第6話 彼と彼女の決意
第6話
リオネ達が村に帰ってきてしばらくたったある日、東町から伝令があった。
曰く、『狼たちが大攻勢を仕掛けようとしている情報あり。最低限の人数を残し、戦えるものは北町に集合せよ。期限は1ヶ月。装備を整え参上されたし』
獣達との争いは頻繁に起こっているが、基本は小規模なものだ。大攻勢と呼ばれるほどの規模は過去に一度だけ起こっている。まだ王国ができて日が浅い頃、猪族が突然攻め来たのだ。この頃、人間達は獣の存在に気づいておらず、獣と人間が初めて接触したのはこの時だと考えられている。
猪たちはまとまって襲ってくることはなく、各地に散らばっていた猪が散発的に王都を目指し、道中の村を襲っていた。そのため人間達はなんとか猪たちを撃退することができたのだ。その時に猪の族長が討たれたとされている。
狼山から王都へ向かうには、北町から行く方がスマートに行ける。東町の方へ行くと河を渡らなくてはいけなくなるからだ。
王都がこの情報をどこから手に入れたのかは謎だが、大攻勢というからには族長のジャビルが出てくるのは間違いないだろう。あの恐ろしい狼達が本気になって攻めてくるとあって、狼山周辺の村々はとある決断を迫られていた。残される者達がどうするかだ。狼達は絶対に小さな村も残さず襲うだろう。女子供もお構いなく、隠れても意味はない。
彼らは大人から子どもまで狼の恐ろしさを理解している。
今頃逃げたようとしたところでもう遅い。道中には狼達が潜んでいるはずだからだ。王都がつかんだ情報は罠で、慌てて逃げ出したものから狼達の餌食になる。固まって逃げれば襲われないだろうが、それでは招集に間に合わない。それに村1つ分の人口が突然増えて、それを維持することなど王都にもできないだろう。
皆それをわかっているから、迎え撃つ準備を進めている。
周辺に罠を張り、定期的に見張りを出し、食料や装備などの備蓄を増やしている。
ここまで一丸となって行動できるのははっきり言って異常だ。誰も過剰に疑うことはせず、自分たちが最良と思った行動をしている。恐怖に負けて逃げ出すものはおらず、自ら命を絶つものもいない。
それが当然だと言わんばかりに、そういう性質の生き物だとわかっているかのように、彼らは行動している。当然例外もいるのだが。
「今日の成果はどうでしたか」
「周辺に狼はいなかった。だがやつらの糞や足跡があったから、近くまで来ているのは間違いない」
「武器の製作は順調だ。皆が使えるだけの弓は容易できたので、今日から訓練を開始する」
「罠の製作も良好だ。設置は皆が町へ行く日に行うんだったよな?」
「ええ、早めに設置して狼達に知られると厄介です。ギリギリまで隠しましょう」
おじさんの家では、村でも名の知れた人たちが集まって会議を行っていた。伝令が来た日におじさんが皆に声をかけ準備を始めたのだ。伝令が来て1週間が過ぎており、2週間後には男たちが町へ向かうことになっている。
町に向かう人選は終わっており、リオネの家族では父親のグリオ、兄のグリシェが向かうことになっている。おじさんは狼に襲われた傷が思ったよりも深く、村に残ることになっていた。
狼達の襲撃があったあの日、おじさんと一緒に見張りに出ていた男は狼に殺されていた。おそらくジュマ達に殺されたのだろう。自分が無傷だと疑われると考え、おじさんは村の男たちに倒された狼を使って自分の体を傷つけたのだ。
今のところ村人は誰も彼のことを疑っていない。本人が不安になるほどに。
「食料はどうですか」
「天候に恵まれましたので、予想よりも早く目標の数に届きそうです。目標分出来次第、何人か手伝いに出すことができますが?」
「それじゃ武器の製作を手伝ってくれ。弓はいくらあっても問題ないだろうからな。その分こっちは材料を集めさせてもらう」
「いいですよ、明日にでも声をかけておきます」
「報告は以上ですね、次回は3日後に行いましょう」
それぞれの班長が家へと帰っていく。現在村では急ピッチで狼への対応策への準備が進められている。村の中で籠城に必要なものは何かをあらかじめ考え、それぞれ班に分かれて作業している。今日はその作業の進捗報告を行う定例会議を行っていた。この時にいなくなった人間がいないかの確認も行っている。現在では誰もいなくなってはいない。
(相変わらず心の強い人たちだ。私はこんなにも怯えているというのに)
1人になったおじさんは日記のあった部屋にこもり、震える手を抑えていた。彼は皆を騙すために左腕を死んだ狼の口の中に入れ、自分で上から押さえ、腕を噛ませた。そこまですることは本来なかったのだが、その時の彼は気が動転しており、そうすることでしか皆を納得させることはできないと考えた。
裏切って狼達と通じているばっかりに、自分を信じている若者を1人殺させてしまったことへの贖罪の意味もあったのかもしれない。
今のところ不自由はないが、変わったことといえばリオネと姉のリーネが心配して毎日やってくることぐらいだろう。リーネは家事をやってくれており、とても助かっている。
ちなみにリオネとリーネはそれぞれ食材を用意する班に入っている。母のシェーネも一緒だ。
(彼らは疑うということをしない。いや、表に出さないだけで本当は疑っているのかも。自分の中で確信が持てるまで外には漏らさないようにしているのだろうか。それとも僕が知らないだけで・・・)
おじさんは村人たちとは違い、とても不安だった。狼達との契約でこの村だけは見逃してもらえることになっているが、それでも不安で仕方なかった。ジャビルが裏切るのではないか、他の皆にバレるんじゃないか、リオネかリーネに知られてしまうではないか、もしくはもうバレていて監視のために家に来ているのではないか。
左腕の震えは気づいたときには全身にまで移っていた。
(これじゃ、これじゃ昔と同じじゃないか。また俺は皆を信じられずに、勝手に裏切られたと思って皆を傷つけてしまうのか。でも今回は違う。裏切ったのは俺だ、初めから俺が裏切っていれば、必要以上に疑うことはない。覚悟を決めるんじゃなかったのか、節枝。あの子達を信じるんだろう!)
おじさんは1人震えながら耐えていた。
裏切られるのが怖いから、先に自分が裏切るなどという矛盾したことをしているのはわかっている。
弱いなりに強い皆と同じになれるように、自分を信じ、他人を信じられる人間になれるように、こんな自分を信じてくれる彼らのようになるために、彼なりにやった結果がこれだったのだ。
(狼達は契約をやぶらない。この村は大丈夫だ、万が一のための準備だって十分できてる。問題ない、問題ないんだ)
おじさんの震えは収まり、日課である日記をつけるためペンをとった。
彼は最近とても充実しているのを感じていた。今までは穏やかな日々を過ごすために生きているだけだったが、今は目標のために生きている。精神は安定し、不安定になっても自分で立て直せるようになってきた。順調だ、このペースを維持していこう。
日記の文字は今までよりも増えている。
弱い彼は浮かれていたのだ。皆と同じなれる、対等になれるんだと生まれて初めて実感できているのだから。
リオネとグリオが帰ってきて家は元の騒がしさを取り戻していた。1人を除いて。
リーネは部屋でおじさんの日記を見ていた。
あれから彼女は日記を読み進め、新しいものの2つ前まで読んでいた。その内容は彼女の理解を遥かに超えており、自分の中で整理する必要があった。
(この内容が本当なら、おじさんは・・・)
「お姉ちゃん最近元気ないね、どうかした?」
後ろから突然声が聞こえ、リーネは慌てて振り返った。そこにはリオネが立っており、心配そうにリーネのことを見ていた。机の上には目もくれず、彼女の目をじっと見ている。
今まで家事を手伝ったり、リオネの世話をしたりしていたリーネだったが、最近は少し部屋に籠るようなっていた。心配して声をかけても、内緒の準備をしているんだと言ってごまかされる。家族は皆そのことに気づいているし、リーネ自身隠しきれているとは思っていない。ただ心配しなくていいとアピールしているだけだ。
だがリオネは違った。彼は自分の立場理解して動くことができた。それは幼い頃から受けた英才教育の賜物であり、何より彼自身の優しさのおかげだ。
父と母は姉の言葉を受けてそれ以上動くことはできない。彼女が自分から助けを求めてこない限り。
兄もまた動くことはできない。姉との信頼関係はリオネより上なのは間違いないが、仮に彼がリーネと話をしても、彼女が彼に弱音を吐くことはないだろう。彼は彼女にとってすでに対等な存在であり、両親と近い立場にある。両者とも差し伸べた手を一度退けられているため、過度に動けないのだ。
だが末の弟であるリオネは違う。彼はリーネにとってまだ自分が大切にすべき存在で、彼が彼女を頼った時、彼女はそれにきっと答えてくれるだろう。
そして長女である彼女が唯一弱音を吐くことができるとすれば、家族の中で一番心を許している彼だけなのだ。
「リオネ、心配してくれたの?ありがとうね。でも大丈夫、ちょっとサプライズの準備しているだけだから」
「本当?僕にはそうは見えないよ。お姉ちゃんは何か隠してる」
リーネは少し驚いた。彼が察しのいいことは知っていたが、ここまでストレートにくるとは思っていなかったのだ。下手なごまかしは通用しない。自分が納得できるまで戻るつもりはないと感じるには十分だった。
「そう、そうね。わかったわ、降参。お姉ちゃんの負け」
彼女はそう言ってリオネを膝の上にのせて、後ろから抱きしめた。リオネも彼女に体を預ける。
「お姉ちゃんね、ある人の秘密を知っちゃったの。とってもとっても大切な秘密をね」
「うん」
リーネはリオネの頭に頬をのせ、ゆっくりと話し始めた。リオネは相槌を打ちながら彼女が話し終えるのを待つ。
「他の人には話せないし、もちろん本人にも話せない。でもその人だけが抱えるにはあまりにも重すぎる秘密なの」
「うん」
「力になってあげたいけれど、私が知っていることをその人に伝えたら、きっとダメになっちゃう気がするの。その人は1人でなんとかしようとしていて、私もその方がその人のためになると思う。でも、私は、その人にはまだ・・・」
「うん」
リーネがリオネの手を包み、開いて閉じてを繰り返す。
「・・・難しいわね。今まではこんなことなかったの、なにかあってもみんなで協力できた。でも、これはあまりにもことが大きい。それにもうどうすることもできない。何をするにしても遅すぎるわ」
「うん」
「信じたい、私はその人のことを信じたいけれど、少し揺らいでいるのも本当なの。このままじゃその人だけじゃなくて・・・」
「お姉ちゃんは、その人のことが大切?」
黙って聞いていたリオネが突然口を開いた。秘密の中身などどうでもいいとでも言わんばかりに。
彼は包まれていた手を解き、その小さな手で彼女の手を包んだ。
「ええ、もちろん」
「僕たちより?」
リオネが振り返り、彼女の目を見据える。それは今までリーネが彼に教えてきたことだ。大切なことは相手の目を見て話しなさい、自分の誠意を伝えるために、相手に真剣に答えてほしいとわかってもらうためにと。
リーネは小さく微笑み、「うん」と呟いた。
「こんな気持ちは初めて。今までは家族のことが大切だった。他の何よりも、私よりも。でも今は違う、その人のためなら私は他のことを捨てることだってできちゃいそう」
彼女の告白を聞いたリオネは満面の笑みを浮かべ、彼女を抱きしめた。
「だったら大丈夫。僕たちのことは心配しないで、お姉ちゃんの信じる通りにして。僕たちはお姉ちゃんのことを信じてる。何があっても大丈夫だから、その人にも伝えてあげて。あなたは1人じゃないって」
リーネは可愛らしい弟がいつの間にか立派に成長して、とっくに自分の手を離れていたのだと初めて気づいた。彼はもう自分が守らなくてはならないだけの弟ではない、彼に甘えていたのは自分の方だったのだと。
「うん、お姉ちゃんやってみる。私だけは、その人のことを最後まで信じてあげたいの」
「お姉ちゃんならできるよ、なんせ僕の自慢のお姉ちゃんなんだから」
涙を拭きとり、彼女は顔を上げる。そこには今まであった暗さはもうなく、以前の明るい頼れる姉がいた。
「皆に心配かけちゃったね。お姉ちゃんお湯沸かしてくるわ。リオネも手伝ってくれる?」
「任せてよ!」
2人は元気に部屋を出て、暖炉に火をつける。家族はそんな彼らの様子を見て、ほっと一息ついた。
(私はおじさんのことを信じてる。信じた結果がどんなものになっても、あの人と一緒に乗り越えて見せる。そのためにも今の生活を楽しまなくちゃ)
この村でこれから先のことを真に悟っていたのは彼女だけだろう。
最悪の結果になった時、彼女は自分がどうすべきなのかをこの時決心していた。もちろんそうなって欲しくなかったが、彼女はそうなっても構わないとこの時は思っていたのだ。
グリオ達が北町へと向かった後、リオネがいなくなる日までは。