54話「沼地に住まう者たち」
俺たちはいま、リンギスに向かう街道を北上しているところだ。
この街道はジャロム山脈をほぼ迂回するような形で伸びており、山登りをしなくても済むのだ。
とはいえ、行く道が全く険しくないかというと決してそんなことはなく、起伏に富んだ地形に苦労しながら俺たちは先へと進んでいた。
そんな中、崖沿いの細い道を進んでいた俺たちは、ある地点で大きく欠けた道路を眼前にし、立ち止まらざるを得なくなった。
「土砂崩れか……」
先日の大雨が原因で地滑りが起こったらしく、向こう数百メートルに渡って道が途切れている。もちろん、どうあがいても向こう側までは渡れない距離だ。
「どうする? いったん引き返すか?」
「そうだねぇ。これじゃこの道は当分使えないだろう」
復旧されるまでにはだいぶ時間がかかるはずだ。俺たちは仕方なく、来た道を戻ることにした。
「別のルートとなると、山を一つ越えるか、もしくはさらに大きく迂回するかの二択になるだろうね」
「いま山を登るのは危ねぇんでねぇか? また地滑りすっかもしんねぇぞ」
「そうだね。そうなると、迂回する方を選ばざるを得ない」
「仕方ないな。ここで止まってるわけにはいかない。それに、急がば回れって言うしな」
俺たちは街道を途中まで戻り、そこから西へ大きく外れることにした。
高地から低地へ降りていくにつれ、だんだんと湿った空気が漂い始めた。足元がじめじめとぬかるんで歩きづらい。
道の両側には沼が広がっており、ときどき中からぽこぽこと泡が湧き出ている。
「ちょっとこわい……」
「ああ、なんだか不気味な雰囲気だな」
「色味が暗いからね。仕方ないよ」
「妾はこういうのも嫌いではないぞ」
「吸血鬼って陰気趣味なのか?」
「そんなわけあるか、たわけ! 噛むぞ!」
そんな他愛もない会話を交わしていたそのとき、俺たちの行く手に一人の少女が現れた。
全身を鱗に包まれ、指の間にヒレの生えた二足歩行の魔物たちに追われている。
「くそっ、しつこいな! こっち来んな!」
少女は走りながら魔物たちとの距離を離そうとしているが、なかなか上手くいかないようだ。
俺は〈身体強化〉〈質量操作〉〈加速〉を使って追いつくと、魔物のうち一体を魔剣で斬りつけた。
その途端、魔物たちの標的が少女からこちらへと移った。
「マッドサハギンだ。鋭い背びれに気をつけて」
やつらのユニークスキルは〈潤滑油〉。体の表面に油をまとえるスキルらしい。
スキルのコピーはできなさそうだし、耐久力もそこそこある。こういう敵はさっさと倒してしまうに限る。
俺が魔剣を翻し、胸元を一閃すると、マッドサハギンは地面に倒れ込んだ。
それを見たユウキも負けじと雷魔法で加速し、二匹目を一刀の下に切り捨てる。
「rednuht ekorodot!」
飛びかかってきた三匹目に向かってニアの雷魔法が炸裂。これで全員仕留めたことになる。
「こいつら、食えるんかな?」
「どうだろう。魚みたいな味がすると噂に聞いたことはあるけど、なにせ魔物だからね」
「食わないに越したことはないだろ。無理に食って腹壊しても知らないぞ」
「へへ、ちょっと聞いてみただけだ」
タオファは鼻の下をこすりながら笑った。さすがに実行に移すほどの向こう見ずではなかったようで、俺は安心した。
倒したサハギンたちにとどめを刺していると、先ほどの少女が駆け寄ってきた。
「助けてくれてありがとう!」
「いや、大したことじゃないよ」
「アンタたち冒険者だろ!? せっかくだからアタシの村に寄っていってよ!」
少女はキラキラと目を輝かせながら、俺の手を取った。断る理由は特にないのでうなずくと、少女は嬉しそうに俺たちを先導し始めた。
「アンタたち、どこからきたんだ?」
「出身国はみんなバラバラなんだ。例えば俺はアルカ王国のキセニア出身」
「へぇ、そっか! 世界には色んな国があるって言うもんな!」
アーシャと名乗る少女は、俺たちの話を一言一句楽しそうに聞いてくれた。それだけ喜ばれると、話している俺たちまで嬉しくなってくる。
そんなアーシャと話しながら道なりに沼地を進んでいくと、やがて彼女の言う村が見えてきた。
沼の上に突き立った巨大な岩の上に、村が立っている。岩からは橋がかかっており、道路につながっている。
「こんな奥まったところに村があるなんてなぁ」
「へへっ、いいだろ?」
アーシャが軽く挨拶すると、門番は無言で村の中へ入るよう促した。許可は不要ということらしい。
村の中は予想以上に広く、人々が元気に行きかっていた。ただ、彼らの服装はお世辞にもきれいとは言えなかった。また、村全体もどことなく汚れて見える。
例えるなら、スラムをそのまま村にしたような感じだった。
そんな村の様子を観察している俺たちの下に、グレーの髪をした男性が駆け寄ってきた。
「アーシャ! また村の外に出たのか!」
「ああ、そうだよ! いいだろ、ちょっとくらい!」
「いいわけないだろう! こっちに来い!」
男性はアーシャの耳をつまみながら家へと入っていく。俺たちは困惑しながらその家の玄関で立ち止まった。
「何度言ったら分かるんだ! 村の外は危ないから出るなといつも言ってるだろう!」
「そんなこと言ったら、この村の中しか動けないじゃないか!」
「ああ、そうだ! それで十分だ!」
「父さん、アタシ今年でもう14だぞ! 自分の面倒くらい自分で見られる!」
「世間から見たらまだまだ子供だ! 冒険者になるだなんて、また言い出すんじゃないだろうな!? 父さんの目の黒いうちは許さないからな!」
「夢くらい持ったっていいだろ! 父さんの分からず屋!」
アーシャはそう叫ぶと、玄関から飛び出していった。アーシャの父親は嘆息しながら俺たちの方へ歩み寄ってきた。
「うちの娘がお世話になったようで、どうもありがとうございました」
「いや、ほんと大したことはしてませんから」
「お礼に一杯お茶でもいかがですか?」
「遠慮なくいただこうではないか」
「ちょっ、シエラ!」
ずかずかと上がり込んでいくシエラを追って、俺たちもなし崩しに家の中へと入っていった。
質素なつくりの室内には、必要最低限の家具が置いてある。俺たちは促されるままに椅子に腰掛けた。
「私、アーシャの父親をしておりますノエルと申します」
「俺はアケビ。こっちがニアで、このちっこいのがユウキ。背が高いのがタオファで、色白のがシエラ」
「ちっこいのって言うな!」
ユウキのツッコミは軽く流しておいて、俺は気になっていることを尋ねることにした。
「この村はどういう村なんですか? 気を悪くしたら申し訳ないんですが、あまり環境がいいとは思えなくて」
「ここは訳ありの流れ者たちが行き着く村でしてね。かくいう私とアーシャも、とある理由で国を出てきたのです」
「そうだったんですか」
道理で全体の雰囲気がどことなく暗いわけだ。こんな住みづらい沼地にわざわざ村を作って住んでいるのも、それが理由なのかもしれない。
「アーシャに『外に出るな』としつこく言っているのはそのためなんですが、なかなか分かってもらえなくて……」
「あはは、年頃ですもんね。俺も同い年だからよく分かりますよ」
「良かったら、この村にいる間だけでも仲良くしてやってください」
「分かりました。お安い御用です」
俺はぽんと胸を叩いた。親子の仲直り、手伝ってやろうではないか。