第60話 誘拐
レオナとの婚約談議もミーシャのことも無事に終わり、シャルロットとレオナは待たせているオリヴィアたちのところへと向かっていた。
(長かった……長ったわ……最後まで気を引き締めないといけないけど、ここから婚約破棄からの処刑はないわ)
幼少期からの肩の荷が降ろせて、この上なく上機嫌なシャルロットをレオナは不思議そうに見ていた。彼からすれば、公の場で正式に発表されるのは学園祭のときだが、半ば決まっていたものだ。ミーシャのことも、彼女の父親の性格からすれば、引き取ることに反対することはないだろう。
「ねぇ、どうして――」
『キャアアアアア!!』
「えっ、なに!?」
「ミーシャの声よ。外から聞こえたわ」
「急ぎましょう!」
何があったのかと二人が慌てて外に飛び出し、声のした屋敷の裏に回り込むと、そこには宙に浮いているローブの男性に抱えられているミーシャの姿があった。
「これで探す手間は省けたな」
「ミーシャちゃんを離してください」
「ここで離せば、このガキは墜落するだけだが?」
「そういえばそうです」
「オリヴィア、なに納得しているのよ!?」
いとも簡単に言いくるめられているオリヴィアにシャルロットから鋭いツッコミが入る。向こうはミーシャを抱えているため、片手しか使えないのに対し、こちらは数で勝る。取り囲むかのように移動し、転移魔法を使う仕草を見せようなら、すぐさま攻撃に移れるようにする。
隙は無いはずだが、あざ笑うかのような声を漏らす。
「何が可笑しいのかしら。こっちは私を含めて5人があなたの一挙手一投足を見ているのよ。そう簡単に逃げられるとでも――」
「逃げられるさ。既に我が眷属を呼んでいるからな」
「ノーモーションの魔法の発動!? いや、これは時間差詠唱か……!?」
ゴゴゴと地響きが鳴り響き、男性の足元に巨大な魔法陣が描かれる。その大きさと煩雑さからただ事ではないと、すぐさま5人はその場から離れる。
「いでよ、我が主の名を関するしもべ、アビス・ディアーズ!」
魔法陣から現れたのは、かつて学園の裏山のダンジョンの奥で見たことのある黒い巨大な鹿の魔物だ。今度は5人を敵と認識しているのか、その赤い瞳でにらめつける。
「もし、我が眷属を倒すようなことあれば神殿に来ることだな。さすれば、このガキを返してやろうフハハハハハ!」
「待ちなさい!」
「シャル、今はあの魔物をどうにかするのが先だ。せめて、父上が避難するまでの時間を稼ぐんだ」
「ぐっ……わかったわよ」
転移魔法により、男性の姿は露と消え、残されたのは鹿の魔物だけだ。ダンジョン内では比較するものが無かったが、改めてみると、屋敷と同等の大きさがあり、その巨大さが身にしみてわかる。人の手でどうにかなる範疇を超えているのではと思うほどだ。
「あれほどの大きさでは動きを封じ込めるのは不可能。ならば、先手必勝。エクスプロージョン!」
魔物の片目に巨大な爆発が起こり、ひるむ。通常なら、失明どころかこの一撃で決まるほどの威力を持つ呪文のはずだが、攻撃を受けたはしから自己修復が始まる。
「なにあの再生能力……いろんな魔導書を読んで研究している僕でも、あんなの知らないんだけど」
「アンノウン並みの再生能力ね。これまた一苦労しそうだわ」
「シャル、なんでそんなに落ち着いているんだい!? ここは驚くところ!」
「大丈夫ですよ、お兄様。私たち、あの鹿と似たような魔物を倒しているんで泥船に乗った気分で任せてください」
「オリヴィアちゃん、大船の間違いだよね」
「……まあ常に綱渡りしていたから、ある意味間違っていないわね」
「無駄話している場合じゃないわ!攻撃、来るわよ」
「とりあえず障壁張っておきます」
魔物の角からバチバチと電撃が迸り、レオナとアンナの氷の二重障壁をあっさりと貫いていく。だが、障壁を貫いたことで威力は多少軽減されたのか、5人は吹き飛ばされたもののダメージはまだ少ない。
その様子を見て、魔物が確実に仕留めようと角に魔力を溜め始める。
「まずはあの角を切り落とすわよ、オリヴィア!」
「はい、お姉さま!」
シャルロットとオリヴィアが飛び立ち、魔物の頭上へと向かっていく。その狙いを察したのか、魔物が荒い鼻息を立てて二人を吹き飛ばそうとする。
たかが鼻息だと侮るなかれ。巨躯の魔物から放たれるそれはもはや暴風雨の中を突っ切るのに等しい。空を自由に飛び回れるオリヴィアはともかく、動きに制約のあるシャルロットにとっては抵抗するだけで相当量の魔力を持っていかれてしまう。
「お姉さま!」
「貴女は早く行きなさい。私は大丈夫よ」
「で、でも……」
「早く!ここでもたついていたら全滅よ」
「は、はい!」
(この調子じゃあ、私が行っても大した魔法も撃てないわね……)
地上から攻撃の意識をそらそうとレオナたちが魔法を撃っているが、痛がる様子もなく通用しているかさえ不明だ。もはや、自分たちの命運はオリヴィアにかかっていると言っても差支えが無い。
ならばと、大荒れの風の中、シャルロットは滞空しながら電撃を放ち、少しでも攻撃の遅延を祈りつつ攻撃を開始する。
魔物の上空にたどり着くと、バチバチと電撃の音が鳴り響いている。いつ電撃攻撃がなされてもおかしくない状況に、オリヴィアはエリアルブレードを角に向けて射出する。だが、貫くこともなくかすり傷がついても、再生するだけで攻撃を中断させることはできない。
「効いていません……シルフ・フォームだと火力が足りないんです。こうなったら、ウンディーネ・フォームしかないけど、どこか足場が無いと……」
オリヴィアはキョロキョロと辺りを見渡し、屋敷の屋根に飛び移る。ここならば、距離も大きく離れておらず、狙撃するには十分だ。たった1発しか撃てない砲撃を外さないように狙いをつける。
「ダイダロス・オーバーキャノンをできる限り圧縮して撃ちます!行けぇぇぇぇ!!」
いつもより細長い水の砲撃が2本の角を貫いていく。しかも、濡れたせいで感電でもしたのか、魔物の動きがビクビクと痙攣しながら止まり、屋敷へともたれかかるかのように倒れこむ。屋敷の屋根も崩れ落ち、オリヴィアは上空へと飛ぶ暇もなく落下する。
「キャアアアア!」
「オリヴィア!」
落下している屋敷の破片に混じりながら悲鳴を上げるオリヴィアを抱きかかえたシャルロットは、屋敷から離れていく人影を見送りながら、自分たちを待つレオナたちのところへと降り立つ。父親が無事避難していることを伝えようとしたとき、兄の姿が無いことに気づく。
「兄様は?」
「封印用の道具を取りに行っております」
「大型の魔物用でも、あの鹿を封印できるかは分からないと言っていたわ」
「すまん、知り合いの魔術師に連絡して遅れた。オーガ用だが、手元にあるものだとこれが一番強力だ」
ミハエルが道具に魔力を注ぎ込み、呪文を唱えるとはるか頭上から巨大な杭が鹿の手足と胴に打ち込まれる。地面に張り付けされた魔物はいくら再生しようとも身動きが取れず、電撃を放とうとしても近くにある杭に魔力を吸われて霧散していくだけだ。
「このままだと数日も経たないうちに許容量を超えるぞ。それまでに応援は来ると思うが……なんだ、この化け物は!?」
「アビス・ディアーズと言っていたわね」
「アビス……神話に出てくる災厄の獣。まさか本当に実在していたのか?」
「そうよ。オリヴィアのつけている指輪、その力を開放する際に過去の記録を見せられたわ。そこで分かったのはアビスは人や家畜を魔物に作り替えることができるということ」
「……災厄の獣、その力の一端を得たただの鹿があれだけの力を発揮するなら、それは脅威どころか人類滅亡までありうるぞ!」
「そう。そのためにはあの男を止めないといけない。お父様が戻ってきたら、事情は伝えてね」
「私も手伝いたいところだが、応援に来る仲間と一緒に封印が外れないよう見張ねばならない……」
「お兄様がいるから、安心して行けるのよ。ミーシャと一緒に戻ったら、パーティーでもしましょう」
「この分だと青空での立食になりそうだ」
「ふふ……そうね。行ってくるわ」
「私も行きます」
「当然、アタシも」
「一瞬でも目を離した私の責任でもあります。私もついていきます」
シャルロットら4人が学園へと引き返していく。捕らわれたミーシャを取り返しに、そして、男の陰謀を止めるために。




