35話「犯人の正体」
ジークの母親ヒラリーがさらわれてから早くも三日が過ぎた。
昼間の聞き込み調査や夜間のパトロールを行ったものの、めぼしい成果は残念ながら得られなかった。
ただ聞き込みをしていくうちに、一つ分かったことがある。それは、犯人は女性を優先的に狙うということだ。
そこで俺たちは、ある計画を立てることにした。そしてついに今夜、満を辞して霧の深い夜を迎える段となった。
「というわけでシエラ、囮頼んだぞ」
俺が肩をぽんと叩くと、シエラはむすっとした表情で口を尖らせた。
「前々から思ってたんじゃが、妾の扱い、雑じゃない?」
「頼りになるってことだよ」
「そ、そうか? ならやってやらんこともないぞ!」
シエラはふんと鼻を鳴らしながら自慢げに腕を組んだ。この吸血鬼、実にチョロい。
という冗談はさておき、彼女を囮に選んだ理由は、〈超回復〉を持っていて奇襲に強いということと、見た目はうら若い少女に見えるということの二つだ。
犯人はシエラの正体をまだ知らない。事件の調査をしている冒険者でもある彼女が単独で行動していれば、必ずや狙ってくるはずだ。
「絶対にやつを仕留めるぞ」
俺たちは互いの顔を見ながらうなずき合った。この作戦は仲間同士の連携が重要な鍵となる。
「行ってらっしゃい。ご武運を」
「行ってきます!」
それぞれ女将さんに挨拶すると、俺たちは宿屋を出てそれぞれの作戦行動に入った。
俺は〈縮小化〉を使って物陰に隠れながら、シエラの行動を〈地獄耳〉と〈熱感知〉で追跡する。
『私、か弱い女の子。えーんえーん、おうちが分からなくなっちゃったよぉ。みんなぁ、どこにいるのぉ?』
クッソ下手くそな小芝居をしながら、シエラは霧に包まれた道路を歩いていく。そういうのはいらないんだよなぁ……。
大通りから角を曲がって、細い路地へ入っていく。ここからが本番だ。
不自然にならない程度に薄暗い物陰を選びながら、シエラは路地を歩いていった。
と、そのときだった。大きな影がシエラの近くに降り立ち、覆い被さろうとする。
その瞬間、シエラのパンチが影の主を豪快に吹き飛ばし、壁に叩きつけた。
「莫迦め! 妾に触れられると思うたか!」
「ぐふっ……!?」
人狼は戸惑いながら背を向けて駆け出す。しかし、それを見逃す俺ではない。〈縮小化〉を解くと、〈身体強化〉と〈加速〉を使って魔剣を一閃した。
「今度こそ!」
「ぐあぁっ!」
胸元を切り裂かれた人狼は、たまらず上空に飛び出した。すると、屋根の上で待ち構えていたタオファがそこに飛びかかり、かかと落としを叩き込んだ。
「逃げるでねぇ、卑怯者!」
「がっ……!」
地面に叩きつけられた人狼は、ひび割れた石畳を踏みしめながら、ふらりと立ち上がる。
逃げ道として残っているのは、俺とシエラから見て反対側の路地だ。そちらに向かって走り出す人狼を、紫電の一振りが斬り裂く。
「逃がさないよ!」
「ぎゃあっ!」
「erif oreom!」
遅れて駆けつけたニアが火球をぶつけると、人狼の全身が炎で焼け焦げた。
「熱い! 熱いっ!」
地面を転がってなんとか鎮火した人狼に、俺は大量の〈雲泡〉を発射した。体を覆い尽くすほどの泡が出たところで〈硬化〉を発動すると、泡はカチカチになって人狼を拘束した。
「ようやく捕まえたぞ」
「なんなんだお前ら……!」
「通りすがりの冒険者だが?」
「畜生!」
人狼は暴れようと試みるが、固まった泡はびくともしない。
俺はやつのそばにしゃがみこみ、その頭を鷲掴みにして引っ張り上げた。
「いままでにさらった人たちの居場所を言え」
「誰が言うぶっ――!?」
「いいか、質問には真面目に答えろ。でないと、俺の手がどんどん重くなるぞ」
やつの顔面を一発殴った俺は、やつの首の後ろに手を置いて〈質量操作〉を発動した。まずは軽めから。
「もう一度聞く。さらった人たちの居場所を言え」
「へへっ、もう全員食っちまったよ……ぐあっ……!」
俺の手が少し重くなり、人狼は苦悶した。
「本当だよ! 全員生贄になった!」
「生贄……? なんのことだ?」
「それは……言えねえ……!」
逡巡する人狼を見た俺は、手をさらに重くした。
「ぐああっ……頼む、それだけは勘弁してくれ! 言えない約束になってるんだ!」
「黒幕は誰だ! 言え!」
「この事件を考えたのは俺じゃねえ! 魔女だ! 霧の魔女が――」
その刹那、人狼の目玉がぐるんと裏返って白目になり、ぱたりと意識を失った。
「ちょっと喋りすぎだねぇ」
「っ……!?」
いつの間にか目の前に立っている傘を差した女性に、俺は面食らった。どこから現れたのか全く分からなかった。俺はとっさに飛びずさる。
「まあ十分働いてくれたからよしとしようかねぇ。おやすみ」
霧の魔女は屈み込んで人狼のまぶたをそっと閉じた後、俺の方を見る。
「お前が霧の魔女か?」
「その通り。はじめまして、冒険者諸君」
「ヒラリーさんをさらったのはお前か……!」
「人狼くんがこの前連れてきた彼女のことかい? あの子は生贄としてはあまり良くなかったねぇ。少ししかマナが『収集』できなかったよ」
魔女はあっけらかんと言い放つ。俺は怒りとともに魔剣を握りしめた。
「人を使い捨ての道具みたいに言いやがって……!」
「私にとってはそうさ。この世界の人間に価値はない。ならせめて、私の糧になってもらおうじゃないのさ」
「ふざけるな!」
俺は〈加速〉を使って魔女に斬りかかった。しかし、俺の斬撃はなぜか魔女の体をすり抜けて空を切った。
「それは魔剣かな? 結構やっかいなものを持ってるねぇ」
いつの間にか俺の背後に立っていた魔女を俺は再び斬りつける。またしても刃が空を切り、俺はたたらを踏んだ。
こういうときはまず相手の居場所を見極めることだ。〈地獄耳〉と〈熱感知〉を発動した俺は、最大限の注意を払いつつ周囲を見渡した。
――いた。タオファの斜め前に立っている。
「タオファ! 10時の方向だ!」
「こっちか!?」
タオファの蹴りを魔女は開いた傘で受け止めた。ガンという音がして、魔女は姿を消す。
「居場所が見えるとは驚いたねぇ」
「小手先の目眩しはやめて、正々堂々と勝負しろ!」
「あなたがそう言うなら、そうさせてもらうよ。ただし、後悔はしないことだねぇ」
魔女がそう言うと、霧が次第に薄くなっていく。
やがて現れたのは、全身黒ずくめの女性だった。半袖のワンピースに帽子を被り、肘までの手袋をして傘を差している。
魔女は空いている方の右手でぱちんと指を鳴らした。
「うっ……!?」
「これは……!」
途端に、仲間たちがドサドサと倒れていく。残ったのはシエラと俺だけだった。
「俺の仲間に何をした!」
「なに、ちょっと眠ってもらっただけさ。一度に相手するのは面倒だからねぇ」
あの霧が睡眠薬の役割を果たしたということか。俺には〈精神防護〉があるから効かなかったのかもしれない。
そして一緒に吸い込んだはずのシエラが立てているのは、吸血鬼が持つ類稀な回復能力のおかげだろう。
もしそれが猛毒だったらと思うと、ぞっとしなかった。
「さて、それじゃあやりますか」
霧の魔女は優雅にくるりと傘を回した。まるで無防備なその構えだが、〈動作予知〉はそれが相手を油断させるためのブラフであることを読み取っている。
「いけるか、シエラ?」
「言わずもがなじゃ!」
俺たちはそれぞれ身構えると、霧の魔女に対峙した。