がユニークスキルを利用して生み出す凸凹の足場だった。
「俺は全然邪魔しないってわけじゃないぜ?」
俺たちの動きに合わせて地面が流動し、体勢を崩そうとしてくるのだ。それが、ゴーレムが放つ攻撃の威力と相互に作用して、厄介なコンビネーションとなっている。
このままじゃジリ貧だ。打開の一手を打たなければならない。
そこで俺は、全員に聞こえるように叫んだ。
「一つ作戦を考えた!」
「なんじゃ!」
「あいつを転ばせてくれ! そうしたらあとは俺がやる!」
「分かった!」
コンビネーションにはコンビネーションで対応だ。そうして、俺たちの反撃が始まった。