第4話 狼山 前編
第4話 狼山 前編
リオネやおじさんたちが住んでいる村からさらに北に向かうと他よりも高く、大きい山がある。狼山と呼ばれるこの山は、周りの山の倍ほどの高さがあり、狼達はこの山にそれぞれの役割を持った群れを形成して暮らしている。
獣たちはどれもそうだが、基本縦社会だ。言葉を話す長と呼ばれる個体がおり、その個体が言葉は話せないが理解することができる同族達を率いている。
狼山には時折腕試しと称して人間がやってくることがある。狼達は人間と小競り合いはしても大きな争いは滅多にしないため、狼山から遠くに住んでいる人間ほど狼への危機感がない。ただ、腕試しに山に訪れた者達はそのほとんどが帰ってこないため、有名になりたい者たちが後を絶たない。狼達は全面的に争うよりも、こうして定期的に食料がやってくる状況の方が得だとわかっているのだ。
そんな狼山に、今日も新たな食糧がやってきた。
「やっと着いたな」
「ここに来るまでにやられるやつらがほとんどだと聞いていたが、拍子抜けだな」
「ああ、何度か襲われたがすぐに撃退できる程度だったな」
「2匹も倒せたし、やっぱり私達達結構強いんじゃん!」
今回の食料は男3人、女1人の計4人だ。身の丈はある大きな斧を背負った大男に、先が3つに割れた槍を持っている痩せた長身の男、通常より少し小さな弓を持った小柄な男、そして通常サイズの弓を持った肉付きのいい女。
肉の固さ、脂の乗り具合、骨のサイズまで見事にバラバラだが、狼にも好みがある。今日は皆が満足できそうだ。
この4人組は各地を巡って腕試しをしており、狸ヶ森から狐連峰を経て狼山にやってきた。人間達は猪と狼を最も警戒しており、中でも猪は何度も近くの村を襲撃する好戦的な種族だ。そのため、他の種族で経験を積み、狼山で数日生き残り猪を仕留めることができれば一流の武闘家というのが人間達の常識だ。
だが、なぜ狼だけは山で生き残るだけでよいのだろう。
戦う必要がないのならば簡単だと、先に狼山から挑む愚か者が後を絶たないのはなぜ?
それでも他の種族を倒してから狼山に挑めとされているのはなぜ?
生き残ることができれば最後に猪を仕留めろと言われているのはなぜ?
それは今まで国に名を轟かせた強者達が皆真っ先に狼山に挑んだからだ。かの者は狼山で1週間生き残り、さらには1人で猪を何匹も仕留めた英雄だと皆が話しているからだ。
狼は猪と比べて好戦的ではなく、積極的に探さなければ見つからることはないという者までいる。
だが肉食の動物だけでもてこずるのに、それが獣となって弱いはずがないのだ。
狼山にやってきた4人組は典型的な自信過剰の若者達だ。彼らは狼達の恐ろしさを知らない。やつらの賢さを、やつらの周到さを、やつらの生態を。
「結構奥まで来たねー」
「途中で何匹か動物も仕留めたし、ここいらで野宿とするか」
「ちょうどあそこに洞窟があるよ」
「奥まで確認して安全だったらあそこを寝床にしてもいいな」
「よぉし決まり!私探検したい!」
「俺は火を焚いておこう」
「残る」
「それでは私がお供しましょう」
4人は大男と小柄な男、長身の男と女の2組に分かれた。
探検組は松明を作り、火をつけていない予備の松明を何本か持って奥へと進んでいった。
洞窟内は入ってすぐのところが広い空間になっており、そこから奥へ続く細い道が1本あった。ごつごつとした岩肌に、地面にはところどころ水溜まりがある。生き物といえば蝙蝠ぐらいなもので、狼はもちろん、他の動物の気配はない。
人が何人か並んで歩ける程度の道を進むと、道が左右に分かれていた。右の道から風が流れてきているようで、2人は先にそちらに向かうことにした。目印として松明を1本残し、奥へと進む。その時、男は背後に気配を感じ振り返った。
松明の火は先ほどと同じ揺れ方をしている。
「・・・気のせいか」
「早くいくよー」
「ええ、仰せのままに」
2人は奥へと進んでいく。風は道の奥から流れてきているが、獣の匂いはしなかった。どうやらこの道は安全のようだ。
(うまい具合に2人きりになれちゃった、後で2人にお礼しないと)
(蝙蝠がいなくなった。外に続いているわけではないのか?)
浮かれた女は確認を怠り、蝙蝠を気にしていた男は上を見ていた。どちらかが下を見ていれば、風が吹いていなければ、異変に気付き急いで引き返していれば、不必要に弄ばれることもなかっただろうに。
彼らは血痕のついた道を奥へと進んでいく。自分たちの出す足音と話声のせいで後ろからの物音に気付かず、狼はいないと決めつけていたため、左の道の奥で何かが光っていたのに気づかなかった。
一方、洞窟の入り口に残った2人はある程度薪を集め終え、持ってきていた鍋に食材を入れてスープを作っていた。道中で兎を3匹仕留めたので、今日はごちそうになりそうだ。
「うむ、我ながらいい匂いだ。味見してくれないか?」
「もらおう」
大男は獣のいない山で暮らしており、こういったことには慣れていた。山籠もりも何度かしたことがあり、とりあえず熊がいないことは確認したためこうして自慢の料理を作っている。
食欲をそそる匂いがあたりに漂い、他の匂いは感じられない。外も暗くなってきた。この洞窟の入り口は木々に囲まれており、月明かりは入ってこない。そのため洞窟の中から外を見ても、あたりの様子はよくわからない。
「旨い。お前が女なら嫁にもらいたいぐらいだ」
「俺が女ならお前みたいに捻くれたチビと一緒に旅なんてしてないさ」
「む、それは確かに」
「おいおい素直に認めるなよ、俺が悪口言ったみたいじゃないか」
「捻くれ者と罵られたから改めたのにその言い草はなんだ。もう一口味見させなければ許さん」
「そういうとこだぞ?」
捻くれ者のチビは器にスープをよそってもらい、洞窟に入ってからずっと気になっていたことに考えを巡らせた。
この洞窟は森に入って少ししたところにある、誰でも見つけられるものだ。広さも丁度いいし、耳を澄ませば水の音も聞こえる。もしかしたら湧き水もあるかもしれない。奥の道は大きな肉食獣が通れるほどではないし、あたりに骨が散らばっていないので狼が利用しているわけでもなさそうだ。
入ったときに獣臭さは感じなかったから動物の巣というわけでもない。ここまでの条件が揃えば、自分たちのような者達の痕跡があちこちにあってもおかしくはない。痕跡らしいものは、火を焚いていたであろう焦げ跡だけで、座りやすいように置かれた石もなく、誰かが汚した後もない。
何よりここの話を聞いたことは一度もなかった。狼山から戻ってきた者達から寝床にした場所はよく聞いていたのにだ。こんなにも好条件ならお決まりの場所になるのが普通ではないか?
(何か引っかかるが、あの2人が戻ってきたらそれとなく聞いてみよう。どうせ何も進展しないだろうしな)
彼が奥の道を進んでいれば、何かに気づいただろうか。もしくはもっと辺りを散策していれば。もしくはスープの匂いがしていなければ。こうしていくつもの条件が重なり、彼らは手遅れになってしまう。それもこれも狼のことを侮っているからだ。狼達がその評価を利用して人間達を狩っているなど、誰も考えはしない。獣といえど所詮動物。長ならまだしもただの狼にそこまでの知恵はないと考えているのだ。
「たす、けて。だれ、か・・・」
洞窟の外からかすかに少年のような声が聞こえる。大男はそれに気づき、小柄な男と目配せしてから武器を取り、1人入口へと向かう。その間小柄な男は弓を構え、いつでも援護できるように入口に集中する。
「けがをしたのか?」
「狼に、襲われ、て。何とか、ここまで。でも、もう、歩けなくて」
「わかったすぐに行く、もう大丈夫だぞ」
大男が入口際の壁に背中をあて、そっと外をのぞいた。両手で斧を持ち、体の正面に構える。斧は下に向け、すぐに振りかぶることができるようにした。
外の暗闇に顔を出すと、背後から何かに噛み付かれた。
「何!?」
すぐに振り払おうとしたが、両腕の感覚がなくなっており、しっかりと握りしめていた斧を落としてしまった。
(この一瞬で両腕をやられた!?だが後ろにはあいつがいたはず・・・!!)
慌ててもう1人の男に視線をやると、喉から血を流しながら地面に倒れている仲間の姿があった。傍には1匹の狼がおり、弓を咥えている。
そして彼の前には2匹の狼がおり、その牙は血にまみれていた。
(奥から来たということは2人は・・・!?)
大男は自分たちがもう助からないことを悟った。それでも一矢報いるため、狼達を睨みつける。
(さっきの子どもの声は囮か。狼はわざと獲物を逃がして囮にすると聞いていたが、油断していた・・・!まさか俺たちの出す音に合わせて近づいてきていたとは・・・!!)
男の考えは当たっていた。狼達は彼らの話声や、薪の燃える音、スープを混ぜる際に出る音に紛れて静かに近づいていた。小柄な男が弓を構えた時、喉を潰され、弓を奪われた。体は狼の上に倒れ、あらゆる音を消されていた。それでも多少の音は出るが、大男は外の子どもと会話しており、後ろに注意を向けていなかった。洞窟の中は音が響くため、自分の声と子どもの声が合わさり、察知ができなかったのだ。
また料理の匂いがあたりに溢れていたため、獣の匂いを感じることができなかったことも災いした。
「少年すまない、俺はここまでのようだ。君だけでも助かるよう時間稼ぎするから早く逃げなさい」
「ううん、気にしないでおじさん。僕は固いのより柔らかいのが好きなんだ」
突然真横から先ほどの子どもの声が聞こえた。驚愕とともに男が顔を向けると、そこには先ほどの3匹よりも小さな狼がいた。
「なにが・・・」
「いいねその顔。いつ見ても面白いや、やっぱりここでやるのが一番うまくいくね」
信じられなかった。目の前で狼がしゃべっているのだ。口を開けて、笑顔を浮かべているようにも見える。こんな小さな狼が?言葉を話すのは長だけのはずだ、狼の長は他のより一回りも二回りも大きいと聞いたのに、こんな・・・
「ばいばい、固いお肉さん。残さず食べるから安心してね」
小さな狼が話終えると同時に2匹の狼がとびかかり、男は固い肉になった。
(そうか、俺たちは初めからこいつに嵌められていたのか)
小柄な男はまだ意識があり、仲間が殺されるのを黙って見ていることしかできなかった。後ろから首を噛まれて、喉と一緒に体の感覚がなくなってしまったのだ。間違いなく狙ってのことだろう。これはやつらの常套手段なのだ。
道中でわざと若い狼や年老いた狼に襲わせることで、狼は弱いのだと思い込ませ、警戒心を緩める。山に入ってここまではすんなりこれるので、おそらく誘導されていたのだろう。
そしてここで分断し、確実に狩る。仮に全員が奥に行っても、武器を振り回すには狭すぎるが狼程度なら壁伝いにでも襲ってこれる程度の広さだ。どっちにしろここに来た時点で詰んでいた。
「君は柔らかそうだねぇ、脂も丁度よさそうだし。雌は脂っこいからあんまり好みじゃないんだよね」
だがわからないのはこいつだ。言葉を話すのは長だけ、これは間違いないはずだ。長はジャビルと呼ばれる老狼で、左前足の付け根から背中にかけて傷がある。体は他よりも大きいし、なによりこんなところにいるはずがない。やつはもっと奥の方にいるはずだ。
「まだ生きてるでしょ?君は勘がよさそうだったから特別に教えてあげるけどね、僕はジャビルの跡継ぎのジュマっていうんだ。彼はもう少ししたら死んじゃうみたいでさ、僕が彼の代わりってわけ」
長、後継?こいつはなにを・・・
「それにしても学ばないよね。定期的に君らみたいのがやってくるからさ、たまに見逃してあげたり、実験して逃げられたりしてるから僕らの怖さを知ってるはずなのに、次から次へとノコノコとさ。まあそうなるようにしてるのは僕らなんだけど」
「・・・ろ!!・・・て!!」
奥から、声が、あい、つらの・・・
「向こうのが楽しそうだなぁ早く食べちゃうか。知ってるよ君らは食べる時こう言うんでしょ?」
ああ、こんなことになるなら、もっと早く、あいつらを・・・
「いただきます♪」
ジュマと名乗った狼の言葉とともに、2人の男はただの固い肉と柔らかい肉になった。
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