60話「タオファ、怒りの酔拳」
町の西側にある道路に、タオファたちは立っている。薄暗い街灯の下で、タオファとモネ、そしてアーシャを背に担いだ店主が対峙している状態だ。
「アーシャをどうする気だ?」
「どうって、決まってるでしょ。バリー様に差し上げるんだよ」
「それは聞き捨てならねぇな」
タオファはふらつく体でなんとか拳を構えた。
「おら、容赦しねぇぞ」
「そんな体調でやるつもりなの? 笑えるね!」
モネは店主を身振りで先に行かせると、慣れた様子で半身に構えた。それから、タオファに向かってくいくいっと手招きした。
「来なよ。ちょっとだけ相手してあげる」
タオファは即座に踏み込み、右の掌底を叩き込んだ。しかし、モネはそれを華麗に避け、タオファの手の甲を軽くタッチした。
「はい、おしまい」
その瞬間、タオファは頭をがくんとうつむかせた。そして数歩後ずさってから、千鳥足でその場をよろつく。一見倒れそうだが、絶妙なバランスで姿勢を保っているようだ。
モネは首をかしげながらタオファに近づいていく。
「往生際が悪いなぁ。さっさと倒れなよ」
額を人差し指で突かれたタオファは、後ろに大きくのけぞりながら、右足でモネのあごを蹴り上げた。
「ぐっ……!?」
面食らったモネは、タオファの腹に向かって慌てて前蹴りを入れた。
タオファはそれに合わせて体をくるりと回転させ、裏拳を放つ。モネはスウェイでそれを避け、いったん距離を取った。
「あたしの〈酔魔〉が効いてない……?」
「うぃ〜……ひっく」
「いや、違う。この女、酔いながら戦ってやがる!」
モネがパンチを繰り出すと、タオファは前にお辞儀しながらそれを避け、両の掌底をモネの腹部に向けて突き出した。
モネは辛うじてそれをかわしたが、タオファはさらに逆立ちになり、両脚をモネの肩に引っかけた。
そして膝裏で首をホールドしたままぐるりと半回転し、横向きにモネをぶん投げる。地面にしたたかに打ちつけられたモネは、たまらずうめいた。
「がはっ……!」
マウントを取ったタオファは、モネの顔面目掛けて拳を振り下ろそうとする。モネは腰のバネを使ってタオファの体を跳ね上げ、マウントポジションから抜け出すことで、危うくそれを回避した。
後ろに押し出されたタオファは、ゆらゆらと揺れながら両の拳を構える。隙だらけのように見えるそのフォームだが、そこから放たれる変則的な動きにモネは翻弄されていた。
「こんな酔っ払いにあたしがやられるなんて、ありえない……!」
これまで数々の強敵を〈酔魔〉で屠ってきたモネにとって、すっかり酔いきったタオファに負けることは万が一にも許されない屈辱である。
だから彼女は、戦わず逃げることができるにも関わらず、タオファとの勝負にこだわることにした。
モネは臆さずにパンチを繰り出した。タオファはそれをしゃがんで避けた後、立ち上がりながらアッパーカットを放った。あごに一撃を食らったモネはたたらを踏む。
タオファは畳み掛けるように両腕を振り上げ、肩口にチョップをかます。モネはその威力によろめきながら後退した。
「このっ!」
モネは連続して右足の蹴りを放った。タオファはそれを丁寧に受け止めていき、お返しに体当たりをかました。それから背中を正面に向け、後ろ向きに腰を曲げながら、モネを拳で突いていく。
ふざけた体勢から繰り出される強烈な連撃を食らい、モネは体をくの字に折り曲げる。その瞬間、下がってきたモネの頭を、タオファは右足で蹴り上げた。
「ぐふっ……!」
そのすさまじい威力に、モネはもんどりうって倒れ込んだ。それを見たタオファは、モネの体をつかみ、両腕で高々と持ち上げる。
「ちょ、待っ――」
「やぁっ!」
タオファは後ろに向かってモネを放り捨てた。ぐるぐると回転しながら地面に叩きつけられ、モネはぐでんと伸びきった。気絶したのか、すぐには起き上がりそうにない。
「見たか、ころやろう!」
タオファはモネを指差しながら見下ろした。その目はとろんとしており、呂律は全く回っていない。その実、明らかな泥酔状態だった。
そのとき、現場に一人の男が駆けつけた。アーシャを店主から取り返したアケビが街まで戻ってきたのだ。
「タオファ! 大丈夫か!?」
アーシャを背負いながら近づいてくるアケビに、タオファは拳を構える。
「おめぇがアーシャをさらったんだな!」
「待て! 俺は敵じゃない!」
「アーシャを返せ!」
アケビのことが判別できていないらしく、タオファはふらふらと近づきながらパンチを繰り出した。アケビはそれをとっさに受け止める。
「ったく、しょうがねぇな」
アケビは呆れ顔で数歩後退した。タオファはアケビを追いかけようとして、地面に顔から突っ込んだ。足元に設置された〈雲泡〉がタオファの足を絡め取ったのだ。
「俺の顔、分かるか?」
アケビの顔を見上げたタオファは、しばしの間を置いて、ぽつりとつぶやいた。
「んあ……アケビ?」
「ようやく気づいたか」
アケビはタオファに手を差し伸べた。彼女はそれを支えに、ふらつきながら立ち上がる。
「頭がぼーっとする……」
「こいつのユニークスキルのせいだ。触った相手を酔わせる〈酔魔〉っていうスキルを持ってる」
「そういうことだったんかぁ」
そう言うと、タオファはアケビにぐったりと寄りかかった。とっさの出来事に対応できず、アケビはよろけた。
「っとっと。おい、大丈夫かよ?」
「肩貸してぇ?」
「ほらよ」
「んふふ、ありがと」
アケビの右肩に体重をかけながら、タオファは夜の街を歩いていった。
翌日、アケビたちのパーティが二日酔いで苦しんだのはまた別のお話。