26話「魔女の目論見」
氷の魔女は広場の中央に置いてある鍋の前にゆっくりと腰掛けると、手のひらをかざした。
「カグファ。コルド」
右手から発した炎で薪に火をつけ、左手には手のひらからはみ出るサイズの氷塊を生成する。
それから、かごの中の薬草や根を取り出し、その氷塊と一緒に鍋の中に投入した。
そのうち、氷塊は溶けて水となり、沸き立って湯となった。薬湯の青臭い香りが周囲に漂い始め、鼻をつく。
一体何のためにこんなことをしているのか? 村全体を氷漬けにしてまでやることか? 彼女のやらんとしていることがさっぱり分からない。
俺の頭上にぐるぐるとはてなマークが回っている間に、鍋は十分煮立ったようだ。氷の魔女は鍋を下ろして火を止めた。
「ついてきて」
氷の魔女がぱちんと指を鳴らすと、俺の体を覆っていた氷は粉々に砕け散った。
ここで背後から斬りかかることもできるが、それでは元の木阿弥だ。俺たちは仕方なく、彼女についていくことにした。
少し歩いた後、彼女は大きな納屋の前で立ち止まった。そこだけは氷に覆われておらず、正常な建物の機能を保っているらしかった。
彼女はその戸をがらりと開いた。
納屋の中には、たくさんの人たちが苦しそうに横たわっているのが見える。
「これは……?」
「流行り病に倒れた人たち。いまから治療する」
氷の魔女は鍋を床に置くと、お椀に薬湯を注いで、一人の患者の下へ持っていった。起き上がる力さえない患者の口に、彼女は木のスプーンで薬湯を注いでやる。
俺は驚きを隠せなかった。彼女はこの村の人間に危害を加えようとしているものだとばかり思っていたからだ。
「なあ、本当に治療するだけか?」
「そうだよ」
「氷漬けになってるあの人たちは?」
「病気が移らないよう、一時的に凍らせてるだけ。ちゃんと生きてるから大丈夫」
ということは、別にこの村を滅ぼそうとかそういう話ではなかったわけだ。
意味深な感じで出てきて意味深なことを言うから、うっかり悪いやつだと勘違いしてしまったじゃないか。
「じゃあ、なんで最初からそう言わなかったんだ……?」
「聞かれなかったから」
「マジかよ……」
こちらの早とちりがあったにせよ、口下手にも程がある。ちゃんと言ってくれれば、あんなことにはならなかったのに。俺は思わず頭を抱えた。
「アケビくん。彼女、悪い人ではなさそうじゃないか」
「そうみたいだな……」
「おらたちも手伝おうか? この人数を一人でこなすのは大変だろ?」
「そうしてもらえると、助かる」
それから俺たちは罪滅ぼしの意味も込めて、氷の魔女の治療行為を手伝うことにした。一人ずつに薬湯を与え、濡れタオルで顔を拭いてやる。
患者たちはみな元気がないものの、看病してあげると「ありがとう」と言ってくれた。
ときには氷の魔女に対する感謝の念を述べる者もいて、俺は改めて自分の思い違いを悔いることになった。
そうして納屋での治療を終えた俺たちは、広場に戻ってきた。
俺は氷の魔女に向き直り、深々と頭を下げた。
「さっきはいきなり斬りかかって悪かった!」
「ううん、気にしてないから大丈夫」
(これは怒ってる……のか?)
氷の魔女は顔色一つ変えずに言い放った。彼女、表情に乏しいせいでいまいち感情が読み取りづらい。もしまだ怒っていても全然分からなさそうだ。
「今日の治療は終わり。また来る」
彼女は鍋を元あった広場の中央に戻すと、俺たちに背を向けた。
「あっ、ちょっと待ってくれ。一つ質問がある」
「なに?」
ユウキに呼び止められた氷の魔女は、ゆっくりと振り返った。
「茨の魔女の居場所を教えてくれないか?」
それを聞くと、氷の魔女はあごに指を当て、悩ましげにうーんとうなった。
「私たち、別に仲間というわけではない。ただ目的が一緒なだけ。だから、どこにいるかは知らない」
「そうか……分かった。ありがとう」
ユウキはそれを聞くと、がっくりと肩を落とした。ユウキがここまで感情を露わにするのは珍しい。よほどショックだったとみえる。
「それじゃ、帰る。またね」
「ああ、気をつけて」
かごを抱えて去っていく氷の魔女を俺たちは見送った。
彼女の姿が豆粒くらいになるのを待ってから、俺は疑問に思っていたことをユウキにぶつけた。
「なあ、そもそも『魔女』ってなんなんだ?」
「『空白』と呼ばれる異世界から来た人間たちが名乗る二つ名みたいなものさ。少なくとも茨の魔女はそう言っていたよ」
「茨の魔女って……」
「ああ。私に呪いをかけた張本人だ」
なるほど、過去に一度戦ったことがあるから、魔女の実力の高さを知っていたわけか。
「で、やつらの目的っていうのは?」
「世界を元に戻すこと、だそうだ。詳しくは分からないけどね」
その言い方だと、いまある世界が間違っているみたいな言い方だ。その「空白」とかいう異世界とこの世界には何か関係があるのだろうか。謎は深まるばかりだ。
少なくとも今回のことで分かったのは、必ずしも敵ではないということだ。魔女ごとにスタンスが違うのかもしれない。
「なあ。『魔女』の話もいいけんど、おらたち『宵闇の蔵』に向かうんじゃなかったんか?」
「あっ、そうだった」
氷の魔女が登場したインパクトが強すぎてすっかり忘れていたが、本題はそれだ。
とはいえ、村人の大部分が氷漬けになっている現状、情報を聞き込むことはできなさそうだ。病人たちを叩き起こして聞くわけにもいかないしな。
「仕方ない。渡された地図を頼りに行ってみようか」
「そうだね。それしかなさそうだ」
「宵闇の蔵」はこの村から東に真っ直ぐ行ったところにあるらしい。地図にはジェニーの手書き文字で事細かに行き方が記されているから、なんとかなるだろう。
俺たちは村を後にして「宵闇の蔵」へと向かった。