幕間「テロンの惨劇」
昼下がりの裏路地で、俺たちはひっそりとたむろしている。理由はもちろん、今日の”仕事“をこなすためだ。
しばらく通りの様子をうかがっていた俺は、キースに肩をどつかれた。
「おい、早くあいつの財布盗ってこい」
「……分かった」
俺は自然な動きになるよう心がけながら、ターゲットに接近した。
すれ違い様にナイフでバックパックの下部を切り、できた穴から財布を取り出す。さっき中にしまうところを見ていたから、狙うのは簡単だった。
俺は自分の懐にその財布を隠しながら、キースたちの下に戻った。
キースは俺から財布をふんだくると、中身を見てにやりと笑った。
「おい、今日は1万ジラも入ってるぞ」
「大漁だな。さすがゲイルだ」
キースは取り巻きの連中としばらく笑い合った後、財布の中に入っていた硬貨を抜いて俺に渡してきた。
「これ、お前の取り分な」
「ありがとう」
500ジラある。これなら数日は食いつなげそうだ。
「場所を変える。行くぞ」
キースは有無を言わせぬ威圧感のある声色で言った。
彼はこのスラムに住まうストリートチルドレンたちのリーダーだ。彼に逆らえば、どんな報復を受けるか分かったものではない。
俺は毎日こうしてキースにこき使われながら、わずかばかりのおこぼれをもらって過ごしているのだ。
俺が家を出たのは、両親からの愛情を感じなかったことが理由だった。彼らは俺に全く関心を抱かなかった。
要は育児放棄ってやつだ。この年齢まで無事に生きてこられたのが不思議でしょうがないくらいだ。
しかし、わずかばかりの夢を見て外に出てみれば、似たような境遇の子供たちは沢山いて、俺みたいな存在は珍しくないんだと気がついた。
そしてその中でも、世渡りが上手いやつと下手なやつの間で大きな差が生まれることを知った。
おれは”上手いやつ“の側になるため、キースに取り入った。てっぺんになれなくても、その下について従っていれば全てが上手くいく。
最初はそう思っていた。
「おい、どうした? 早く行けよ」
俺は背中を蹴られ、広場へと足を向けた。かばんを脇に置いたまま、居眠りしているやつがいる。そいつが次のターゲットだ。
おれはそのかばんの隣に座ると、周囲の目を見計らって素早く中に手を入れた。それらしい感触を勘で確かめ、つかんだまま腕を抜く。
盗った物を懐にしまうと、俺は怪しまれないうちにそそくさと立ち去った。
「どうだった? 見せてみろ」
俺はキースに言われるがままに物を差し出した。よかった、無事に財布を盗めていたようだ。
「ちっ、しけてやがんな。3000ジラしか入ってねえ」
キースは硬貨を一枚、俺の方に放り投げた。たったの100ジラだ。さっきのと合わせて600ジラ。まあまあの額と言えた。
「今日はこんなもんにしとくか。欲張ってお巡りに捕まってもバカらしいからな」
キースは取り巻きと談笑しながら盗ったお金をやり取りした後、俺に手を振った。
「次もまたよろしく頼むぜ、ゲイルくん」
キースの後ろ姿を見送りながら、俺は600ジラをぐっと握りしめた。
この肥溜めのような路地裏で、こんなみじめな毎日を過ごしていくのか? これからもずっと?
俺は行き場のない怒りに震えた。
こんな人生になったのはなぜだ? 一体誰が悪いんだ? 俺か? 俺の両親か? キースか? それとも社会が悪いのか?
バカな俺には、その怒りの理由もはけ口も思いつかなかった。心の中でくすぶるどす黒い炎を抱えながら、俺は薄暗い路地を歩いていく。
そのときだった。空から落ちてきた何かが、地面にカツンと当たって跳ねる。それから、俺の足元にコロコロと転がってきた。
木の杖だ。何のひねりもない、質素なデザインの杖だった。俺は何の気無しにその杖を拾い上げた。
その瞬間、とても黒くて冷たい何かが俺の中に流れ込んでくるのを感じた。全身を満たす興奮と全能感に、俺は心を委ねた。
この杖があれば、俺は何にだってなれる。根拠はないが、そんな気がした。
俺は破壊衝動の赴くままに、キースたちのたまり場に足を向けた。いまの俺ならやれる。このスラムのてっぺんを取れる。
取り巻きと何やら話していたキースは、俺に気がつくとこちらを振り向いた。
「おう、どうしたゲイル? まだなんか用か?」
俺は黙ったままキースに近づいていく。不穏な空気を察した取り巻きたちが、俺の前に立ちはだかった。
「何のつもりだ? あぁ?」
俺は杖の先から茨を放ち、取り巻きたちの首を締め上げた。やつらは苦しそうにもがきながら宙に浮き上がる。
「おい、なんだよそれ……!」
キースは怯えた表情で後ずさっていき、やがて壁際にへばりついた。俺はさらに数歩近づき、追い詰めたキースをも茨で捕らえた。
「じゃあな、キース。今まで楽しかったよ」
俺は杖の尖った方の先端でキースの胸を突き刺した。杖が血肉と魂を吸収し、ドクドクと脈打つ。
萎れたキースの死体を地面に放り捨てた後、俺は取り巻きの連中の胸を一人ずつ突き刺していった。
そうして全ての作業が終わった後、俺は心の中で決意した。
俺はこの杖の力で、この理不尽な世界をぶっ壊してやる。
それから、俺の脳内にむくむくと思考が芽生えてきた。
まずは賢者の末裔だ。その女がいまちょうどこの街に来ている。なぜかは分からないが、居場所を感じとれるのだ。
そいつを殺せば、杖の五つ目の封印が解けるだろう。そうすれば、俺はもっと強くなれる。
俺はその女が滞在している場所へと足を運んだ。
小さな教会の入口に、長い行列ができている。俺は構わずその中に足を踏み入れた。
正面には、小さな男の子に回復魔法をかけている女の姿があった。近づいていく俺を見た女は、毅然とした態度で立ち上がった。
「何の用でしょうか? 順番は守っていただかないと――」
「……見つけた」
俺はにやりとほくそ笑み、無言で杖から茨を放出した。すると女は両手を広げ、こちらに向けた。
「バリオル!」
半透明な球状の膜が女の全身を包み込み、茨をガードする。
「皆さん! 逃げてください! 早く!」
列に並んでいた人々は叫びながら外へ逃げていく。
俺は杖の先端から黒い刃を出現させ、バリアを切り裂いた。胸元を切り裂かれた女は、傷口を手で押さえながらひざまずく。
「そんな……っ!」
俺が出した茨に巻きつかれた女は、成す術なく宙に浮かんだ。
「これで五人目だ!」
「エリー様!」
駆けつけてきた警備兵たちに、俺は返り血まみれの顔で振り返った。杖が脈動し、女の血肉と魂を吸い取っていく。
「やつを捕らえろ! 殺しても構わん!」
剣を一斉に抜き払った警備兵たちを一瞥した俺は、首をコキコキと鳴らした。
「うっとうしいんだよ、雑魚どもが」
「かかれ!」
斬りかかってくる兵たちを倒せないわけではないが、いちいち相手するのは面倒くさい。俺は少し思案してから、この場を離脱することに決めた。
俺は兵士たちに無数の茨を巻きつけながら外に出た。これで身動きは取れまい。
俺の人生は今日ここから始まるんだ。清々しい気持ちで俺は街を歩いていく。それを邪魔する者は誰もいない。




