第4話 僕はその意味を知りたい
「暑い」
異世界に来て、今日で二日目だ。だいぶ外に出ていなかったためか、皮膚が焼けているかのように暑い。
まさか、畑仕事をすることになるとは思わなかった。
畑に植えられた野菜はどれも実りがよく、僕が前に見たどの野菜よりも断然大きかった。
「ふう。それにしても本当に暑いなあ」
雲が少ないため、日光が直接体に当たる。吸血鬼ではないとはいえ、暑すぎる。
この世界はどうやらおよそ一週間ごとに荒れた天気と安定した天気を繰り返すらしい。ただ四季はあり、今が一番暑い時期のようだ。……なかなか不思議な気候をしている。
ふと、道から歩いてくる人影が見えた。黒い傘をさしたお嬢様だった。そこには昨日のように半泣きの少女はもういなかった。
「順調そう?」
「はい。コツも教わったのでだいぶ慣れてきました。でも、やっぱり喉が乾いたので水をもらえませんか?」
「そうね。あっちに水が……」
お嬢様は何か考えていた。
「あの。お嬢様?」
「そういえば、水を汲むのを忘れていたわ。悪いけど、汲んできてもらえるかしら?畑仕事の方は私がやっておくから」
そう言われると、僕は嬉しかった。それはお嬢様の役に立てるってことだけが理由である。
「わかりました。どこへ水を汲みに行けば良いでしょうか?」
「この道をまっすぐ行ったところよ。そこに川があるから」
僕はお嬢様からバケツを借りて、道をまっすぐに進む。
ある程度進み、振り返るとそこにはお嬢様の姿が見えた。彼女は僕に小さく手を振っていた。
僕も大きく手を振り返す。そして、僕は前へ進む。
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左右を森で囲まれた道を通ると、川が見えてきた。
涼しい風が吹いてくる。そこに近寄ると川は大きくくぼんだところを流れ、石の階段で近くに行けることがわかる。
「天気が変わりやすいから、川の水面も変化しやすいのか」
僕は川の手前まで行き、水に手を入れてみる。とても冷たかった。借りた革靴を脱いで、足も水につける。ひんやりした感触が疲れを癒してくれた。
川の水が冷たいということは、上流は寒い気候なのだろうか。
この川の水は、この世界がここだけではないことを教える。もっともっと他の場所だってある。きっと森の中からは見えないが、そこにいつかお嬢様と行ってみたい。
「いつか行けたら、喜んでくれるかな」
光輝く川の水面は絶景だった。思えば、こんな風に自然に触れることなんて、今までほとんど無かっただろう。
だが、同時にきっとこの世界もこんなに綺麗なことだけではないことを感じさせる。
良いものがあれば、その裏には悪いものもある。それが人間の定めであり、人間の越える壁にもなる。
ただ、乗り越えられない者にはさらに高い壁が押し付けられる。それが人間の受ける理不尽さだと僕は思う。
そして……僕にはそんな大層な壁を越える自信などは無かった。
「…………」
少し神経質になってしまったため、気持ちを切り替えたかった。僕は再び革靴をはき、バケツに水を汲み始める。
でも、これからは……。
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僕は水の入ったバケツを持ち、館の前まで戻る。
そこには、顔に泥をつけたお嬢様がいた。
「お嬢様。どうしたんですか?」
「ちょっとカエルが跳ねたときに、泥が飛んだだけよ。大したことはないわ」
さすがはお嬢様だ。顔に泥がついても気にしない。畑仕事をずっとしてきただけはある。
僕は水汲み場にバケツの水を流すと、お嬢様のところに行った。
「もう少し水を汲んできた方が良いでしょうか?」
「そうね。確かにこれから天気が悪くなる前にほしいわね。悪いけど行ってもらえるかしら?」
「了解です。任せてください」
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それから何度も水を汲みに行き、夜になる時には館に戻っていた。
「サクラザカ」
「はい?」
「あまりうろちょろしないでもらえる?」
よく見ると、ズボンの裾に赤茶色の泥がついている。畑で仕事をしている時についたのだろう。
てっきり急に嫌われたのかと思ってビックリした。
「先に風呂に入りなさい。その格好で歩き回られると床が汚れるわ」
「そう……ですね。お言葉に甘えて入らせていただきます」
僕はお嬢様から借りた着替えの執事服を持って、お風呂に向かう。
目の前の脱衣所には痛い思い出があった。
コンコン
念のため、ノックをする。いるはずがないが。
扉を開けて、中に入ると長年使った愛のこもったジャージを脱ぎ始める。思えば、こいつを汚すまで使ったのって今日が初めてだった。
中に入ると大浴場が目の前に広がっていた。周りは黄金に装飾されていて、入るには気が引けるほどだった。
一通り、体を洗うとお湯に浸かる。温かいお湯は川の冷たい水とはまた違い、体の疲れを癒してくれた。
昨日、この世界に来てから、僕は充実している。明らかに生きている心地がしたのだ。お嬢様にはやはり感謝をしてもしきれないだろう。
ふと、ある疑問にぶつかった。それはなぜ僕がこの世界に来たかだった。
どうして、突然、別の世界に来たのだろうか。誰かが呼び寄せたのだろうか。だとしても、連れてくるメリットはなんだろうか。どうして、この森の中にいたのか。
僕がこの世界に来た理由はいまだにわからない。だが、その人には感謝したい。なぜなら、その人のおかげで僕はお嬢様に出会えたのだから。
そろそろ、のぼせてきそうだったのでお風呂をあがった。そして、執事服を着て、脱衣所を後にする。
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「やあ。サクラザカくん」
エントランスを通ると、そこにはクロエさんがいた。
「どうしたんですか?」
「いやあ。アリアちゃんにちょっとした用があってね」
すると、お嬢様が良いタイミングでやって来た。
「あら。クロエさん。最近は毎日来てるわね。集会所にはちゃんと行ってるの?」
「行ってるよ。ちゃんと」
集会所というのは、要するに仕事を見つける場所で、この森を抜けるとあるらしい。簡単に言うとハローワークである。
「腐ってもニートにはなれないのよ。ゾンビだけど」
ドヤ顔をこちらに向けてくる。うまいこと言ったみたいに言うな。
そのやり取りを見ていたお嬢様は問いかける。
「でっ。何の用で来たの?」
「それがねえ。ちょっと問題があってねえ」
クロエさんは困ったような表情で言う。
「また帝国軍が森の調査に来るらしいんだよ。だから気をつけてほしいと思って……」
帝国軍というのは一体何だろうか。しかし、僕は置いてきぼりのまま、話は進んだ。
「たぶん、ここまでたどり着かないとは思うけど、念のため伝えておこうかなーって」
「帝国軍……ね」
「んじゃあ。そういうことだから。気をつけてね」
そう言って、彼女は扉の向こうに消えた。
「あの、お嬢様。帝国って何ですか?」
「…………そうね」
お嬢様は噛み締めるようにして、答える。
「あまり関わりたくない連中……というとこかしら」
お嬢様はそのまま廊下の奥へと行った。
僕にはその表情の意味がまだわからなかった。