59話「安い居酒屋には訳がある」
ローゼルクを出て街道を道なりに進んでいくと、ほどなくしてラパーナの街がその姿を現した。ここから先はイルスティナの国領になる。
街の雰囲気は全体的に明るく、音楽を流しながらダンスを楽しんでいる人たちや、酒を飲み交わしている人たちなど、思い思いの夜を楽しんでいる。
「これまでに通ってきたアルカやバティスとはまた違った雰囲気だな」
「にぎやかだなぁ」
「こういうのってお国柄が出るよね」
「このごちゃごちゃした感じがおらの好みだな」
そんな風に各々の感想を述べながら通りを歩いていると、若いロングヘアの女性が陽気に声をかけてきた。
「お兄さんたち! 一杯飲んでかない!? 安くするよ!」
「アケビ、酒じゃ! 酒の匂いがするぞ!」
「こらこら、そんな簡単に食いつくな。ぼったくりだったらどうするんだ」
袖を引っ張るシエラをたしなめていると、客引きの女性は困り顔で笑った。
「たはは、嫌だなぁ。うちはそんな店じゃありません! 安全優良店舗だからね」
自分で言うのはどうなんだと思いつつも、俺は立ち止まった。こんなに熱心に声をかけてくる客引きはこの街で他にいなかったし、話を聞くだけならいいかもしれないと思ったのだ。
「いくらでやってくれるんだ?」
「料理四品と飲み放題がついて、一人当たりこれくらいかな」
女性は二本指を立てた。つまり2000ジラという意味だ。破格の値段に俺は目を丸くした。
「そんなに安くできるのか?」
「まぁね。その代わり、店はボロっちいけど」
「よいではないか! 行こう!」
最初からずっとめちゃくちゃ乗り気なシエラは置いておいて、俺はノエルさんに耳打ちした。
「どうします? 他意はなさそうですけど」
「何かあったときのため、私は酒を飲まずに見張り役を務めます。万が一のときはアーシャ様を連れて逃げれば良いでしょう」
「分かりました。よろしくお願いします」
それならある程度安心して飲み食いができそうだ。
いちおう他のみんなの様子もうかがったが、反論はないようだ。俺は客引きの女性に向き直った。
「それじゃあ頼むよ」
「おっ、ありがとうお兄さん。それじゃ、これから案内するからついてきて」
彼女はそう言うと、てくてくと歩き出した。通行人のすき間をすり抜けながら歩くことしばらく、やがて彼女は小さな店の前で立ち止まった。
一階建ての店舗には目立つような装飾は一切なく、質素なたたずまいながら清潔感がある。彼女は「ボロっちい」と言っていたが、これはこれで風情があるような気もした。
「七名様入りまーす!」
「あいよ!」
店の主人が元気な声で返事をする。客引きの女性はテーブルの椅子を引くと、俺たちに腰掛けるよう促した。
「飲み物は何にする?」
「エールを人数分くれ」
「はいよ!」
注文を取って間もなく、テーブルに着座した俺たちの下に、エールの入ったジョッキと山盛りのフライドチキンが運ばれてきた。
「アケビ、ここはひとつかけ声を」
「分かった。それじゃあ、みんなお疲れさま! 乾杯!」
「「「「「「乾杯〜!」」」」」」
そして互いのジョッキを突き合わせると、楽しい晩餐が始まった。
酒に強いニアとシエラが、エールをガンガン煽っていく。残りのメンバーはそれを眺めながら、運ばれてきた料理をつまむ。
さらに途中から客引きの女性モネも飲み合いに参加して、にぎやかな宴となった。
「ちょっと風に当たってくる……」
「いってらっしゃい」
タオファはよろよろと店の外に出ていった。ずいぶんと飲んでいたが、大丈夫だろうか。
そんな背中を見送る俺の隣に、モネがふと腰掛けた。俺の肩に手を置きながら、おかわりのジョッキを目の前に置く。
「飲んでる?」
「ああ、飲んでるよ」
俺は礼を言いながら、ジョッキを煽った。冷たいエールがぐいっと喉を通り抜ける。
「アケビの出身地はどこなの?」
「アルカ王国のキセニアって町だよ」
「へえ、そんなところから遠路はるばるねえ。大変だったでしょう」
「まあな。でも頼れる仲間たちに出会えたから、後悔はしてないよ」
俺はすっかり酔い潰れたニアたちを見回した。おそらく旅の疲れが出たのだろう。みんなすやすやと寝息をかいている。
「そっか。いいなぁ、あたしも旅してみたいな」
「一緒に来るか?」
「そういうこと言われると本気にしちゃうぞ?」
モネが悪戯っぽく俺の肩を押す。俺たちはくすくすと笑い合った。
それから、俺はおもむろに立ち上がった。
「ちょっとお手洗いに行ってくる。どこにある?」
「カウンターの奥にあるよ。ちょっと狭いから気をつけて」
「ありがとう」
俺はモネが指し示した先にあるトイレに入って用を足した。なんだか足元がおぼつかない。羽目を外して、ちょっと飲みすぎたかもしれない。
翌日の二日酔いを覚悟しながらトイレを出た俺は、ある数人の姿が消えていることに気がついた。酔い潰れていたアーシャとさっきまで一緒に飲んでいたモネ、そして店主だ。
さらに俺の目を引いたのは、入口で見張り役を務めていたはずのノエルさんが倒れていることだった。
「ノエルさん!」
体を揺さぶっても全然目を覚まさない。その顔は真っ赤に染まっており、相当な酩酊状態であることをうかがわせた。
(一滴も飲んでいないのに、酔い潰れるなんておかしい……!)
俺はこれが緊急事態であることを察し、店の外に走り出た。
俺がトイレに入っていた時間はわずか数分。まだそんなに遠くへは行っていないはずだ。俺は店の屋根の上から、〈千里眼〉と〈熱感知〉を併用してアーシャたちの行方を探る。
(頼む……無事でいてくれ……!)
焦る気持ちを必死に抑えながら、俺は屋根から屋根へと跳び回った。