第1部 8.高宮家の晩餐
ガラケー時代の都内近郊ラブストーリーです。
高宮家の様子です。短いです。
よろしくお願いします。
「水曜の夕食はなるべく集う」というのが、高宮家のルールだった。皆忙しく生活がバラバラで、家族の時間が取れないからだ。
広いダイニングルーム中央に置かれた重厚な楕円形のテーブルに、上手から登、妻の瑛子、長女の桜、光、次女の緑が座についていた。
会話の内容は、登が持ち出すビジネス関連の話題がない時は、緑の日常的なおしゃべりで終始して、それに食って掛かる桜と、二人をたしなめる瑛子の声で成り立っていた。
とはいえ女性の常で、話しながらの食事は往々にして会話優先で進みが遅かった。
光は食事を終えると、そそくさと席を立った。
「ごちそうさまでした」
緑がすぐに、
「お兄さん、またこれからお出かけ?」
とからかうように言った。
「別にいいだろ。忙しくて、普段ゆっくり気晴らしする暇もないんだ」
光が言うと、桜が、
「私なら仕事の他に気晴らしなんて必要ないのに。光よりずっと社長に向いてるわ」
と嫌味を言ったが、彼は相手にせず、
「それじゃ、失礼します」
と一礼してダイニングルームの扉に向かった。
「くれぐれも、軽はずみなことはするなよ」
後ろから父が声を掛けた。その声色は常にどこか威圧的だった。
「はい」
光は振り向いて真面目な顔を向けた。
「明日の仕事に支障を来すようなら、外出は当分控える約束だ。分かっているな」
「はい」
毎回のように繰り返されるやり取りは、光にとって苦痛だったが、いわば関札のようなものであった。
ここで父の管理下に戻る意志を見せることで、ひとときの自由を得ることが出来る。少なくとも光はそう考えていた。
光が部屋を出た後、登は篠田を呼んだ。
「光に目配りしておいてくれ。信用していないわけじゃないが、このところ少し自覚が足りないような所がある」
「かしこまりました」
篠田は忠臣そのものの態度で恭しく頭を下げ、退いた。
その一部始終を不安げに眺めていた瑛子が、
「結婚すれば落ち着くんでしょうかねぇ」
と呟くと、登はやや不機嫌な面持ちになった。
「結婚の話は、随分前から避けているようだな。さすがに婚約とは勝手が違うと思っているのだろう」
真剣な話題に染まったダイニングの空気を、緑の鈴のように軽快な声が一変させた。
「あのカマトトお嬢様が気に入らないのよ、きっと」
クスクスと笑いを含みながら、彼女は面白そうに言った。
「緑」
と瑛子が睨むと、
「そうよ。ウチの大事な融資銀行の頭取ご令嬢なのよ。結婚してもらわなきゃ、困るわよね」
桜が訳知り顔で父に横目を向けた。
「お兄さんかわいそう」
緑は言葉とは裏腹の、悪戯な笑みを浮かべておどけた。
「お前達、少し口を慎みなさい」
それまで黙っていた父は、娘達にも厳しい視線を向けた。端正だが光よりも線の強い、はっきりとした顔立ちだった。
「婚約の時に、光にも意思を確認している。私一人が勝手に押し付けたことではない」
卓は水を打ったように静かになった。
表面から見た事実はそうでも、その時の光に選択権があったとは、桜も、緑すらも思わなかった。
にもかかわらず、それを平然と事実として口に出来る父の、家族に対しても戦略的な一面に、娘二人だけでなく妻も薄ら寒い思いを感じずにはいられなかった。
窓から吹き入る春の夜風はひんやりとして、晩餐の終わりを勧めているようだった。
「そろそろ行こうかしら」
桜が席を立つと、
「私も、部屋でゆっくりするわ」
緑も膝のナフキンをテーブルに置いた。
一人姿勢を崩さない瑛子は、頼りな気な視線を一瞬夫に向けたが、何も言わなかった。
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