第8話 北町 前編
「ち、違うの、私は・・・!」
「うるさい、少し黙っててくれ」
なんだか様子がおかしい。感情の移り変わりが激しすぎる?
「記憶が、混ざりすぎだ・・・」
そうつぶやくと、リオネの姿をした子どもが立ち上がった。
「あなたは・・・」
「やめろ、あなたの声がすると、他のやつの記憶が浮かんでくる。僕はジュマだ、狼族次期族長のね」
狼?先ほどの狼がリオネの体に入っているということ?でもどうして、あの泉にはいれたものを別のものと入れ替える力があるはず。それともまだ私の知らない力があの泉にはあるというの・・・?
「クソ、ここじゃダメだ」
ジュマは立ち上がり、狼山の方へと向かっていく。
私は手を伸ばして、立ち上がろうとして、声を出そうとして、でも、できなかった。
確かめることが怖かった。
今はジュマという人格でも、私が話しかけ続ければリオネになってくれるかもしれない。でももしさっきのような事を言われたら?リオネでもこの子でもない、『あの子』が出てきたら?
そう思うと、私は何もできなかった。
「リオネ、リオネ・・・!」
姿が見えなくなり、音も聞こえなくなってから私は声を出した。
どうせ名前を呼ぶならもっと早くと頭ではわかっているのに。
私は、正しくあれなかった。
段々と辺りの空気が冷えてきた。冬が近づいてきているのかもしれない。
首都からの要請を受けて北町には様々な人が集まって来ていた。
普段からとても賑わっているのだが、今回はいつもと違う。町には武装した男達が溢れ、武器屋や研師達は今までにないほどに働いていた。
だが出歩いているのは店を出している人と武装した男達だけのようだ。それもそのはず、北町には首都からの狼との戦いに関わるもの以外は別の町や村に避難するよう命令されているからだ。
東町傍にあるリオネ達の村から北町まで普通であれば馬車で2週間はかかる道のりだが、グリオ達は1週間で来た。村の防備を固めるためにギリギリまで準備を手伝っていたからだ。おかげで狼達が襲撃してくるであろう日までは1週間もない。すでに町にいる猛者達と作戦を共有し、煮詰めるにはあまりにも遅すぎる到着だった。
「遅かったじゃないか。狼殺しの英雄」
宿に到着し、皆で町に繰り出そうとしていた時にグリオを呼び止める男がいた。
その声を聞いてグリオは嬉しそうに男の方へ振り返った。
「ギース!懐かしいなぁ何十年ぶりだ!?」
「さてな、俺はまだ昨日のことのように覚えているぜ」
このギースという男は昔グリオが狼族長ジャビルと戦った時の戦友の1人で、道場時代からの付き合いである。武芸では平凡な男だが、道場では誰よりも賢い男として有名であった。
記憶力、計算力、そして情報処理力。それらすべてにおいて彼に勝る人物をグリオは知らない。
そんな彼は当然と言うべきか今回の参謀役として計画立案当初から携わっていた。
「狼殺しなんて大昔の話だよ。それに今回私の出番はないだろうさ」
「何を言っているんだ、お前が前でやってくれないと俺が安心して酒を飲めないだろ?」
「驚いた、お前でも酒を飲む時に他のことを気にするんだな」
「あたぼうよ、飲みだしたら忘れちまうけどな」
がっはっはっはとお互いの拳を突き合わせ、グリオとギースは久々の再会を確かめ合う。
「父さん、この人がいつも話していたギースさん?」
「おおそうか!そういえば初対面だったな!紹介しようギース、この子が俺の息子グリシェだ。そしてこいつが以前の戦いで作戦を考え、見事ジャミルを出し抜いた我らが英雄ギースだ!」
「君がグリシェ君か、噂は聞いているよ。俺について親父さんが言ってたのは過剰に盛られているだろうから気にしないでくれ」
「はい!ずっと前から憧れてました!!」
「ああ聞いてないねこれ…」
場所は変わり、軍の作戦本部でグリオ、グリシェ、ギース、そして他の男達と現状の確認を行っていた。
「狼共は?」
「北東にある山に集まっているようだ。昨日ジャビルを確認した」
「襲撃日は?」
「そろそろ南風が吹くようになる。そうなればやつらは風下になり俺たちは接近に気づきにくくなる。来るとすればそのあたりだろう」
「他の獣たちは?」
「だんまりだ、どうやら狼達だけでやるらしい。獣共も一枚岩じゃないってことだな」
「よし、作戦を確認しよう」
狼たちが攻めてくるといっても雪崩のように迫ってくるわけではない。やつらは音もなく走ることができるので気づいた時にはもうこの辺りにはいないということもあり得る。
だからこちらからやつらのいる山に攻め込む。
今は北風が吹いているためこちらが風下になっている。やつらがこちらに気づかぬうちに山に近づき、火を放つ。
決行は明後日、朝日が昇ってすぐに出発だ。
「ギース、確かにこの作戦ならあの狼共といえどもただでは済まないだろう。だが」
「ジャビルが計算に入っていない、か?」
「そうだ、やつにこちらの常識は全く通用しない。どうするつもりだ?」
「考えていない、といえば嘘になるが正直俺にはどうしようもできない。なんならやつにこの作戦が読まれていても不思議じゃないからな」
「まさか俺に丸投げか?」
「お前の意見を聞きたい。そのために俺は作戦を遅らせたんだからな」
「買いかぶりすぎだよギース」
「お前を買ってダメなら俺たちに勝ち目なんかないんだぜグリオ」
その晩、彼らがいる部屋から明かりは消えなかった。風向きが変わってしまえばこの作戦は失敗に終わる。もはや一日たりとも無駄にはできない。
作戦決行の前日、つまりは会議の数時間後。最後まで残っていた商人や女たちが避難を始めた。といっても元々の数が少ないので馬車が数台出て行っただけだが。
その晩、薄い雲に覆われた月がうっすらとあたりを照らしていた。戦いに挑む男たちはそれぞれで時間をつぶしていた。鍛錬する者、皆で酒を飲む者、限界まで作戦を確認する者、山の様子を見張る者。全員が明日へ向けて自分なりに準備をしていた。
そんな中、グリオは腕試しと称して各地の猛者たちと戦っていた。
といってもお互いの実力を確認するためのお遊びのようなものだが。
「さすがは狼殺しだ、まったく衰えていないな」
「お前が衰えすぎただけじゃないのか?」
「おいおい何年たったと思っているんだ?本当なら来るつもりがなかったんだ。でもお前が来ると風の噂で聞いた。あの狼殺しが、俺たちの英雄がもう一度来るんだと。俺だけじゃないぜ?ここにいる奴らはそんなやつばかりさ」
「そう、か・・・」
グリオは周りを見る。言われてみれば、集まっている男たちは皆憧れたものをみる少年のような眼をしている。彼にとってすれば過去の戦いは好きにやっただけだった。狼への恨みなどはなく、ただ強い敵との戦いに舞い上がっていただけだった。そんな自分本位のことがたくさんの人に影響を与えている。年を取ったな。グリオは1人、感傷に浸っていた。
そんなときだ。若い男が息を切らしながら走ってきた。
「おう兄ちゃん、そんなに慌てなくったって酒はまだまだあるぜ?」
酔った男がそれに気づき、酒瓶片手に問いかける。
「・・・かみです」
若い男は呼吸するのもつらそうに呟いた。だが辺りは騒いでいる男達だらけだったのでうまく聞き取ることができない。
「なんだ?もう一度はっきり言ってくれ」
「狼です!!」
今度ははっきりと、先ほどまでうるさかった男たちが静まり返るほどの声量で叫んだ。
「この町に、狼どもが侵入しています!すでに何人か食い殺されています!」
「数はわかるか」
グリオが前に出て若い男に聞いた。他の男たちは各々の武器を持ち、グループを組み始めていた。
「不明です。私が確認したのは、宿にいた4,5人が食い殺されているということです。足跡は1匹分でした」
「よし、侵入経路は不明だが皆で集まって行動しよう。まずは鐘を鳴らしに行く班と他のやつらの安否確認の班に分かる。やつらは基本こちらの倍の数にならないと襲ってこない。10人以上で行動すればそうそう襲われないはずだ」
「それじゃあ俺たちが鐘を鳴らしてくるぜ。この中じゃ一番身軽でなおかつ酒もそこまでのんじゃいねえ」
「わかった。それじゃあ残りは10人以上で班を作っていくぞ。探し終えればまたここに集合だ」
男たちは突然のことに怯えることなく事態を受け入れ、冷静にグリオの指示に従っている。
それはグリオのカリスマ性のおかげなのか、それとも戦士特有の切り替えの早さなのか。
「では行くぞ、本当の狩猟者が誰か狼どもに教えてやろう!」
「おう!!」
男たちは一斉に走り出す。その中にギースとグリシェの姿はない。
グリオ達が町を駆け回る少し前。グリシェは事態にいち早く気づき先に鐘のある塔に向かっていた。塔は町の中心に位置しており、今のグリシェはそのそばにいる。だが彼は3匹の狼に追われていた。狼達はだんだんと距離を詰めており、このままでは追いつかれるのも時間の問題だろう。
グリシェが内心焦りながら走っていると、目の前に新たな狼が現れとびかかってきた。それをすんでのところで避けるが、代わりにバランスを崩してしまう。
狼たちが彼を取り囲む。グリシェがこぶしを握りしめ、殴りかかろうとしたとき隣の家の扉が勢いよく開いた。狼も含め一瞬あっけにとられると斧を振りかぶったギースが立っていた。そこいらの木こりよりも素早く振りぬかれた斧は、しかし狼は当たらなかった。地面を砕き、破片が飛び散る。
「グリシェ!塔に!」
ギースは声をかけると同時に走り出していた。斧は地面に刺さったままだ。 グリシェも走り出した。狼たちはギースを見た時点で飛びのいていたため少し距離が開いている。 塔までの距離はあと少し。2人の足なら狼よりも早くたどり着くことができるだろう。だが狼たちが追ってくる気配がない。不思議に思ったグリシェが後ろを振り向くと狼たちがこちらをじっと見つめていた。まるで何かを待っているかのように。
「グリシェ入れるぞ!」
ギースに声をかけられる。グリシェはひとまず塔の中へ入った。扉に閂をかけ、近くにあった棚で補強する。1階部分には窓がないので侵入されることはないだろう。
塔は中ほどまで吹き抜けになっており、壁に螺旋階段が設けられていた。窓は上のほうにしかなく、月明かりが乏しい今日だと中は薄暗かった。
「さっきは危なかったな、お前も鐘を鳴らしに来たのか?」
「ええ、父から非常時のことは聞いていましたので」
「さすがはグリオの息子だ、それじゃあ早く鐘を鳴らそう」
「はい」
螺旋階段を上り、塔の中ほどの広間に出た。上のほうから紐が垂れておりこれを引くと鐘が鳴るらしい。ギースは一度深呼吸して紐に手をかけようとした。だが。
「ギースさん」
グリシェが声をかける。
ギースは動きを止めてグリシェに振り返る。
「どうした、グリシェ」
ギースがゆっくりと振り返る。その様は先ほどまでは違うように感じた。
「その鐘は狼への合図なんじゃないですか」
彼はうっすらと笑っている。肯定も否定もしてこないが続きを促しているようにも感じられた。
「この塔に入るとき、あなたを見た狼たちは全く追ってこなかった。奴らなら鐘の存在も、その意味も知っているはずだ。だから一直線にここへ向かう俺のことを3匹も追ってきたんだ」
ギースが懐から煙草を取り出し、マッチで火をつけた。
一瞬明るくなった彼の顔は子の成長を喜ぶ親のようであった。
「あなたの一撃で飛びのいたせいかとも思ったが、奴らにしては諦めが良すぎる。それにこの中に1匹もいないというのも不自然だ」
煙草の先が赤く燃え、あたりに紫煙が舞う。グリシェの一言一言にギースは頷いていた。
「あなたが鐘を鳴らすことは狼たちにとって意味のある事なんじゃないですか?」
「グリシェ、君はやはり彼の息子だよ。我等が狼殺しの息子にふさわしい」
ギースは拍手しながらグリシェをたたえた。紫煙が少しずつ窓から外に漏れていく。
「いつから疑っていた?」
「父があなたと再会した後、俺に話したんです、あなたの様子がおかしいと」
「おかしい?いったいどこが」
「あなたが自分の能力に対して不安に思うことなんてありえない。あいつはやる前に失敗を恐れる男ではないと」
「買いかぶっているのはどちらだってんだよまったく」
1本吸い終えたギースは火を消して床に捨てた。
「そこで俺はあなたが家族の話をしないことに気づきました。父が何度も話を振り、自分の家族の話をしているのにも関わらずです」
新しい1本に火をつける。煙草のきつい匂いがあたりに満ちる。
「あなたのご家族は、狼たちの手の内にあるのではないですか」
「正解だよ」
鼻から煙を吐き、窓から月を眺める。
「ある日、息子がいなくなった。そして妻は気を病んでしまい、いなくなった。そのどちらにも、狼の形跡があった。」
グリシェは動揺することなくギースの話を聞いている。彼の中では想定の範囲内だったのだろう。
「私はやつらからの脅しだと思った。探しても見つからなかった。何をさせるつもりなんだと毎日怯えていたよ。そしたら今回のこの話だ」
2本目の煙草を中ほどまで吸いきり、グリシェを見据える。
「ここだと思った。案の定この町に着いたときに連絡役の狼がやってきた。作戦を伝え、それ以降会っていない」
「・・・なぜ」
「なぜ相談しなかったか?意味がないからさ。君たちに相談しても妻たちは帰ってこない。なぜなら奴らに知られれば妻たちの命はないからだ」
「それでも!」
「こんなところで問答をしてなんの意味がある!!」
ギースが煙草を踏みつける。グリシェはその気迫に思わずたじろいでしまった。
「もう奴らは町に入っている!この煙草だって合図の1つだ!今頃門が開き、外で待機していた残りの狼たちが入ってくるだろう!私はもうグリオ達の中には戻れない。だが君は違う!君は今からでも父親に事態を伝え、対応することができるはずだ!」
ギースがここまで感情をあらわにするのはグリオですら見たことはないだろう。
「あなたは、父のことを信じているのですか・・・?」
「私は狼たちがこの町に侵入する手助けをしただけだ。奴らが勝つために協力しているわけじゃない。グリオなら、君たちならば、まだ奴らを倒すことができるはずだ」
「・・・わかりました。このことは父には伝えないでおきます」
「すまない」
グリシェは振り返ることなく、螺旋階段を駆け下りた。広間にはギースと煙草の匂いだけが満ちている。
「グリシェ、あいつらはな、俺の家族をさらった理由はお前たちを殺すためだと言ってきたんだ。俺の家族はお前たちのために奪われた。それでもな、俺はお前たちを信じている。お膳立てはしておいた。後は頼む」
ギースはそうつぶやくと鐘を鳴らした。鐘の音は町中に響き渡り、それを打ち消すように狼の遠吠えが鳴り響いた。