117話「皇后の悩み」
例の任務を受注する者が現れたことをレイラが王宮に伝えると、俺たちは早速宮廷内に招かれた。善は急げということらしい。
宮廷の正門に着くや否や、俺たちはナジアの民族衣装の着物を身にまとった女官に声をかけられた。
「アケビ・スカイとそのパーティメンバーだな」
「はい」
「こちらへ」
二人の武官が守る正門をくぐり抜け、俺たちは宮廷の敷地に足を踏み入れた。
宮廷の内部はごみごみした外の街とは異なり、清潔に保たれている。広い敷地の中にはいくつもの建物があり、それぞれの役目を持った官吏たちが働いている。
タオファはその光景を興味深そうに眺めながら口を開いた。
「おらも小さい頃は女官に憧れたもんだ」
「そうなのか?」
「ああ。試験に合格して官僚になれば、優秀なエリートとしてこの上ない待遇が待ってんだ。ナジア人はみんなそれを狙うっちゅうわけだ」
「なるほどなぁ」
俺自身は規則や組織に縛られるのが嫌なので冒険者の道を選んだが、世間では安定した立場を求める人間が多いのだろう。一度なってしまえば安泰ということになれば、官僚を目指すのもうなずける。
しかし、それはそれで大変そうだなぁと思いながら周囲の景色を眺めていると、前を歩いている女官がふいに立ち止まった。
「さあ、着いたぞ。ここが皇后様の居所だ」
目の前に現れたのは、小さな御殿だった。建物のいたるところに豪華な装飾が施されており、それだけでも地位の高さをうかがわせる。
「これから皇后様にお会いすることになるが、くれぐれも無礼のないように」
「分かりました」
女官は怖い顔で言った。万が一にも粗相をしたら、大変なことになりそうだ。
俺たちは女官に促され、御殿の中に上がっていった。
広々とした廊下を通り、突き当たりの部屋の前まで来たところで、女官が声を上げる。
「皇后様、例の依頼を受注した冒険者たちを連れてまいりました」
「入れ」
女官の手によって両開きの扉が開き、俺たちは部屋の中へ通された。
部屋の奥に座っているのは、見るも美しい女性だった。艶やかな黒髪を束ね、高級そうな白い着物を身につけている。
皇后様は気品と威厳のある身振りで俺たちを迎え入れた。
「そなたたちが私の依頼を受けてくれた冒険者か?」
「はい、ビヨンドというクランです。俺はマスターのアケビ・スカイと申します」
「アケビ・スカイ。よくぞ受けてくれた。感謝するぞ」
「いえ、感謝だなんて、そんな。依頼内容を達成するまでが俺たちの仕事ですから、まだ喜ぶのは早いかと」
「そうか、確かにそうよな。問題を解決しなければな」
皇后様は嘆息すると、表情を暗くしながらうつむいた。
「実は、その肝心の問題というのが少々厄介でな」
「と言いますと?」
「私ではなく、王様のお体の問題なのだ」
「ご病気かなにかですか? それなら、俺たちのような冒険者より、お医者様に診てもらった方がいいかと思いますが」
すると、皇后様は首を横に振った。
「宮廷お抱えの医者だけでなく、方々の町医者に当たったが、なしのつぶてだった。治療の術はないと言われてしまってな」
「そんな……」
そうなると、もはや手遅れというべきだろう。俺たちのような素人に治せるような病気ではないのかもしれない。この依頼を受けたことを後悔しながら、それでも俺は皇后様に尋ねた。
「それで、一体どんなご病気なんです?」
「それがだな……その……」
皇后様は急に顔を赤らめながら顔を背けた。どうしたのかと思って顔色をうかがうと、皇后様は咳払いをしながら居住まいを正した。
「よいか、心して聞け」
「は、はい」
深呼吸をしてから、皇后様は一息に言い放った。
「どうやら王様には、子種がないようなのだ」
「えっ……?」
場を沈黙が支配する。俺は聞く耳を疑った。
王様の子種がないだって?
でもこれ、冗談って感じじゃないよな?
「その、何度か試してはいるのだが、なかなか子供ができなくてな。それで、そなたたちに助けを請うたのじゃ」
「な、なるほど……」
皇后様はすがるように身を乗り出し、こちらを上目遣いで見上げた。
「そなたたちビヨンドは諸国を旅してきたと聞いている。その旅の中で、なにか特効薬のようなものはなかったか? 可能性があるものならなんでもよい、教えてくれ」
「そうですね……お前ら、何か知ってるか?」
一同、うなりながら記憶をたどり始める。それから少しして、ユウキが手を挙げた。
「いちおう、こういう魔法なら知ってるけど」
ユウキは人差し指をくいっと曲げた。すると、俺の股間がひとりでに持ち上がり、ズボンにテントを張った。俺は慌てて股を手で隠した。
「お、おい! ちょっ、やめろ!」
ユウキは指揮棒のように指を動かして、俺の股間を自由自在に操作する。
「一時的に元気にはなりますが、子種を増やす効果はありません。残念ですが」
「だから、俺で試すのはやめろって!」
「そうか……」
ユウキは俺の息子を散々弄んだ挙句、魔法を解除した。
皇后様の目の前で恥をかいた俺に対するフォローはなしかよ! まあ、いいけどさ……。
「他にはあるか?」
「あの、わたし、知ってるかも」
今度は恐る恐る手を挙げたニアに、視線が集中する。
「わたしが住んでた村で、子供ができないって困ってる人がいて、その人に飲ませたら子供ができたっていう薬があるよ」
「本当か!? 作り方は分かるか!?」
「うーん、細かいところまでは覚えてないけど、似たようなものは作れると思う」
「よし、その薬の作り方を教えてくれ。女官に言って材料を用意させよう」
「合ってるかどうか分からないけど――」
ニアが挙げる材料は貴重な品が多かったが、全く手に入らないというほどのものではなかった。
ただ一つを除いては。
「その『月の涙』というのはなんだ?」
「満月の夜、山のてっぺんに咲くの。それが『月の涙』」
「なるほど、月雫草の花か……この辺で咲く場所となると、竜啼谷しかないな」
「竜啼谷?」
「ドラゴンがたくさん棲む危険な場所だ。現地の人間も滅多なことでは立ち入らねぇ」
それ相応のリスクを負わなければ、薬は作れないということらしい。
「私と王様のためにも、どうか取ってきてくれ。この通りだ」
皇后様は両手を地面につき、深々と頭を下げた。それだけ必死だということなのだろう。
「ちょっと、やめてください! そんなことしなくても、ちゃんと行きますって」
「乗り掛かった舟だからね。ここまで来たらとことんやろうじゃないか」
「王様の子作り大作戦、だね」
俺たちの言葉を聞いた皇后様は、安堵した様子で頭を上げた。
「ではよろしく頼んだぞ」
「任せてください。薬は必ず完成させますから」
俺はどんと胸を叩いた。
次に向かうはドラゴンの巣、竜啼谷。またもや危険な旅になりそうだ。