第5話 僕は無意識の中で酔い潰れる
次の日も、同じジャージを着て、畑仕事をやってから水を汲みに行った。今日は曇っているからか、川はあまり綺麗に見えなかった。
水を汲んでいる時、昨日のお嬢様の顔を思い出す。なぜ、あのように深刻な顔をしたのだろうか。
帝国と彼女の間にはいったい何があったのだろうか。
それらを誰かに聞くには無責任な気がした。
人には必ず知られたくない過去があるものだ。それを勝手に聞くのは気が引ける。
聞くなら、本人に直接聞くべきだ。そう思った。
「あれっ?」
僕はふと、足元の何かに気がついた。それは、
「足跡?」
僕はそれが足跡だと気づいた時、恐ろしくなった。なんせ、この森にはほとんど人がやってこないからだ。
つまり、この足跡は。
「帝国軍の」
ドゴスッ!
いきなり後頭部を衝撃が襲った。大きな石で殴られたようだった。
僕は朦朧とする意識の中で、後ろを見る。そこには鉄鎧の騎士がいた。
# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #
…………。
ここはどこだ?
気がつくと、そこは森の奥だった。
立ち上がろうとするも、腕を縄で固定されていた。
「なんだこれ。取れないな……」
「気がついたようだな」
木の陰から男が出てきた。その男は意識を失う前に見た騎士だった。
「あの。なんでこんなことを」
「口を閉じろ」
男は剣を突き立てる。
「お前。この森に住んでいるのか?だとしても、この森で人が住んでいるなんて報告は受けていないぞ」
尖った口調で僕に話しかける。
「お前のことはもうどうでもいい。見るからにただの人間だからな。だが、問題はお前の他に誰か住んでいるのかどうかだ。そいつが吸血鬼ならば、生かすわけにはいかん。それだけ答えればいい」
妙だった。
この男は明らかに吸血鬼に対して嫌悪している。なぜ、吸血鬼という特定の種族だけを……。
「……住んでいるのは僕だけです。だから、もういいでしょう?」
男はじっと僕を見る。僕も負けずに目を合わせる。
僕は嘘をついた。つかなければならない嘘だった。もし、本当のことを言ったら、お嬢様は……。
「…………」
「…………」
沈黙の空気が覆う中、やがて、男が口を開く。剣をさやにしまい、鉄兜を脱ぐ。そこには柴犬のような耳を持った男がいた。
「疑って悪かったな。この森で初めて会った人間だったので、用心深くなっていたようだ」
「いえ。いいんです。ところで、この縄をほどいてくれませんか?」
「これは昔の話だ」
男は僕の言葉に関係なしに話し始める。
「俺と家族は畑で仕事をしていた。そこで、よく教わりに来る若者たちに教えてやっていた時があった。そのためか、そいつらのズボンの泥のつき方でどういう人間かわかるようになった」
この男はいったい何を言っているんだ。
「お前のズボンの泥は二つある。一つは昨日つけたものだな。……どうしようもない素人の染みだ。だが、二つ目の泥はわりと上手に農業をこなせている染みだ。奇妙だ。なぜ、急にうまくなったんだ」
僕はこの男が恐ろしくなった。僕は何も喋っていないのに、真実に近づいていっているからだ。
「泥は言っている。お前は普段は弱々しく、頼りないが、時に何かを守ろうとする時、強く、どんな厳しさにも耐えられる人間だ」
男は剣を再び突き立て、言う。
「お前に畑仕事を教えている人物がいる。そして、お前はそれを隠していたことから、そいつは吸血鬼だ」
僕はわかった。どうして、この男は突然用心深くなる必要が無くなったのか。
僕の言葉を聞いた瞬間に、目的の吸血鬼がいると特定できてしまったのだ。
焦った。だから、必死に負け惜しみをする。
「ちょっと待ってください。それはあなたの憶測でしょう。それが本当に当たっているかどうかなんてわからないでしょう?」
「確かにそうだな。だから念のため、お前が来た道の先を見させてもらうぞ。…………それと、お前はもう少し表情をコントロールできた方がいい」
僕は自分の顔が歪み、絶望に落ちていることに気がつく。もう僕には彼を止めることができない。その気持ちがその表情を産んでいた。
彼は再び兜をかぶり、道の方へ消えていった。
# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #
僕は縄で縛られながら、うつむいている。
いったい何をやっているんだ。
お嬢様への罪悪感が僕の心を重くする。そして、その心を再び立ち上がらせた。
「頼む。僕に…………何か力をくれよ。何か」
そんな時、腰にある剣を見た。だが、縛られているのが腕なので、うまく届かない。
「僕は……まだ諦めない!」
腰にある剣の持ち手の先端を口で咥える。そして、一気に上まで引っ張る。
「これで、縄を!」
口に咥えた剣を手に近い地面に突き刺す。そして、あともう少しで縄を剣に届かせることができる。
「もう……少しで……」
バチン
見事、縄を剣で切ることができた。僕の手は自由になった。
「はやくあの男を追わないと」
地面に刺さった剣を抜き、走り出す。きっと鎧を着た男よりもはやく走れるため、追い付くことができるはずだ。
森の奥から抜け出し、道に出る。左側には川が、右側には道が広がっていた。僕は迷うことなく右に向かって走り出した。
僕は疾走する。なんとしても、館にたどり着く前に彼を止めなくては。
やがて、男の後ろ姿が見えてきた。男もこちらに気づいたのか、振り返る。
「やれやれ。剣を奪っておいたほうが良かったな」
「はあっはあっ」
全力で走って来たからか、僕は息をきらす。そして、息を整え、男と向かい合う。
「僕の名前はサクラザカ。お嬢様を助けるためにあなたをここで止めます」
「俺はローガンだ。帝国軍の騎士をやっている。だから、吸血鬼は必ず殲滅する」
雨が一斉に降りだす。視界が不安定になる。
その時だった。男が一瞬で消えたのだ。
「ッ!」
直感だった。彼はすでに後ろに回り込んでいる。
僕は持っていた剣で彼の剣を受け止める。
「うぐおおおおおおおお」
その一撃はとても重かった。次第に湿っていく地面を滑りながら、攻撃に圧倒されていた。
やがて、剣は跳ね返され、彼の攻撃がもう一撃やってくる。
それを予測し、僕は体をずらした。頬を剣がかすっていく。
傷が痛い。だが、それにひるんでいる時間など無かった。
彼はさらに一撃を加えてくる。それを逆手にとり、僕は後ろへ進む。すると、彼の攻撃は僕ごと剣を押し出し、森の中へ飛ばした。
「はあ……はあ……」
必死だった。なんとか男の剣を紙一重で防いでいけた。だが、これ以上は運も見方をしないような気がした。
森の中で木に隠れながら、やつが来るのを待つ。
さすがにあの攻撃を剣だけで防御するのは難しい。木という障害物が大量に生えている森の中で戦うのがベストだ。
「そう考えると思ったよ」
「……えっ」
なんと彼は僕の背後にいた。突き飛ばしてから、ほんの一瞬で。
……なんなのだろうか、この男のすばやい動きは。
「森の中なら木を盾にして逃げ切れると考える。当たり前だな」
僕は背筋が凍った。すべて、読まれていたというのか。
僕が振り返った時にはもう遅かった。剣は僕の目の前だった。
お嬢様……ごめんなさい。どうやら僕はここまでのようです。少しの間でしたが、お嬢様と暮らせて僕は幸せでした。たどうか、お嬢様だけでも……。
…………。
# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #
「……ねえ」
不意に何かが僕に語りかける。
「本当にいいの?」
……何がだよ。もう終わりじゃないか。僕はあの男の剣で斬りつけられて死ぬんだ。
「そうなんだ。かわいそうに……」
…………。
その蛇は僕の耳元で囁く。
「また失うね」
# # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # # #
…………。
…………まだだ。
「まだ、お嬢様を助けるまで、死ねないんだ! そのためなら、どんなに絶望的な相手だろうと……」
僕は……なんて優柔不断な人間なんだろうか。
「ここで……息の根を止める!」
グワワアーン
瞬間、空気が震える。男は体勢を崩し、剣の軌道がずれる。どうやら彼の体が急に重くなったようだ。
「なんだ。この重さは!」
男と同様に、僕もいったい何がおこっているのかわからなかった。僕はとりあえず男から離れる。その時、自分の体も重いと感じた。
「なんだ。これ?」
僕とあの男の足が黒くなっていた。
まさか、これは……。
キュイイーン
その黒いものは僕の意志でだんだんと引いていった。
そうか、これが。これが僕の特殊能力。
「重くする能力なんだ!」