100話「成すべきとき」
ウィンゲアの冒険者ギルドの扉をくぐると、そこは俺たちがよく慣れ親しんだ、荒々しい活気に満ちた空間になっていた。
「いやぁ、やっぱりこの空気が一番いいな」
「ああ、違えねぇ」
〈ここが冒険者ギルドなのだ?〉
「ああ、そうだよ。話してる間、好きに見て回ってきていいぞ」
〈本当なのだ!? そうするのだ!〉
ギルドに興味津々といった様子のエーリカは、早速どこかに飛んでいったらしい。
こういうとき、幽霊の体というのは便利なものだな。
一方、マイはというと、場の空気に飲まれて若干肩を縮こまらせていた。
そんな彼女を連れて、俺たちは併設されている酒場のテーブルに腰かけた。
「ほら、マイも座れ座れ」
「あっ、うん」
マイは促されるがままにちょこんと腰かけた。
由緒正しい家の生まれだと言っていたから、こういう荒くれたちの憩いの場には馴染みがないのだろう。
だが、腹を割って話をするには、いつだって真剣勝負で生きている冒険者たちが集うこの場所がふさわしいだろうと思い、あえてここを選んだのだ。
「マイはもう成人してたっけ?」
「うん。今年でちょうど成人したよ」
「それじゃ、アケビと同い年だね」
「ええっ!? ウソ!?」
マイは驚いた様子で俺の顔をじっと伺った。そんなにジロジロ見ることはないと思うんだけどな。
「年の割に苦労してるから、老けて見えるんじゃな」
「うるせぇよ! あ、ウェイターさん、エール六本」
「はい! ただいま!」
冒険者ギルド所属のウェイターは、誰もが百戦錬磨のすご腕だ。
俺は五分も経たずにテーブルに届いたエールのジョッキを手に持って掲げた。
「それじゃとりあえず、観光お疲れ様。乾杯!」
「「「「「「乾杯~」」」」」
ぐいっと飲み干すと、冷たいエールが喉を通り過ぎていくのが分かった。動き回った後の一杯は格別に美味い。
豪快にのどを潤す俺たちに比して、マイは軽く口をつけただけで、あまり飲もうとはしなかった。
「どうした? 美味しくないのか?」
「もう分かってるんでしょ。私がそんな気分になれないこと」
いきなりそう言われた俺は、頭をかいた。
マイが踊巫女をやりたくないということはすでに知っているが、それ以上の情報がない。変に口を開けば、失言で彼女を傷つけてしまいかねない。
「困ったな。こういうときどうしたらいいと思う、巫女さん?」
俺があえてそう言うと、マイはむすっと口を尖らせて言葉を投げ返してきた。
「まず、アケビたちのことを聞かせて」
「いいぜ。ただし、少し長くなるぞ?」
「うん」
どうやら、そう簡単に事の次第を話してくれそうにはない。
まあ、出会ったばかりの相手に身の上話をする気にはそうそうなれないだろう。そう思った俺は、かいつまんで旅の経緯を語っていった。
マイははじめ素っ気ない様子で話を聞いていたが、段々と内容にのめり込むように身を乗り出していった。
「それで、今日ここに至るってわけ」
「ほえぇ……」
マイは半ば放心状態で俺の話を聞き終えた後、少し経ってからハッと我に返った。
「べ、別に面白かったとか、そういうわけじゃないから」
「ふぅん。まあそういうことにしておいてやるよ」
俺がにやにやしながらマイのわき腹を肘でそっと突くと、マイはくすぐったそうにそれを払いのけた。
ようやく少しは元気が出てきたみたいだ。
「さて、俺たちの身の上は全部話した。今度はそっちの番だぞ」
「あっ、うん……」
なおも言いよどむマイを見て、俺はもう一押ししてやることにした。
「Sランク冒険者の俺様に、今日はどのようなご相談ですか?」
俺がわざと気取って言うと、マイはぷっと吹き出した。
そしてエールを一口あおり、深呼吸してから、ようやく話し出す。
「私ね、去年の暮れに母さんを亡くしたの。先代の踊巫女でもあった母さんは、とっても厳しくて、でも優しい人だった」
マイは遠い目をして、思い返すように言った。
ついこの前、叔父を亡くした俺と同じ境遇だ。その気持ちは痛いほどよく分かった。
「私、これまでずっと、踊巫女なんてなりたくなかった。家のしきたりに従って生き続けるなんて嫌だって、そう思ってた」
マイはもう一口エールを飲んでから、ジョッキをテーブルに置いた。
さっきからペースがどんどん早まっている。弱い自分を酒で奮い立たせるためなのかもしれないと思った。
「でも今回、急だけどこうして踊巫女の代を継ぐことになって、少し前向きに気持ちが変わったんだ。これまでずっと魔導大祭を支えてきた母さんのためにも、私にできることがあるならそれをやり遂げてみようって、ようやくそう思えるようになった」
まくしたてるように言うマイの顔を、俺はそっとのぞきこんだ。
「それでも、儀式から逃げちゃった理由があるんだろ?」
マイはこくりとうなずく。
「……怖いんだよ。失敗したらどうしよう、代々積み上げてきた伝統が台無しになったらどうしよう、って思うと、体が震えるんだ」
その言葉通り、マイの両手は震えていた。
「こういうとき、どうしたらいいの? アケビはどうやって乗り越えた?」
すがるような目つきで見つめられた俺は、真剣に見返した。
「人間にはさ、『成すべきとき』があるって思うんだよ」
「『成すべきとき』……」
「そのときが来たら、そいつは否が応でも舞台の真ん中に立たされるんだ。まるで運命に導かれるみたいに」
俺は右の拳をマイの胸元にそっと突きつけた。
「後は、なるようになるだけだ。それまで頑張ってきた自分と、周りの応援を信じて、やり切るしかない」
「もし、ダメだったら?」
「もし、ダメだったら、そのときは――」
マイはごくりと唾を飲み込む。
「うちのクランで冒険者でもやるか?」
「へ?」
妙な沈黙が場を支配して、それからクランメンバーたちの不満が爆発した。
「こら! また無計画に女子の仲間を増やす気じゃろう! 許さんぞ!」
「聞く前に私たちの許可くらい取ったらどうなのかな!」
「お、おい! いまのはそういう意味じゃないだろ!」
「そういう意味じゃなかったらどういう意味なんだ!」
「待て! いったん落ち着こう! な!」
修羅場と化した俺たちの様子を目にしたマイは、くすくすと笑った。
その手の震えはすでに止まっていた。どうやら、迷いは晴れたようだ。
「この状況をどうにかしてほしいんだけど」
女子四人から食って掛かられる様を見せながら視線を向けると、マイはそっぽを向いた。
「知らない。自分で何とかしたら?」
「そりゃないぜ!」
それからはもう、筆舌に尽くしがたい、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられた。
女ってほんと怖いぜ。