第2話 幼馴染
櫛の件から数日後。リオネは、父のグリオに連れられて東町にやってきていた。
狼山から鹿森にかけて流れる河の傍にある東町は、4つの町の中では比較的小さい町だ。
それでも、東に行くとリオネ達の村から木材がてにはいる。町から南東に向かうと、鹿森の鹿を狩っている村があり、そこから肉も手に入るので、町の住民はここを気に入っている。
それでも近くに狼山があるため、住民のほとんどが何かしらの武術を習っている。もちろんレベルが高いとは言えないが。
狼山と主に争っているのは北町で、そこからさらに北に向かうと海がある。村との距離も近いため、町の中では2番目に大きい。
分かりやすく言えば狼山と戦う北、木材や肉を集め、首都や北町に送る東という関係だ。
なぜ東町へ来たのかというと、グリオが木材の納品に行くことになったらしく、リオネもそれに同行したのだ。姉のリーネは危ないと言って反対したのだが、リオネから涙目の上目遣いで、ねえいいでしょぉ?と甘えられては、勝てるはずもなかった。彼女は根っからのブラコンなのである。
リオネがおじさんと過ごさずにこちらに来ているのには訳がある。彼には小さいころからの幼馴染がいるのだ。リオネが狼に襲われて、心身共に疲弊しきっていた時に預けられていた家の娘で、父と母の昔からの友人だ。
東町では3泊2日の予定で、リオネは幼馴染のところで2日間預けられることになっている。
「ミーシャ!久しぶり!」
「ええ。お久しぶりね、リオネ」
落ち着いた印象を受ける少女が、幼馴染のミーシャ。黒髪を肩のあたりで切りそろえた髪型は、彼女の清純なイメージを後押している。リオネと同い年だが、彼女のほうがどこか大人らしい雰囲気を醸し出している。2人は、グリオが東町に来る時しか会うことができず、その頻度はひと月に1回とあまり多くはない。
「前会った時よりもまた大人っぽくなった?とってもきれいだよ!」
「ええ、ありがとう」
「あれ、爪がすごいきれい・・・お姉ちゃんのとは全然違うや」
「え、ええ、さすがねリオネ。ありがとう」
「うん?クンクン、もしかして洗髪料かえたの?いいにお」
「さあ!早く行きましょうリオネ。お父様たちの邪魔になってしまいますし」
リオネの女性に対する記憶力と観察眼は並みの物ではなく、それは村のおばちゃんたちに対しても変わらない。村で1番モテている人物といえば、リオネがぶっちぎりの1位で、その他が2位争いを繰り広げている有様だ。ちなみリーネが仕込んだともっぱらの噂だが、実際に仕込んだのは父のグリオであり、先代の1位は彼である。
それは月に1度しか会わないミーシャも例外ではない。むしろ彼女の場合は、弱っていた彼に頼られ、その純真無垢さに骨抜きにされた被害者の1人だ。父親の前ではなんでもないことのように振舞っていただが、リオネという名探偵によって、数々の努力が白日の下に晒されてしまった。
もちろん気づいてくれたこと自体をミーシャはとても喜んでいるが、何事もTPOが大切だ。彼女は花も恥じらう乙女なのである。
「・・・リオネ君は相変わらずすごいな。ここいらじゃ高値の花のうちの娘が形無しだよ。男として尊敬するね、割とマジで」
「ん?おお!自慢の息子だからな!」
「・・・お前も相変わらずで何よりだ。さて、それじゃあ仕事に向かうとするか」
「リオネー!行ってくるぞー!!」
「うーん!行ってらっしゃい!おとーさーん!」
「そういうの恥ずかしいから自宅でやってくれない?」
リオネ達は稽古場に向かっていた。彼らはこの2日間、近況報告をすましてから武術の鍛錬に励む。
この世界には俗に魔力と呼ばれるものは存在していない。また超能力といったものも現在のところ確認されていない。科学はそこまで進んでおらず、車もまだない。移動は基本馬車か徒歩で、リオネの村から隣の村へ行くだけでも1日かかり、彼の村から東町へは2日、首都には2週間はかかるともいわれている。
当然銃も存在していないため、この世界では剣や槍、斧、弓といった武器が主流だ。
リオネとミーシャはその中でも斧を扱う武術を習っている。そもそも両親が出会ったのも武術がきっかけだ。
斧の武術にも流派が存在している。
最も人気が高いものは、大きな斧を扱い、最大級の一撃で相手をねじ伏せる楠流。リオネの一家はこの流派だ。
次に人気が高いものが、通常サイズの斧を主武装とし、独自に作り出した、小さい斧を投げながら戦う榧流。ミーシャの一家はこの名門にあたる。
噂だが、斧の二刀流なんていうのもいるらしい。これは定かではない。
それぞれ戦い方が違うだけで、斧の大きさに制限はない。リオネ達の楠流でも、女性は中くらいの斧で戦っている。そもそも斧の武術は木こり達が発祥で、特に型があるわけではない。せいぜいが斧の振り方で、楠流に至っては、自分で木を倒して各々習得せよという大雑把なものだ。
その点榧流は、簡単なものだが型が存在する。木を頻繁に倒せる村の人間は楠流、木を倒すことができない町の人間が榧流といった具合で分かれている。
「あら、お姉さんに櫛を?」
「そうなんだ、僕が失くしちゃって。でもお姉ちゃんすっごく喜んでたなあ」
「そう・・・櫛はどうやって作っているの?」
「すっごい大変なんだよ?木を煙に1か月当てたり、そこから表面を削って溝を彫ったり。結局2か月もかかっちゃったんだ」
「フフ、そんなに大変なのにわざわざ作ってあげるだなんて、リオネは本当にお姉さんが好きなのね」
「もちろん!」
(あれ・・・?)
目敏いリオネは違和感を覚えた。いつものように近況報告をしていたら、ミーシャが少し落ち込んでいるような気がするのだ。おそらく自分ばかりが話してしまったからミーシャが退屈してしまったのだろう。
そう考えた彼は、お気に入りのカバンから、綺麗に包まれた小さな箱を取り出した。
「はい、ミーシャ。先週だったよね、誕生日」
「・・・え?」
「開けてみて開けてみて」
まだ事態が呑み込めていないミーシャが、言われるがままに箱の包みを解いていく。その様子はいつぞやのリーヤと同じだった。
布に包まれていた小さな箱を開けると、小さく「12歳のミーシャへ あなたのリオネより」と彫られている、彼女の手には少し大きな櫛が入っていた。
「これ、さっきの・・・」
「そう!櫛を作るのに2か月かかるって聞いたときに、ミーシャの誕生日がそろそろだったなって思ってさ。師匠にお願いして、もう1つ作らせてもらったんだ。あ、その文字も僕が入れたんだよ?」
「もう、あなたって人は・・・」
ミーシャの目から、静かに涙が流れ出した。
「・・・そんなにうれしかったの?」
(なんでこういう時だけ鋭いのよ・・・)
ミーシャは彼の話を聞くのをいつも楽しみにしていた。月に1度、退屈な日々での唯一の幸せだ。リオネはいつも楽しそうに、幸せそうに、そしてミーシャを楽しませようと話してくれる。それでも、彼と過ごすことができなかった、そこに自分はいなかったと思ってしまうと、悲しい気持ちを抑えられなくなってしまうのだ。
その度にリオネは、彼女の気持ちに気づいて、手を差し伸べてくれる。君は1人じゃない、僕は今君といるんだと、彼女を優しい気持ちで包み込んでくれる。
彼女自身、このままではまずいことはわかっている。今のままではリオネという天性の女たらしに身も心も捧げて、彼なしでは生きられないようになってしまうと。
実際のところもうそうなっているのだが、プライドの高い彼女はそこだけは譲れなかった。彼女の目的はリオネを自分に夢中にさせ、2人でこの家を継いで暮らしていくこと。
あくまでも主導権はミーシャにあり、リオネは彼女なしでは生きられず、そしてお互いを一番理解合っている唯一無二のパートナーに・・・
「・・・-シャ、ミーシャ、大丈夫?ボーっとしてたみたいだけど」
「な、なんでもないわ。さあ、お稽古を始めましょうか」
「うん!今日こそ負けないよ!」
うっかり1人の世界にトリップしてしまっていた。だが、計画は今のところ順調だ。リオネはこちらの流派の方が肌に合っていると考え始めているし、今は独自の戦い方を作ろうと頑張っている。家業は兄のグリシェが継ぐだろうから、リオネを縛るのはせいぜいあの姉ぐらいなものだ。
「私の勝ちね、リーネさん。フフフフ」
「どうしたの?」
「いいえ、なんでもないわ。さて、始めましょうか」
「うん!」
適当な位置で準備運動を始める。お互いの準備ができれば試合開始だ。
武器は使わず、お互い素手でやりあう。体術の心得は2人ともないが、これは動体視力を鍛えるのが主な目的なのでそれでも構わないのだ。
先に仕掛けたのはミーシャ。姿勢を低くし、時計回りに走りながらリオネに近づく。
対するリオネは、少し重心を低くし、ミーシャを正面に見据えるように、右足を軸にしながら向きを変える。いつでもミーシャに対応できるようにするためだ。
リオネの基本戦術は楠流と同じものだ。相手を受け止め、もしくは流して一撃を加える。今回はミーシャを狼と見立てているので、彼はミーシャの攻撃を除けなくてはならない。リオネの体格では、狼の攻撃を受けることはできないからだ。
ミーシャが円状に走る動きをやめて一直線に向かってくる。リオネは焦らず、右足を軸に体を反時計回りに回。左腕でミーシャの手刀を受け流し、右手でミーシャの肩に触れ、少し押す。ミーシャの軌道がそれ、避けきれたのを確認してから今度はリオネが攻める。ミーシャは不利な体勢で応戦しなくてはならず、距離を取りながらも応戦する。
ミーシャの榧流は基本動き回っているため、動きが止まったところを狙われることが多い。リオネの楠流も背後から狙われた場合に咄嗟に避ける力が求められる。
お互いの弱点を責め合うこの交代制の訓練は、彼らが思っている以上に効果のあるものだった。
「はあっはあっはあ」
「はぁっはぁ、前より、反応が、よくなった、ようね」
2人は、並んで仰向けに寝っ転がっていた。時には相手を投げ飛ばし、時には相手の足をかけ、さらには腰に抱き着いて噛み付くことまであるこの訓練は、体力を相当消耗し、また最高に楽しい遊びである。
それでもミーシャは素早く呼吸を整え、余裕の表情を作る。
「うん、前と、っはぁ、やり、方を、かえ、って、みたんだ」
「あら、私も知らないやりかた?」
「匂いをね、追ってみるんだ」
「匂い・・・?」
「あと音もだね、床を蹴る音、後ろのミーシャの息遣いに、避けた後の汗の匂いとか」
「汗・・・」
「やっぱりミーシャ洗髪料変えたでしょ?汗と混じってすごくいい匂いだもん」
「っ!!!」
ミーシャは思わず自分の体を抱きしめていた。リオネは匂いだけに飽き足らず、息遣いまで聞き取ったと言っていた。その言葉を聞いて、まるで全身をリオネからじっくりと眺められているような、心臓の鼓動から、心の機微まで、全てが、リオネに晒されているような・・・!!
「ミーシャ?急に息が荒くなったけど大丈夫?」
「!!!え、ええ、大丈夫よリオネ。心配してくれてありがとう」
「本当に大丈夫?呼吸だけじゃなくてなんだか匂いまで変わってきたような・・・」
「リ、リオネ!あ、あなたのその戦い方は私達だけの秘密にしておきましょう」
「え、いいけど・・・」
「それと、その、は、恥ずかしいから、にに、匂い、とかの感想は、その、二人だけの時で・・・」
「んー、分かった。それじゃあどうしても伝えたくなったときは耳元で小さく言うね」
「ええ、そうしてくれると助かるわ。それじゃあ湯あみに行きましょうか」
「はーい」
その後、皆がいるところで、自分の湯上り後の香りと、それを聞いて早くなった呼吸と鼓動について耳元で解説され、新しい扉を開いてしまったのは、また別のお話。