109話「ようこそ東方の国へ」
ウィンゲアからバスに乗ること数時間、俺たちは国境近くの町エッシに到着した。
座りっぱなしで凝り固まった体をストレッチで伸ばしながら、俺はバスを降りた。魔法国家リンギスとはいえ、辺境の町まで来るとそれなりに田舎っぽい風景が広がっている。
ユウキはクランメンバー全員がバスから降りたのを確認すると、東の方角を指差した。
「ここから先は歩きになる。みんな準備はいいかな?」
「ずっとバスに乗っていたかったけんども、仕方ねぇな」
「魔導車、楽しかった! また乗りたい!」
「そうだな。この旅が落ち着いたらまた遊びに来よう」
リンギスはどの町も清潔感があり、交通の便が良く、ランドマークがいくつもあって、観光にはうってつけの国かもしれないと思った。
「そういえば、ナジアはどんな国なんだ?」
俺がそう尋ねると、タオファはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張った。
「他の国よりずっと広いっちゅうのが一番の自慢だな。だから人口もそれだけ多いんだ」
「へえ。それじゃあ首都まではだいぶかかりそうだな」
「それは仕方ねぇと思ってくれ。その代わり、着いたらすげぇもんいっぱい見せてやっから」
「期待しとくよ」
俺たちはナジアについての会話を交わしながら、エッシの町から伸びる街道を歩いていく。
タオファは周囲の景色を見渡しながら、口を開いた。
「いやぁ、それにしてもナジアに帰ってくんのは久しぶりだなぁ」
「家族とはどれくらい会ってないんだい?」
「んーと、武者修行を兼ねて出稼ぎに出たのが一昨年だから、二年くれぇかな?」
「そうか。大変だな」
「いやぁ、おらが一家の大黒柱みてぇなもんだからな。これくれぇの苦労、なんてこたねぇよ」
タオファはそう言って笑い飛ばした。体だけでなく、心も強い女性だと俺は改めて思った。
一面に広がる田園地帯を抜け、いくつかの村を通りすぎると、やがて小さな町が見えてきた。おそらくあれがナジア西端の町シャイラだろう。
「今日はもう遅い。あそこに泊まろう」
「そうだね。もうそろそろ日が暮れるし、それがいいと思う」
夜間は魔物たちの動きが活発になって危険だから、外を移動するのはできる限り避けたいところだ。先を急ぎたいのは山々だが、無理をすべきではないだろう。
「それじゃタオファ、宿選びは頼んだぞ」
「もちろん、任せてくれ。あの町で一等いい宿を選んでやっからな」
タオファは胸をどんと叩くと、意気込んでシャイラの街に繰り出していった。こういうときは、土地をよく知る地元の人間に任せるのが一番だ。
その後に付いていきながら、俺たちはシャイラの街並みを眺めた。赤を基調として派手な色遣いが目立つのが、他国の都市とは明確に違うところだ。
「真っ赤っ赤!」
「ナジアといえばやっぱり赤って感じだよね」
〈すごく派手なのだ。目がチカチカするのだ〉
「この派手なのがいいんでねぇか。おらたちナジア人はこっちの方が落ち着くんだ」
言われてみれば、タオファの私服も色鮮やかなものが多い。いわゆるお国柄というやつだろう。
色んな国があるんだなぁと思いながら歩いていると、タオファがふと立ち止まった。
「よし、ここなら間違ぇねぇだろう」
大通りに面した一画に、その宿屋はあった。
小ぢんまりとした佇まいの三階建ての建物で、店先は小綺麗に整えられている。入口の上の看板には「ハルマキス」という字が彫られている。
「信じるぞ、タオファ」
「ああ。おらの目に狂いはねぇ」
俺は思い切って両開きの扉を開けた。
中に足を踏み入れると、そこは薄暗いロビーになっていた。
壁際の棚には、変な形のお面や木彫りの人形など、奇妙な品々が飾られている。
そして正面のカウンターには、スタッフらしき女性が腰掛けているのが見える。
赤茶色のドレッドヘアーを垂らし、ガラス瓶につながるホースから出た煙を吸っている。
おいおい、これは本当に大丈夫なのか?
「あの、すみません」
俺が思い切って声をかけると、女性はゆっくりと顔を上げた。
「こちらへいらっしゃい」
手招きされた俺は、おずおずとそちらへ向かった。
カウンターに到着するや否や、女性はカギを三つ手渡してきた。
「貴方たちが来るのは分かってたわ、アケビ・スカイ。部屋は二階の三部屋を使ってちょうだい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はまだ何も――」
「貴方たちは必ずここに泊まることになる。それは定められた運命なのよ」
なぜそう言い切れるのか。そもそも、なぜ初対面である俺の名前を知っている?
彼女が持つ不思議な雰囲気に飲まれながら、俺は他のメンバーたちを振り返った。
「なあ、本当にここでいいのか?」
「泊まろうよ! なんか面白そう!」
「おらは問題ねぇ」
「妾も構わんぞ」
「いいんじゃないかな。他の宿が空いているとも限らないしね」
〈ここにいると、なぜかパワーがみなぎってくるのだ。ここがいいのだ〉
それぞれが肯定的な意見を述べた結果、女性が言う通り、この宿に泊まることが決まってしまった。
俺が彼女を振り返ると、ほら言ったでしょうと言わんばかりに、にこりと笑った。
「ようこそ、ハルマキスへ」