『泥沼の道を歩く』
「…………」
青と白の混ざった髪の女性は……高い建物の上から、二人の少年を眺めていた。
やがて、少年の一人はその場に座り込み、もう一人は別の場所へ向かう。
「……サクラザカくん」
そんな光景を見てクロエは言う。
「不思議と……君を見ていると、いろんな人を思い出すよ」
そして、手に持っていた新聞を目にする。
「例えば……あなたとか……」
その新聞は数十年前に作られたもので、それには優しく微笑む男の姿かあった。
「……ブラック団長……だっけ。……イマニュエルさん」
そんな男の姿を見つめ、クロエは過去を思い出す。
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「ねえ。騎士のお姉さん」
「……はい?」
それは彼女がかつての皇帝について情報を集めている時のことだった。
とある服屋で、最近騎士として有名な人が、帽子を被りバレないように買い物をしていた。
あいにくクロエは正確に魔素吸収レベルを把握していて、さらに仕草なども注意深く見ていたため、彼女がその有名人だとすぐにわかった。
「お姉さん……2番隊隊長、フランチェスカさんで間違いないよね」
「まあ……そうだけど……。それが何か?」
「じゃあ、皇帝様がどういう人物なのか知ってるのかな?」
「…………」
彼女はなんとなく頬を赤く染めて言う。
「……別に……知らないわ。そもそも……陛下の護衛は私よりも信頼を置かれているイマニュエルがやってるし」
「……イマニュエル?」
クロエはその名前を聞き、首を傾げる。
「あなた、知らないの? 一番隊隊長のイマニュエルよ」
「ああ……あの人か。あんまり面白く無さそうな人だったからさ」
「……面白く無い……って」
少しフランチェスカはクロエのことをにらむ。しかし、すぐにクロエから目をそらす。
「まあ……特に何も知らなくていいのよ。あなたは……」
「……おやおや」
「……?」
クロエはニヤニヤと笑う。フランチェスカにはその表情の意味がわからなかった。
「なるほどなるほど。やはり恋する乙女は面白いですね」
「……なっ!」
フランチェスカは動揺し、先ほどよりも強い声で言う。
「違うわよ!! そもそも、彼は結婚してるし! 彼は信頼してる上司みたいなもので!」
「ふーん。ちゃっかり奪っちゃえばいいじゃない」
「……倫理的にアウトじゃない? それ」
それから、数時間クロエはフランチェスカと話し続けた。
その後……気が向いた時にはその服屋にやってきて、お喋りするのが日課になっていた。
「あなた知ってる? 『月が綺麗ですね』はあなたのことが好きですって意味なのよ」
「そうなの?」
「まあ……私がもといた世界の日本っていう国で夏目漱石っていう人が訳しただけなんだけどね」
その話をすると、フランチェスカは言う。
「……異世界転移。なんでそんなことが私の身に起こったのかわからないけど……もとの世界に残るよりは、すごく楽しい人生になったんだろうなあ」
「……どうして?」
「私ね。その世界で両親に虐待されてたんだ」
フランチェスカの悲しそうな瞳は空を見つめていた。
しかし、その口元には笑みが浮かんでいた。
「……でも、この世界にやってきて……フジワラさんに会って、いろんな人に会って……いろんな楽しいこともした。私ね。たぶん今がすごく楽しいんだ」
彼女の瞳に……もう悲しみは映っていなかった。代わりにあのイマニュエルと共に、この帝国を守るという熱意が感じられた。
その熱意がその後、崩れてしまうことを……この時のクロエは知らなかった。
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「……なに……これ」
クロエは燃え盛る帝都の光景を目にした。
真っ黒に燃え尽きる人。瓦礫の下敷きになり潰れている人。
「…………」
何も喋らずに、そこを歩く。
貴族にも関わらず返り血を浴び絶望する少年。両親を殺されたまた別の少年と、その両親を殺した騎士。様々な人が地獄を見ていた。
そして……ある家に入った時だった。
「……あの」
「……?」
そこには、眠っているまだ幼い少女と、それを抱える母親がいた。母親は……腹から血を出し、もう助かりそうになかった。
「あなたは……とてもお強いんですね」
母親は突然そんなことを言い出した。
「……何を……言って」
「わかるんです。あなたからは……夫と似たような感じがする。だから……」
母親は少女を見て言う。
「この子を……連れていってもらえませんか? せめて、帝都に住んでいたって……バレないようにするだけでも……」
「…………」
クロエはその少女を抱き寄せ、その場所から走った。
後ろは振り返らなかった。涙を流すその母親を見れば、その少女をその母親から遠ざける気持ちが薄れてしまうからだ。
路地を疾走する。邪魔をしてきた騎士たちは皆殺し……走った。
やがて……スラム街であるアルジェプトにやってきた。
何日間も休むことなく走ったが……ゾンビの亜人である彼女が疲れることは無い。
にも関わらず、心はものすごく重かった。重みで脚が折れてしまうような気さえ起こした。
そこでとあるお爺さんのもとにその少女を預けた。お爺さんは孫とともに暮らしていたようだった。
「…………」
クロエはまた走った。ともに旅をしてきたライリーのことが心配だった。
彼は皇帝の別荘に向かった。つまり、反乱が最も激しい場所にいるのだ。
「……っ!」
すぐにライリーの向かったとされる皇帝の別荘に向かった。
彼は無事だった。しかし……。
「……ライリー?」
「…………」
彼は瓦礫を前にして……氷の剣を見つめながら、ただ座っていた。
彼女にはここで何が起きたのかわからなかった。彼の背中に大きな翼があるのに、クロエにはその背中が妙に小さく見えた。
「……ライリー」
「…………」
彼はゆっくりとクロエの方に振り向く。いつものように読み取りにくい彼の表情だったが……明らかな悲嘆が感じられた。
ライリーは小さく震えながら言葉を放つ。
「悪い……少し…………一人にしてくれ」
「…………」
今までに無いくらい弱々しい彼の声は、ここでの出来事を知らない彼女の心も締めつける。
もしも……もっと早くここに来ていれば……何か変わったのかもしれない。彼の……守りたいものを守れたのかもしれない。
そんな思いを巡らせた。もうどうしようもない……そんな思いを。
「……?」
そんな時だった。
足元に一枚の紙切れが落ちていた。それをクロエは拾い上げる。
「……写真……だよね。これ」
「……どうした?」
彼女はその写真をライリーの方に持っていく。それを見るやいなや、彼の顔には再び光が戻る。
その写真には、幼い少女が写っていた。
「ねえ。ライリー、もしかして……」
「……グリーン」
その少女の赤い瞳と黒い髪はまさしくグリーンのものと一致していた。
ようやく、ライリーは最後のグリーンの表情の意味を思い出し……そして、その少女が生きていると確信した。
彼は氷の剣を握りしめ、立ち上がる。
「まだ……俺にも守れるものがあるのかな」
ライリーは小さくそんなことを呟いた。
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「まったく……」
眼下に広がるフレインタリアの中、歩くサクラザカを見てクロエは言う。
「……本当に君のやりたいことはそんなことなのかい?」
「へえ。面白いね。今度の反逆者は」
「…………」
後ろから聞こえてくる声に対して、クロエは嫌な感じを取る。
「……女性の一人言を盗み聞きとは……今度の皇帝の騎士団長さんは趣味が悪いね」
「へえ。でも、それはあなたが悪いんですよ」
黒い髪にまるで落書きのような笑みを貼りつけた少年がそこにいた。
「あなたが喋った。僕はその喋ったことを聞かされた。だから、僕は悪くない。あなたが悪い」
「……ふーん。ろくな人間性を感じないけど、わりと面白い考え方をするんだね」
「ははっ。あなたも面白いことを言う。僕は人間だよ。それで、あなたは人間じゃない。違う?」
「…………」
クロエは笑みを見せつけ、言う。
「……話にならないね。あなた……結構人に嫌われるでしょ」
「うーん。それを言われると心が痛い。……実は友達がいなくて……」
「そうでしょ。そういう考え方をしてると友達できな――」
「友達になれそうな人間はみんな殺しちゃったからね。そうすれば、もう人を殺すことになんの躊躇いを無くなるでしょ?」
「…………」
嫌な空気が一気に強まった。
それはその騎士団長からの圧倒的な殺意だった。
しだいにその殺意は彼の笑みとともに隠される。
「……でも、あなたは殺さない。だって、殺してもなんのメリットも無いから」
「……そうなの」
騎士団長はそう言うと、その場に異空間を作り出す。
「それじゃあ、また今度面白い話ができると嬉しいよ」
「……ええ」
彼は異空間の中に入り、そこから消えた。
クロエは彼のいなくなったその場所に向かって言い放つ。
「……できれば、もう会いたくないけれど」




