53話「フードファイト!」
支度を整えた俺たちは魔女の湯を出た。
「それじゃ行こうか、ネリーさん」
「そうだね……よし、行こう」
ネリーさんが戸締まりを終えると、サングラスをかけてタバコを手にしたガラの悪い男が、こちらに歩み寄ってきた。
「おう、逃げずに来たな、ばあさん」
「当然だよ。あたしゃ負ける気なんてないからね」
「ふん。その威勢もいつまで持つかね? まあ、楽しみにしてるよ」
笑いを口に浮かべながら、男は俺たちを先導していった。
裏手の空き地に設置された会場には、すでにゴーマン商会の連中がスタンバイしていた。
ステージ前には噂を聞きつけた街の住人たちが大勢押しかけており、観客席はすでにいっぱいになっている。
おそらく、ゴーマン商会がなにか上手いことを言って宣伝したのだろう。こちらにプレッシャーをかけるための策略かもしれないと俺は思った。
「参加される選手の方はステージ横で待機をお願いします」
呼び出しを受けた俺は、ネリーさんの手を握った。
「行ってくるよ」
「気をつけるんだよ。連中、何をしてくるか分からないからね」
「大丈夫だ。俺に任せて、ネリーさんはどんと構えててくれ」
心配そうに見つめるネリーさんの肩を軽く叩いてから、俺はステージ横へ向かった。
隣に立っているのは、恰幅の良いモヒカンの男だ。Tシャツの裾から腹の肉がはみ出している。こいつが今回の対戦相手か。
そんな風に値踏みをしていると、会場のスタッフが横から声をかけてきた。
「すみません、お名前をおうかがいできますか?」
「アケビ・スカイだ」
「アケビ・スカイ様ですね。かしこまりました」
アナウンスするときに使うのだろう。全く、手の込んだ大会だ。
『それでは、選手の入場です! 赤コーナー、デーブ・コング選手! その巨体に違わぬ食欲で、今日は何枚の皿を平らげてくれるのでしょうか!』
両手を挙げながら、デーブはステージに上がっていく。その途端、観客席から拍手と歓声が湧き起こった。盛り上がりは十分のようだ。
『青コーナー、アケビ・スカイ選手! 一転してスレンダーな体型をしております! しかし、彼の食欲は未知数! 果たしてどんな戦いを繰り広げるのか!』
俺は控えめに左手の拳を挙げながらステージに上がった。ニアたちを始め、観客席から黄色い声が上がる。見たか、女性人気では俺の方が上だぞ。
『制限時間は20分。時間内に何枚のステーキを食べられるかで勝負を決します!』
お題はステーキか。まあ、何が来ようと問題ない。口に入れてしまえばこちらのものだからな。
目の前に置かれたアツアツのステーキを見たら、よだれが湧いてきた。ダメだ、味わうのは我慢しろ。今回は大食いが目的だ。
『それでは試合を開始します! 3、2、1、スタート!』
笛の音とともに、試合はスタートした。
俺はステーキを最低限口に入る大きさに切ると、リズム良く口に入れていった。そして口に入った瞬間、〈縮小化〉を発動して最小化し、米粒くらいのサイズになった肉片をまとめて飲み込む。
デーブは目を丸くして俺を見ている。無理もない。まだステーキの半分も食べ切っていないみたいだからな。
俺は悠々と人差し指を挙げ、おかわりを要求した。
『なんという早さでしょうか! アケビ選手、さらっと一枚食べ切りました!』
それを見たデーブも負けじと残りの半分を飲み込み、おかわりを要求した。彼のユニークスキルは〈胃拡張〉。大食いにはうってつけのスキルだろう。
『デーブ選手もおかわりを要求! これで並びまし――おおっと、アケビ選手、すでに二皿目を完食! 三皿目に入ります!』
米粒と肉の切れ端では、食べるスピードに圧倒的な差が生まれるのは必然。俺は三皿目も同じ要領でパクパクと食べていった。
「いいぞ、アケビ!」
「その程度か、アケビ! もっと行けるじゃろう!」
必死にステーキに食らいつくデーブの横で、俺はシエラを指差した。
「よーし、分かった! そこまで言われたら俺も本気を出す! おかわり、次からは二枚ずつくれ!」
俺の発言を聞き、今度はデーブだけでなく、観客席の人々まで全員目を剥いた。
俺は四皿目と五皿目のステーキを素早く切り刻むと、両手でフォークをつかみ、肉片を交互に口の中に入れていった。
『これはすごい! 両手食いです! これには会場も大いに沸いております!』
凄技の連発に会場は大盛り上がり、ついにはアケビコールまで飛び出す始末。シエラはこうでなくてはと言わんばかりに大きくうなずいている。
デーブも全力で挑んでいるのだが、いかんせん相手が悪かった。皿の枚数差はどんどん開いていき、やがて10分を過ぎる頃にはトリプルスコアの大差になっていた。
俺はデーブに歩み寄り、その肩に手を置く。
「なあ、まだやるか? もういいだろ」
すると、デーブは俺の手を振り払った。
「馬鹿野郎! 俺はフードファイターだぞ! お前がどんなに強かろうと、俺は最後まで戦う!」
脇目も振らずに肉に食らいつくデーブを見て、俺は自らの失言を恥じた。こいつ、なかなか熱い男じゃないか。
「悪かった。なら、俺も本気で戦うよ」
俺は自分の席に戻ると、両腕に〈加速〉を発動した。いままでの倍の早さで肉を口に放り込んでいく俺を見て、観客たちの盛り上がりは最高潮に達した。
そうして双方がステーキを食らい続け、20分が経過した。再び笛が鳴り響き、試合の終わりを告げる。
『試合終了! 結果は見事、アケビ選手の大勝です!』
後ろのスコアボードを振り返ると、アケビ・スカイ86皿に対し、デーブ・コング28皿。差は縮まることはなかったが、お互い全力で戦った。
俺とデーブは互いを認め合い、固い握手とハグを交わした。
「誰がどう見たってお前さんの勝ちだ。おめでとう」
「いや、あんたも十分強かったよ。俺にフードファイターとしての礼儀を教えてくれてありがとう」
「頑張れよ、次世代のチャンピオン」
デーブは俺の右手首を握り、高々と掲げた。
『いま、帝国一のフードファイター・デーブ選手からアケビ選手へ、しっかりとたすきがわたされました!』
帝国一ってマジ? そんな相手と俺は戦っていたのか。ゴーマン商会もまさか、そんな男がぽっと出の少年に負けるなんて、思ってもみなかっただろう。
俺は大きな拍手に包まれながらステージを降りた。ネリーさんは泣きながら俺の肩を抱いた。
「ありがとう、本当にありがとう」
「なに泣いてんだよ、ネリーさん」
「年を取ると涙もろくなるんだよ!」
背中を叩かれた俺は、仲間たちと笑い合った。これでもう魔女の湯が狙われることはないだろう。安心して旅に出ることができる。
そのとき、背の低いスーツの男がサングラス男を伴って、俺たちに歩み寄ってきた。
「私はゴーマン商会の会長、メッシ・ゴーマンです。以後お見知り置きを」
「まだ何か文句があるのかい?」
「いや、魔女の湯の存続についてはもう何も言うことはありませんよ。その少年がここまで活躍するとは思っていませんでしたがね」
当初の筋書きでは、勝負に勝って土地を買い上げるつもりだったのだろう。では、負けた場合の筋書きは?
「私からあなたに一つ提案がある。私たちと一緒に商売をしませんか?」
「はあ?」
「事業提携しませんか、と言っているんですよ」
「事業提携!?」
ネリーさんは目を丸くした。土地の買収にあそこまで固執していたゴーマン商会が折れるなんて、想定外だったのだろう。
「魔女の湯はそのまま残し、我がホテルゴーマンの目玉温泉として組み込むんです。悪い提案ではないと思いますが、いかがかな?」
「待っておくれよ。いきなりのことで何が何だか」
「企画書ならここにまとめてある。あとでゆっくり読んでおいてくれ」
サングラス男はネリーさんに書類を手渡すと、こっそり耳打ちした。
「言ったろ? 会長はフードファイトに熱を上げてる、ってな」
「あんた、まさか……」
サングラス男はサングラスをずり下げ、ネリーさんに向かってウインクした。
この男、なかなかのやり手だったようだ。会長を上手く丸め込むだけでなく、ネリーさんの望みまで叶えてしまった。
「それでは後日、また話をうかがいに来ます。どうかいい返事を聞かせてくれることを願っていますよ」
メッシ・ゴーマンはそう言うと、颯爽と去っていった。
「良かったじゃん、ネリーさん」
「そうだねぇ。あんたのおかげだよ、ありがとう」
「全くもってお人好しじゃからな、こやつは」
背中をバシバシと叩かれ、苦笑した俺は、ふとあることを思い出した。
「あっ、そうだ。お願いがあるんですけど」
「なんだい? なんでも言っておくれ」
「今夜はみんなでステーキが食いたい!」
それを聞いたみんなは呆れ顔で笑った。