【稲頭村案内 その一】トメさんちの裏山
トメさんちの裏山で探検するよ!
稲頭村。
某県某群にあるこの村は、控えめに言って田舎、正直に言ってド田舎である。
山間部に位置するため、村の八割は山林であり、人口は五百人程度。
林業と農業が盛ん……というか、それしかないので先祖代々それで何とか食いつないできたものが多い。
決して裕福な村ではないが、村民の気質は大らかだ。
それに、最近になって特産物として売り出せそうなものもできた。
巣窟。
及びその副産物である魔道具類。
ここ稲頭村は、世界的にも珍しい「活動性巣窟多発地帯」であった。
数十年前のある日。東京から数十キロ東の海に突如現れた『世界樹』。
これはみな小学校低学年の内に社会で学ぶので詳しい説明は割愛するが、その世界樹の影響は地球上すべての範囲で様々な形で現れた。
まず、出現当時に未成年、特に年齢の低かったものを中心に、『魔法』と呼ばれる異能が発現するようになった。
現在では人口の九割以上が何らかの魔法を行使できる。
魔法には属性があり、大雑把に分けて火・水・風・土の所謂四大属性、稀に光・闇、そして世界にも数人しかいないと言われる無。この分類の仕方だけでも、氷や雷なども別にすべきだ、土ってなんだ土って、など、特に日本で喧々諤々の議論が繰り広げられたことは言うまでもない。
さて、魔法のほかには、やはり『巣窟』。
世界樹の出現に伴い、世界のあちこちで地形の変化が起こった。その結果、巣窟、俗称『ダンジョン』と呼ばれる、洞窟や、まるで異世界から移築してきたような構造物、それまで決してそこに存在しなかった広大な森などが現れた。
それらの中には当然のように異形……俗称『魔物』とか『モンスター』とか呼ばれるモノが犇めいていたりいなかったりした。
異形がいる巣窟は活動性巣窟と呼ばれる。異形の多くは知性があまり高くなく、人間を見つけると吠えたり逃げたりたまに襲ってきたりと、まあ、見た目の変わった野生動物のようなものである。ただ、異形には物理的な攻撃が通じにくく、しかも魔法を使うものが大半なので、遭遇して戦闘になり命を落とすといった事故も、毎年数十件は発生している。また、非活動性巣窟も、急に活動性になる例が多数報告されており、油断はできない。そのため、巣窟は政府によって立ち入り禁止とされている。例外は、特別環境省世界樹・巣窟調査局の所属職員くらいだ。
とはいえ、田舎の人々にとって巣窟は、「ちょっと危険な場所」くらいの認識であるし、稀に巣窟からはぐれてくる魔物も、「クマがたまに人里に降りてくる」程度の感覚である。
となると、その地域に住むこどもたちにとって、巣窟はちょっとした探検にもってこいの遊び場所となるのは、当然といえよう。
この稲頭村でも、それは例外ではなかった。
【稲頭村案内 その一】トメさんちの裏山
「おーいセイジー! 帰ろうぜー!」
「ぜー!」
HRを終え、県立稲頭東高等学校一年二組は生徒たちのお喋りの声に溢れていた。幼馴染のケンタとコウスケに声を掛けられたセイジは、丁度鞄に教科書を詰め込み終わったところであった。
「うん。じゃあ準備して」
「おー」
「おー」
自分たちの準備を済ませる前に、ケンタたちがセイジに声を掛けるのはいつものことである。ケンタとコウスケは、自分の鞄に教科書や今日拾ったかっこいい石を元気よく詰め込み始めた。
「今日は帰り、どうする? ウメさんのとこか本屋に寄る?」
セイジがその日の放課後の過ごし方を訊くのもいつものことだ。任せっきりだとぐだぐだになりがちなので、まず何気なく選択肢を与えるのも、生まれてからずっとの長い付き合いで自然に身に着いていた。
「あ、今日はちょっと遊びたい気分!」
コウスケの提案に、
「お、いいね! 街のゲーセン? それとも川? 山?」
ケンタも乗っかった。
「ゲーセンはここからチャリで一時間……そこから家に帰るのに二時間で、移動に合計三時間……ケンタは課題大丈夫なの?」
「あ」
「あ」
「コウスケもか……」
「じゃあ山にしよ!」
課題のことは置いておいて、コウスケはやる気満々だ。
「いいよ。トメさんちの裏山? ケンゾウじいさんとこ?」
「トメさんちー!!」
ケンタの元気のよいお返事で、その日のコースは決まった。
学校から自転車を漕ぐこと一時間。それで彼らの住む稲頭村の入り口に辿り着く。
「お。三人とも今帰りかい?」
「お帰りー。そうだ、筍持って行きなさい」
村に着くと、すれ違う村民たちが皆声を掛けてくる。この村には彼ら三人しかこどもはいない。実は例外もいるといえばいるのだが、それは一旦置いておく。とりあえず、彼ら三人は村のみんなの孫のような存在だった。
三人の家は、村の中でも山の方の集落にある。坂道を元気よく立ち漕ぎで登っていく。今日の目的は集落より手前にあるので、荷物はそのまま持っていく。
「トメさん、こんにちはー!」
「こんにちはぁ!」
「こんにちは、お邪魔します」
目的地のトメさんの家の前に、鞄と筍を搭載した自転車を停めると、三人は家の主に声を掛けた。
「おやぁ、よく来たねぇ。裏山の探検かい?」
「うん! 入っていい?」
「いいよいいよ、行っておいで。怪我しないようにねぇ」
「はーい! ありがトメさん!」
「行ってきまーす!」
「行ってきます」
鞄から取り出しておいた軽いナイロンのナップザックを背負うと、三人は慣れた様子でトメさんの家の裏に回った。こんもりとした竹林の中に踏み入る。少し進んだ先には、洞窟の入り口があった。彼らの目的は、この洞窟である。
「さて、今日はどんなお宝が見つかるかな!」
「かな!」
ひんやりとした洞窟内に、ケンタとコウスケの楽し気な声が響く中、セイジはメモ帳とペンを取り出して慎重に何かを記録していく。
「あんまり先に行っちゃだめだよ。迷うから」
「おー」
生返事に思わず笑みを零しながら、セイジは指先から炎を生み出した。
指先から、炎を、生み出した。
「目印は置いておくけど、毎回構造変わってるんだからねー! 晩ご飯までに帰りたいでしょ」
「……ばんごはん、だいじ。おれ、ゆっくりいく」
なんだか片言になったコウスケにまた笑ってしまいながら、セイジが、つ、と指を走らせると、足元にぽとりと炎が落ちて、そのまま小さな花のように地面に居座る。
「じゃあ行こっか。いいのが見つかるといいね」
「なー!」
先頭を行くケンタの笑顔が明るく輝く。比喩ではない。ケンタの前に、拳大の光の球が現れたのだ。
「灯りよーし! さぁ探検だー!」
「おー!」
ふよふよと浮かぶ光球を先頭に、彼らは洞窟……稲頭村の活動性巣窟の一つを進んでいく。
跡には点々と、炎の花が燃えていた。
巣窟と、巣窟に影響を受けた周辺には魔道具が落ちている。これは常識であるが、魔道具自体についてはまだ謎が多い。大抵はただのガラクタのような見た目をしているが、なんらかの魔法に関する力、所謂魔力を秘めている。
その魔道具の属性と同じ属性を持つ者が見たり触れたりすると、感覚的に「あ、こういうことね」と使途が分かる。大抵は、新たな魔法を覚えたり、魔法の……習熟度とでも呼べばいいのだろうか。そういうものが「なんとなく」上がる。あくまで本人にしか感知できないからどういった魔道具がどの程度作用するかの統計は取れない。ただ、シバヤマさんちのおじいちゃんは、巣窟付近で山菜を採っているときに偶然見つけた魔道具で、それまでマッチ程度の火力しか出せなかったものが、キャンプファイア並みにレベルアップした。
となると、大変有用かつ危険なものにも思えるのだが、色々と厄介な性質がある。
まず、同じ属性の者にしか意味がない。次に、同じ属性でも、習熟度や相性が関係するようで、使ってみてもなんの変化もないことはざらである。そしてどういった効果・程度かも完全に運任せ。おまけに、一度同じ属性の者が使用すると、効果のあるなしにかかわらず魔道具の効力そのものが消え失せる。
そのため、若者たちの間では『高確率でハズレのガチャ』と呼ばれていた。
だが、未知のアイテムにドキドキしちゃうのは人の性である。仕方がないのである。
そういった訳で、ケンタたち三人も魔道具を目当てに小さな頃からよく巣窟に潜っていた。
「あ、ちょっと待って、なんかいる」
先頭を歩くケンタが足を止めた。光球の光量も落とす。ケンタの使える魔法は光属性であるが、光属性は存在自体がかなり珍しい。村にも、学校にもケンタしかいない。ただ、メジャーな四大属性に比べて一般的に役に立つ能力とはいえないので、光属性は履歴書に書いてネタになるくらいと言われている。ちなみに性格的に明るい人が多い。
閑話休題。
「魔物?」
コウスケがケンタの前に出た。
「多分。影だけチラっと見えたけど」
「近い?」
「結構」
「おっけー」
コウスケは身を屈めると、三人の前に水のカーテンを作り出した。毎回魔物と出遭ったときに使う手だ。本人曰く、「えーとね、こうすると、光の反射とかそういうので向こうからはこっちがよく見えなくなんの。便利!」とのことだ。
勿論、コウスケの属性は水である。四大属性の中で最も汎用性があり、質量を持ったものを生み出せることもあり、重宝がられている。特に稲頭村の農家では、農地を耕すのに手間いらずの土属性と、日照りの心配が要らない水属性は大活躍である。この属性の夫婦の田畑はいつでも豊作だ。
また、水について知れば知るほど応用によって色々とえげつないことも出来てしまうため、能力の追究にハマった水属性がよく理系の教師や学者になっていたりする。
閑話休題。
「やり過ごせるかな」
不安そうにセイジがポツリと口にしたのと同時に、五メートル程先の角から、魔物が現れた。二足歩行の猪のような風体である。大きさは小学校低学年のこども程度。顎より下にまで伸びる鋭い牙が恐ろしい。興奮気味にふごふごと蠢く鼻から、白い湯気が出ている。
「あー、なんかああいうタイプってさぁ」
ケンタが笑顔で振り向いた。
「鼻とかよく利くやつ、多いよな!」
その言葉が終わるのと丁度同じタイミングで、猪は四足歩行になると、三人目掛けて突っ込んできた。
「みたいだね!?」
セイジの焦った声と、
「えい」
コウスケの気の抜けた気合が重なった。
と同時に、水のカーテンが氷の壁に変化する。
「~~~!!」
壁に突進し、声にならない呻きのようなものを上げて、猪はひっくり返った。目を回しているようだ。
「終了~。目を覚まさないうちに距離を取ろうよ」
コウスケに同意して、三人はまた光球を先頭にして足早にその場を立ち去る。魔物は厄介なものもいるが、基本的にはただの動物だ。おまけにこちらが侵入者なのである。できる限り傷つけたくはない。
大抵は、まずコウスケの水のカーテンや霧で隠れてやり過ごす。見つかれば先ほどのように水を氷にして防いだり、ケンタの光による目くらましや、セイジの威嚇の炎で怯ませて、逃げたりする。
「それにしてもコウスケの魔法、また反応が早くなってない?」
「だよなあ。水から氷になるの、一瞬だったな」
「うん、なんかね、思ったようになるまでのタイムラグが、すっごい減った」
すごいっしょ~、と得意げに笑うコウスケと他二名は知らないことなのだが、魔法の習熟度は、巣窟内で使用することで通常より大幅に上がる。特に、魔物相手に使用すると劇的に上がる。これは政府が隠匿している情報であった。
魔物をやり過ごしたり逃げたりかっこいい形の石を拾ったりしながら暫く進むと、やや開けた空間に出た。それまでのゴツゴツした岩肌だらけの風景とはやや異なる。中央には平らな地面と、若干の草地が目に入った。
「なんかラスボスとかイベントとかありそうなトコだなぁ」
「だなぁ」
ケンタが迷いもなく中央の草地に進んでいく。
「そう思うならちょっとは警戒しなよ……」
殿を務めるセイジが辺りを見回す。ついでに炎の花を多く生み出し、三人の周りに纏わせた。揺れによって異変を察知したり、いざというときの簡易な障壁となる。
さて、炎属性は四大属性の中で、人口比でいえば多めなのだが、すぐさま凶器になる能力のため、強い自制心を求められる。就学前の炎属性に対して、特別に開かれる「あんぜんほのおきょうしつ」は炎属性あるあるの鉄板ネタだ。
大半の炎属性の能力は、自身が火傷しにくい他、マッチ~松明、稀にキャンプファイア程度の火力・大きさの炎を、単純に出すくらいしか出来ないのではあるが、ご家庭でもガス代の節約に、キャンプでもBBQ要員に、火力発電会社の職員に、と色々重宝されている。
幼いころから日常的に巣窟で魔物相手に魔法を使っているセイジは、自由自在の大きさ・形の炎を様々に操ることができるし、火力も最大で……いや、怒らせるとヤバそう、とだけ言っておこう。
閑話休題。
「お」
草をゴソゴソとやっていたケンタがなにか見つけたようだ。隣でコウスケは芋虫を見つけた。
「魔道具だ!」
ケンタが誇らしげに掲げたのは、巻物状のものだった。比較的魔道具には多い形態で、一部の魔道具愛好家の中では『スクロール』と呼ばれていたりする。だが三人はそんな呼び方など知らないので、『巻物っぽいなんか』で十分だ。
「お! やったね。属性は? 分かる?」
流石にセイジも声が弾む。
「光だ。またかぁ」
自分の属性だが、ケンタはちょっぴり残念そうだ。
この稲頭村の巣窟では、光と闇の魔道具が見つかる割合が高かった。村人が山菜や筍を取る際によく見つかるが、村で光はケンタだけ、闇もひとりだけなので、山菜や筍付きでよくもらっている。
「いいじゃんいいじゃん! すっごいのかもよ!」
芋虫をキャッチアンドリリースしてやりながら、コウスケは楽しそうだ。
「でもさぁ、なんか俺ばっかで悪ぃっていうか」
「気を遣わなくていいんだよ。探検、楽しいし」
「し!」
「……いひひ!」
くしゃっ、と笑って、ケンタはスクロールを広げてみた。途端、体中に力と情報が流れ込むような感覚があった。適合したようだ。
「お! ほぉほぉ……ふむ……」
「どう?」
「これ……すげぇかもしれねぇ……うん……」
「なになに~?」
「まさか……」
セイジが目を輝かせる。
「そう、まさかだ! これ、アレだ! 『大魔法』だ!! イヤッホーーーーゥ!!」
大魔法。
それは極々珍しい、強力な魔法である。相当な習熟度と、相性に加え、それを覚えるための魔道具はかなりの希少品。そのため、大魔法を使えるものは世界中に百人もいない。特に巣窟が多く、大魔法の資質を備えやすいとされる日本においてすら、特別環境省世界樹・巣窟調査局世界樹探索課職員に数名しかいないと言われている。
「だ……大魔法……!!」
コウスケが興奮気味だ。魔法の探究に走りがちな水属性の性なのか、新しい魔法には特に興味津々なのだ。
「あ、あれでしょ、なんか、こう、『うんたらかんたら……そいや!!』みたいなやつ!」
「そう、それ!」
「どれ?」
恐らく詠唱のことだと思うのだが、実はそういうものは魔法の発動に必要ない。ただ、なにか特別感を出したかったり、気分がノったりしてそういうアレを口走っちゃう者は結構いるのだ。大魔法使いの中には。
「俺もうんたらかんたらやりたい!」
ケンタもそのクチだったようだ。
「やろうよ! まずどうする!?」
コウスケもノリノリだ。
「これ光の魔法だから、なんか、ピカーッ! って感じのがいいな」
「ぴかぴか……新しい……」
「朝!」
「国民的な体操の歌かな?」
周りをなんとなく警戒してるセイジのツッコミは、もう二人の耳には届いていない。
「よし、『新しい朝』、次!」
「んー……希望の……」
「希望! いいな!」
「やっぱり体操かな?」
「希望の、夢!」
「希望の夢……!! かっけぇ……!! セイジ、メモ帳とペン貸して!」
「はいはい」
ケンタが興奮気味に詠唱を書き込んでいく。もう止められない。
「やっぱ若い感じ入れたくね? 新しくて希望って!」
「若さ!」
「でも若いとヘマもするって、こう、深くね?」
「若者の……若者の……」
「涙?」
「涙……! 天才か……!」
ケンタの才能に打ち震えるコウスケの横で、セイジは火の玉でお手玉を始めた。
「よし、今んとこ『新しい朝 希望の夢 若者の涙』」
「校歌かな?」
「乗り越えようぜ、涙!」
「おぉ……!!」
「『乗り越えて いこう』」
「『どんな困難も』」
「いぇーい!」
「いぇーい!」
「合唱コンクールの課題曲かな?」
「ノってきた! 風入れようぜ風」
「光魔法」
「風いいな! さわやか!」
「光」
「そっか、光だから太陽も!」
「いいね!」
もはやセイジのツッコミも、正しい意図では伝わらないのだ。
「『さわやかな風 太陽さんさん』」
「教育番組の歌かな?」
「やっぱさ、笑顔とか、ポジティブなの入れてこ!」
「いいね!」
「……うん、そうだね!」
セイジも諦めた。
「『みんなの笑顔が 見たいから』」
「CM?」
「『あきらめないで』」
「……CM?」
「ノってるな」
「ノってる」
「……」
「ここでちょっと闇に打ち勝つみたいなとこいれとこうよ!」
「おお……! ドラマティックだな!」
「なんかいいのない? かっけぇやつ」
急に話を振られたセイジだが、面倒見がいい性分なので真面目に考える。
「……闇……(中学二年生が考えそうなやつがいいのかなぁ……ケンタだし……大魔法だし……)『晦冥より覗きし怪異に』、とか? ちょっとクサすぎるかな」
「かいめ……???」
「???」
「……暗がりでいいよ」
「よし、それならちょっとわかる! 『暗がりからこっち見てる怪しいヤツに』」
「やっぱり待って色々危ない」
「『立ち向かえ』」
「通報して?」
「いいねいいね……! それっぽくなってきた!!」
「……もう好きにしなよ」
元から好き勝手である。二人がキャッキャと詠唱の文句を詰めていく中で、セイジは器用に炎のハンモックを作ってそこで寛ぐことにした。
だが、その十数分後であろうか。
不意に漂わせていた炎が揺れた。セイジが身を起こす。
『貴様ら……何者だ』
突如、彼らのいる空間に音が響き、三人の頭の中に言葉が響いた。
「! この感じ……」
セイジがハンモックから跳び起き、コウスケが三人の周りに水の壁を張る。音は恐らく、自分たちには理解できない言葉。それの意味が直接脳内に伝わる感覚に、彼らは覚えがあった。
「久々に……言葉の通じる魔物か!!」
ケンタはペンとメモ帳をポケットに押し込み、光球を一際大きくして頭上に浮かべる。三人はそれぞれに背を向け、明るくなった辺りを見回した。
『何者かと、聞いている!!』
咆哮のような音と意味が響く。その瞬間、入ってきた方向とは別の方に、大きな黒い炎の塊のようなものが現れた。
「俺、イナムラ・ケンタ!! 健康の健に太陽の太! 好きな食べ物はカレーと唐揚げ!!」
「ケンタ、そういうことじゃないと思」
「ハタナカ・コウスケ!! えっと、好きな食べ物はカレーとハンバーグ!!」
「……」
「ほらセイジも」
「ほら」
「……カツラギ・セイジです。好きな食べ物はカレーとカツ丼」
「!! カツ丼……!! ずりぃ! じゃあ俺、とんかつも!!」
「じゃあ俺、カレーをカツカレーに!!」
「天才め!!」
「……」
『……』
黙るセイジと魔物。
「あの……なんかすみません。俺たち、ちょっとこの巣窟に探検というか、好奇心で遊びに来てて」
「そうだケンタ、食文化が違ったら、カレーがどういうのかわからないのかも!」
「そっか! ……どう説明すればいいんだ……」
「二人はあっちで話しとこうね。……あの、お邪魔しました。俺たちそろそろ帰りますので」
『ふざけるな!!!!』
咆哮。もっともである。
『下等な蛆虫どもめ!! ただで帰れるとは思うな!!』
黒い炎が変形する。見る見るうちに、人間の大人より大きな、二足歩行の虎のような形になった。
「あれ? なんか、怒らせちまったかな……ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「二人とも、もう謝る段階じゃない。構えて」
「え……折角久々に話の出来る魔物さんだったのに……」
「ね……」
「うん、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてたのは認めるよ。認めるけどね、ちょっとズレてたね」
セイジは結局二人に甘い。だがそんなこんな言ってる間にも、魔物はじりじりと詰め寄ってくる。
「……炎っていうか、闇かな?」
「それっぽいよね」
魔物から目は話さずに、小声で相談。属性にも相性がある。見極めは大事だ。
「じゃあケンタ、お願い」
「おぅ!! ふふふ……いっちゃうか?」
「お! 早速の……」
「大魔法!! ……ふたりとも、目を瞑っててな」
ケンタは前に出ると、出来上がったばかりの詠唱を始めた。
「『新しい朝 希望の夢』」
「英語!?」
「かっこいいっしょー」
セイジの驚きは余所に、ケンタの前に新たな光の球が生まれる。
「『若者の涙』」
「ヤングッ!?」
更なる光が集束していく。洞窟の岩肌に、影が渦巻く。
「『乗り越えていこう どんな困難も さわやかな風 太陽さんさん』」
既に光球の直径は、両手を広げたくらいにまで膨れ上がっている。
「『優先席は 譲っても 俺らの勝利は 譲れない』」
そのまま一歩、前に出る。魔物は流石に脅威を感じたのか、じり、と後退った。
「『みんなの笑顔が 見たいから』」
「Yes!!」
「合いの手!?」
「『あきらめないで』」
「フーヮフーヮ!!」
「『暗がりからこっち見てる 怪しいヤツに 立ち向かえ 通報で』」
セイジが急に顔を背けた。多分笑っている。
「『我らに光を』」
ケンタが手を掲げると、光球も動きに合わせて天井付近にまで跳ね上がる。
「くらえ!!『ソイヤサッサーーーッッッ!!!!』」
跳ね上がった光は、一瞬一点に集束して……弾けた。
『ぐあぁ……っ!!?』
強烈な光に、魔物は顔の辺りを腕で覆った。その隙に
「逃げろー!!」
ケンタは二人の腕を掴んで、元来た方向へ駆け出した。目を瞑っていても視界が白く感じている二人も、一瞬足をもつらせつつ、すぐに体勢を立て直して走り出す。
『待て!! 貴様ら!!』
やっとのことで視界を取り戻した魔物が見たのは、のんびり草を食む芋虫だけだった。
「やー。中々冒険だったなぁ!」
洞窟から出たところで、その場に座り込んだケンタは楽し気に笑った。
「ねー! 大魔法に、言葉の通じる魔物さん!」
意思疎通のできる魔物にはなぜか「さん」付けのコウスケも、楽しそうだ。
「けほっ、けほっ! ……ふぅ。充実してたね」
走りすぎてむせたセイジも、やっとのことで息を整えると、地面に腰を下ろした。外はもううっすら暗くなっている。
「よーし、そろそろ帰るかー」
「うん! 晩御飯! 晩御飯!」
「今日は何かなぁ」
三人は立ち上がって、尻に付いた草や土を払う。
「そういえばケンタ。あの大魔法は、光るだけなの?」
「ああ、あれな」
セイジの疑問に、ケンタは胸を張って答えた。
「すっごく眩しく光る!」
「……うん、そう」
「あ、あ、範囲もデカいんだぜ!? 村全体の田んぼや畑をカバーできる!」
「あ、じゃあ、長雨のときは大活躍するね」
「おぅ!」
今までのケンタの最高照射範囲は、学校のグラウンド程度であった。長雨のときは、村中の農家に頼まれて、おやつやおむすび、唐揚げやカレーを報酬に、一軒一軒数時間ずつ照らして回ったものだ。今度からは一度で済むはずだ。
「さっきの魔物さん、闇属性っぽかったけど、強い光を当てても大丈夫だったの?」
コウスケの不安そうな問いにも、ケンタは胸を張った。
「大丈夫! ただ光らせただけだから」
「そう。よかったぁ……」
光は、質量をもたない。少なくともそういうことになっている。光の矢などを想像する者は多いのだが、実際の光魔法は大概、ただ光るだけだ。
もっとも、習熟度と魔法の種類が無自覚に半端ではないケンタは、懐中電灯代わりに光球を作って漂わせたり、太陽の代わりに田畑を照らしたりといった変則的な使い方ができる。やろうと思えば、実は水と遜色ないほどえげつないこともできてしまうのだが……幸いなのか、光属性は稀だった。おまけに、ケンタはアホだった。よかった。
「帰ったら父ちゃんと母ちゃんに大魔法自慢しよっと!」
「ふふ。梅雨の時期にヒーローになれそうだねー!」
「またテント張って、コウスケといっしょに太陽バイトに付き合おうか」
「いいね! 楽しいよな、テント」
三人はトメさんにお礼を言って、自転車に跨った。
「じゃあまた明日!」
「またねー」
「またね。おやすみ」
今日の晩御飯はカレーがいいな、と同じことを思いながら、三人はそれぞれ帰路に着く。
これが彼らの日常であった。
余談ではあるが、この世界における光属性の大魔法使いは、確認されているだけで片手の指で足りるほどである。
その中で最高とされる大魔法の最高効果範囲は、体育館程度とかいう話だ。
(了)
俺たちの冒険はこれからだ!