31話「ひとときの休息」
俺たちは田園地帯を通り抜け、辺境の町パームにやってきた。
いかにも田舎の静かな町といった感じで、特別何か目立つものがあるというわけではないが、のどかな雰囲気が心を和ませてくれる。
特にやることもないので、いまは宿屋の一室でくつろいでいるところだ。
「やっぱりおらはこういう場所の方が性に合うな! 都会にいると気が休まらねぇ」
タオファはウッドデッキに立って、大きく伸びをしながらひとりごちた。
「たまにはこういうのも必要だな」
ロッキングチェアに座って船をこぐニアを見つめながら、俺はつぶやく。
これまで俺とニアはずっと動き詰めだったから、こういうゆったりした時間が過ごせるのは素直にありがたかった。
「分からないよ? 突然事件が起きて街全体が騒然! なんてことがあったりして」
「そんなバカな。本の読みすぎだ」
俺が笑うのを見て、ユウキも釣られて笑った。わざと冗談めかして言っていたらしい。
そんな他愛もない会話の最中、ノックの音が聞こえて、俺は入口のドアを開いた。
「夕食をお持ちしました」
「ああ、どうぞどうぞ」
女性スタッフがキャスターに乗せて持ってきたトレイの上には、温かいスープとパンにサラダ、それからステーキのようなものが乗せられていた。見るからに美味しそうだ。
そのスタッフは人数分の夕食をキャスターからテーブルに移すと、手で指し示しながら説明した。
「ミルク入りの野菜スープとスマッシュビーンのサラダ、それからこちらは牛肉のソテーとなります。なにか足りないものがございましたらお申し付けください」
「ありがとうございます」
説明を終えた女性スタッフは、それまで笑顔だったのが急に神妙な顔つきになり、ひそひそ声で喋りだした。
「それと、夜はあまり外出なさらないようにしてください。吸血鬼が出ますから」
「吸血鬼?」
「はい。この地方では、夜になると吸血鬼がやってきて、出会った人間の血を吸い取ってしまうんです……!」
「血を……!?」
「というのは冗談で、単なる言い伝えです」
「なんだ、ただの伝説かよ!」
俺たちはたまらずずっこけた。和やかなムードの中に笑いがこぼれる。このスタッフ、なかなか場の空気をつかむのが上手いようだ。
「それではごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
一礼をして下がっていく彼女の背中を見届けると、俺たちは早速料理にありついた。
俺はまずサラダに手をつけた。
シャキシャキしていて美味しい。スマッシュビーンの弾けるような食感がアクセントになっており、あっさり目のドレッシングと合わさって絶妙な味わいを生み出している。
次に俺が口に運んだのは、スープだ。
よく煮込まれているおかげで、根菜は柔らかく、味が染みている。ミルクが入っていることでまろやかさが際立っていて、ふかふかのパンに絡めて食べるとたまらなく美味い。
最後に俺は牛肉のソテーに口をつけた。
ソテー単体でも十分に美味しいが、これをスープと組み合わせるとさらに美味しい。濃厚なコクのあるスープと少しピリ辛な味付けのソテーとの相性が抜群に良いのだ。何皿でもいけてしまいそうだ。
絶品料理に舌鼓を打ちながら食べていくと、あっという間に完食してしまった。他の三人と一匹も美味しく食べられたようで、満足そうな顔をしている。
「いやぁ、食べた食べた」
「おいしかった!」
「本当うんめぇなぁ。ずっとここで暮らさねぇか?」
「無茶なこと言うなよ!」
俺はツッコみながら背もたれに寄りかかった。さっき風呂も入ったし、いい気分だ。
「疲れたし、今日は早めに寝とくか?」
「そうだね。明日は国境越えだから、体力を養っておきたいところだ」
「何もねえときは寝るのが一番だ」
「うん!」
俺たちは明日の旅支度をしてから、寝に入ることにした。
生まれてこの方アルカ王国から出たことがない俺にとっては、未知の世界に足を踏み入れることになる。楽しみで胸をいっぱいにしながら、俺はベッドに横たわった。
◆◆◆
「寝れねぇ……!」
まさか、ワクワクしすぎて目が冴えてしまうとは思わなかった。俺もまだまだ子供ってことか。
他の三人を起こさないよう慎重にベッドから這い出た俺は、ウッドデッキで少し夜風に当たることにした。
こんな穏やかな夜には、たそがれるのがちょうどいい。
ときおり〈地獄耳〉を使って遠くの会話を聞きながらまったりしていると、なにやら物騒な物音が聞こえた。
『た、助けて!』
男性の声でたしかにそう叫んだのが聞こえた。俺は魔剣を手に持ち、〈身体強化〉を使ってウッドデッキから地面に飛び降りた。
〈質量操作〉〈加速〉で速度を上げながら現場に急行すると、そこには奇妙な光景があった。
大柄の男性が小柄な少女に壁際まで追い詰められていたのだ。逆なら分からなくもないが、なぜこんなことになっているのか。
俺の存在に気づいた男性は、ずりずりと這い寄ると俺の足にすがってきた。
「助けてくれ!」
「もうちょっとでいいところじゃったのに、とんだ邪魔が入ったのう」
黒いドレスの少女は残念そうに言いながらこちらを見据えた。その宝石のような赤い瞳を俺はにらみ返す。
「お前、この人に何をした?」
「なに、ちょっと血をもらおうとしただけじゃ。悪いことは何もしとらん」
「十分悪いことだろうが」
俺は魔剣を抜くと、その切っ先を少女へ向けた。
「か弱い少女に刃を向けるなんて、ひどいとは思わんのか?」
「どこがか弱い少女なんだよ。吸血鬼だろお前」
少女のユニークスキルは〈水面歩行〉と〈血の盟約〉。
前者は言うまでもない。そして後者は吸血と引き換えに相手を眷属として隷属させるスキルだ。
普通の少女がそんなスキルを持っているわけがない。まさか伝説上の存在が実在するとは思わなかった。
「おや、どうしてバレたんじゃ? 不思議なこともあるものじゃ」
吸血鬼は肩をすくめると、美しい銀髪をたなびかせながら半身に構えた。
「じゃったら、もう手加減する必要はないの」
吸血鬼が放つ猛烈な殺気を感じ、俺は身震いした。本気でやらなければやられる。そう思った。
「逃げてください! 早く!」
「ひ、ひいぃ……!」
男性が逃げていくのを〈地獄耳〉で聞き届けると、俺は魔剣をぐっと握りしめた。
吸血鬼はくいくいと手招いてきた。こちらから来いということだろう。ならばお望み通り、仕掛けてやる。
「はっ!」
俺は瞬時に踏み込み、下から剣を振り上げた。吸血鬼はそれを半歩退いて最低限の動きで避け、前蹴りで反撃してきた。
「ぐっ……!?」
重い岩がぶつかったかのような衝撃に俺は驚いた。その威力を受け流すため、わざと後方へ吹っ飛ぶ。
とっさに〈身体強化〉と〈硬化〉を使用していなかったら、今ごろ内臓が損傷していたに違いない。
「ほう、いまのを耐えるか」
「あんまり上から目線でいると、足下をすくわれるぜ」
「なに……?」
吸血鬼は自分の頬が軽く斬られていることに初めて気づいたらしい。急速に治っていく傷口を触り、手についた血をぺろりと舐め取る。
「お主、名は?」
「アケビ・スカイだ」
「妾はシエラ・ミューズ・ルビーリント。定命なる者よ、せいぜいあがいてみせるがよい」
シエラは再び俺を手招く。
今日は長い夜になりそうだ。