104話「スラッシュ、奮闘す」
立派に大役を務めたマイは、控え室で椅子に座って休憩していた。
今日の出番はこれで終了。あとは神社に帰るだけだ。
「お役目、ご苦労様です」
「ありがとうございます」
神社のスタッフから飲み水を受け取りながら、マイはふうとため息をついた。
巫女舞の儀が上手くいったのは、いざというときの心構えを教えてくれたアケビのおかげだ。あの出会いがなかったら、今ごろどうなっていたか分からない。
(今度会ったら、お礼を言わなくちゃ)
アケビの顔を思い浮かべながらかすかに微笑み、水を口に含んだ、そのときだった。
突如として轟音が鳴り響き、マイは思わず目を閉じながら首を縮めた。
「な、なに!?」
様子をうかがうために控え室から顔を出したマイは、逃げる関係者たちの姿を目にした。みな一様に怯えた表情で、一目散に駆けていく。その有様はまるでパニック映画のようだ。
何がどうなっているのか分からず、呆然と立ち尽くしていると、たまたま通りかかった顔見知りの氏子の男性から声をかけられた。
「マイさん! 早く逃げてください!」
「何があったの!?」
「杖を持った男が、急に襲い掛かってきて――ぐわぁっ!」
地面から生えてきた茨に全身を絡めとられたその男性は、言葉半ばで締め上げられた。
たじろいだマイの前に、通路の奥から現れたのは、黒いマントを羽織り、長い木の杖を持ったゲイルだった。
「おーおー、いたじゃねぇの」
ゲイルは嬉しそうに笑いながら、マイの方を凝視した。相手が纏う異質な雰囲気に、マイは思わず数歩退く。
「逃げ……て……」
「お前に用はないの。死んどけ」
ゲイルが氏子の男性に杖の先端を突き立てると、杖がドクンドクンと脈動し、男性の体はみるみるうちにしなびていった。マイは恐怖のあまり、尻餅をついた。
「さあ、これで六人目だ。いよいよ復活のときが近づいてきたぞ」
狂気を目に宿したゲイルは、獲物を狩る虎のように、じわじわとマイに近づいていく。それに伴い、地面から生えた無数の茨がマイの方へと伸びていく。
このままではやられる。そう思ったマイの脳裏に、アケビの顔がふと浮かんだ。
(そうだ、護身用の短剣……!)
マイは懐に忍ばせておいた短剣を取り出して抜き払うと、ゲイルに向かって突きつけた。
「来ないで!」
「おいおい、その小さいナイフで俺と戦おうってのか?」
「その通りっすよ」
マイは迫りくる茨を切り刻みながら、数回バク転した。
急激な変化を遂げたその身のこなしに、ゲイルは目を見開く。
「ま、戦うっていうよりは逃げるって感じっすけどね」
「へえ、そういうのもあるのか。面白ぇじゃねぇの?」
ゲイルは不気味な笑みを浮かべながら、杖を構えた。それに合わせて、マイの体を借りたスラッシュも中腰でナイフを構える。
しばしにらみ合いの後、先に動いたのはゲイルの方だった。杖からマナを発して茨を操ることで、マイの体を捕らえんとする。
スラッシュはそれらの茨を丁寧かつ迅速に切り落としていく。そして、その俊敏さの方が、茨が生える速度よりも上だったらしい。後退りしながら茨を捌き続け、やがてスラッシュは屋外へと躍り出た。
背後には組み木舞台の残骸が積み上がり、もうもうと燃え盛っている。その所々には黒い茨が巻きついており、ゲイルが破壊したであろうことをうかがわせた。
「ここまで来たらこっちのもんっす!」
託されたマイの命を守るため、スラッシュは逃走を第一に考えていた。
狭い屋内での戦闘ではゲイルに地の利があったが、視界が開けた建物の外なら逃げることは容易い。このまま逃げ切って、アケビたちと合流するのが良いだろう。
そう思ったスラッシュが駆け出したのも束の間、ゲイルは杖を天高く振りかざした。
「逃がすかよ!」
ゲイルの手にある杖からマナが発せられると、二人を囲うように生えた茨が互いに絡み合い、巨大なドームを生み出していく。
「そんなの、ありっすか……!?」
スラッシュは垂れてきた冷や汗を拭った。閉鎖空間で、しかもアウェイでのタイマンとは、いささか分が悪い。
ゲイルは相変わらず楽しそうな笑みを浮かべながら、両腕を広げた。
「これで逃げ道はもうなくなった。大人しくこの杖に命を捧げろ」
「それは無理な相談っすねぇ。そんなことしたら、アニキにもマイさんにも怒られちまうんでね」
「そうかよ。なら、苦しんで死ね!」
ゲイルがそう叫んだ瞬間、ドーム全体から茨が伸び、スラッシュの四方八方を取り囲む。
スラッシュは極めて劣勢なこの戦況の突破口を探りながら、必死に茨を切り刻んでいく。
(アニキたち、早く来てください……!)
助けが来るのを祈りながら、スラッシュの孤軍奮闘は続く。