第2話 僕はあなたの…
今、目の前の少女は何と言っただろうか。
「吸血……鬼……」
僕は驚きで口がポカンと開いてしまった。
冷静に考えると目の前の少女が吸血鬼だなんて到底思えない。まして……こんな可愛い子が?
しかし、実際に魔法があり得る現状。吸血鬼もひょっとしたらいてもおかしくないのではないか?
「……んん?」
なんだか真面目に考えていると頭が痛くなってきた。そんな僕を見ながら少女は笑みを浮かべる。
そんな彼女の表情か奇妙に感じられた。
「もしかして、僕のことをからかっているんですか?」
そう問いかけてみると、少女は不思議そうな顔をした。そして、またもやニヤニヤしながら話し出す。
「さて、どうかしら。今からあなたの血を吸って確かめてもいいのよ」
「いやっ! それは困りますよ!」
僕は抵抗する。表情から察するに、嘘をついているようには見えない。
少女は八重歯を見せながら、問いかける。
「ところで、あなたの名前を聞いてなかったわね」
「……あっ……」
そういえば、そうだった。相手に名前を言わせておいて、自分は言わないなんて失礼だろう。
僕は自分の名を口にする。
「僕の名前は……サクラザカです」
「そう。サクラザカ……。変わった名前ね。まあ、いいわ」
その少女はイスから飛び降り、目の前で着地する。そして、こちらを見上げる。
「あなた。私の執事にならない?」
「えっ?」
数分の沈黙の後、僕はやっと言葉の意味を理解する。
「えええええええええ!」
僕は大声を上げて、驚く。
「何を言っているんですか? こんな正体不明のやつをどうして執事にしようとしてるんですか?」
「んー。そうね。単純に面白いからかしら」
「そんな理由で本当にいいんですか!」
「それに私の下着を見て、何か断れる理由でもあるの?」
僕はその言葉を聞くと、首をガクリと下に傾ける。
「……それを言われると何も言えません」
「じゃあ。決まりね」
なんだか、唐突に話が一気に進みすぎている気がする。
僕が……吸血鬼の執事?
「さて……」
少女は僕の横を通り、部屋の外に出る。
「着いてきなさい。サクラザカ」
「はあ。どこへ行くんです?」
白い八重歯を見せながら、少女は笑顔で答える。
「さっそくあなたには最初の仕事をしてもらうわ」
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僕が連れて来られた場所はキッチンで、そこにはある程度の道具が揃っていた。冷蔵庫のようなものには多くの食材が保管されているようだ。
彼女は僕に料理でも作らせようというのだろうか。
しかし……僕は料理に自信が無い。
「あの。料理は作れないですよ」
「……そんなに大したものを作ってもらうつもりは無いから」
少女に本を渡される。その本の表紙には何か茶の入ったカップのようなものが描かれていた。
「この本を見て、お茶を作りなさい」
「お茶……ですか」
なんとなくだが、この本を見れば、きっと作れるのだろうか。
「火はこれを使いなさい。ほらっ」
彼女はそれをこちらに投げてくる。
「うおっと」
投げられたそれを僕は受け止める。
「これ、なんですか?」
赤く、ほんのり温かい石だった。時々光が強まったり弱まったりしているのが印象的な石だ。
「それは魔石よ。簡単に言うと魔素の結晶ね。それを木材の近くで割れば火が出てくるから」
「便利ですねえ」
なんだか、いろいろ知らないことを聞いてわくわくしている自分がいた。
また、こういったものを使えば、僕にも何か作れるような気がした。
誰かの役に立てる。これほどまでに僕に喜びを与えるものは無かった。
「ありがとうございます。お茶の方は任せてください!」
「それじゃあ。よろしく頼むわ」
そう言って、少女がキッチンから出ようとすると、ある疑問が浮かんだ。
「あの」
「ん?」
「あなたのことは、なんて呼べばいいでしょうか?」
少女は少し悩み、そして、返答する。
「あなたは執事だから……私はお嬢様かしら」
その呼び方は、執事である僕にはしっくりくる呼び方だった。
「わかりました。お嬢様。おいしいお茶を作って見せます」
「まあ。頑張りなさい」
そうして、お嬢様は書斎に戻った。
僕は木材や食器を整理し始める。冷蔵庫の中を開けてみると、そこには食材と共に青く輝く石が入れてあった。
「これもお嬢様の言っていた魔石かな。こっちはものを冷やしたりできるのか」
ふと、手に持つ赤い魔石に目を向ける。
「……そうだ」
僕は実際に木材を釜の中に先ほどの魔石と一緒に入れる。そして、キッチンに置いてあった金づちを手に取り、魔石を割る。
「……おお!」
割った直後に炎が木材に燃え移っていった。
「すごい……なあ」
なぜだかまるで子どものようにその炎を見入っていた。こんなにも素晴らしいものがこの世に存在していたことが不思議でたまらなかった。
「……なんだか。お嬢様は良い人そうだな」
結果的に、行く宛も無かった僕をここで住まわせてくれるとまで言ってくれた。普通ならばやはり正体不明の人間をここで住まわせるなんてしないだろう。
「…………」
しかし……僕はなぜこんなところにいたのだろうか。魔法……。吸血鬼……。そんなものが存在するのは、はたしてここは僕の知っている世界なのだろうか。
いや、むしろ僕はもう結論にたどり着いている気がする。最もこの考えはまったく腑に落ちないし、理論的にも問題がある。
「ここは異世界なのか?」
だいぶ無理があるが、一番納得のいく回答だろう。
おっと、そういえば、お茶を作らなければいけないのであった。
「えっと……確か、この本を読めばいいんだよな」
開いた瞬間、僕は最も大変な問題に当たった。それは……。
「文字が……読めない……」
そのことは僕に異世界という存在を確立させたのだった。
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本当にこれで良かったのだろうか。
僕はおぼんにカップとポットを乗せ、廊下を歩く。そして、あの書斎の前にたどり着く。
コンコン
今度はしっかりとノックをし、呼び掛ける。
「入っても大丈夫ですか?」
「ええ」
了解を得て、扉を開ける。
そこには、さっきのお嬢様とは別人のようなお嬢様がいた。本の内容に集中し、真剣な顔をするお嬢様の姿は僕に衝撃を与えた。
「そこに置いてもらえる? 今、そっちに行くから」
お嬢様はイスに乗り、本を読みながら、こちらのテーブルに近づく。
僕はテーブルにおぼんを置き、ポットからカップにお茶を注ぐ。
「あの」
「なに? 今集中してるから、話しかけないでもらえるかしら」
そう言うと、彼女はカップを持ち口にそのお茶を含む。
僕は不安である。なんせ、他人に自分の作ったお茶など飲ませたことが無い。だから、おいしく味わってもらえる自信があまりない。
やがて、お嬢様はカップをテーブルに置いた。
「…………」
「…………」
「……お嬢――」
「ぶはあっ!」
突然、お嬢様は僕の方にお茶を吹き出した。その雫が目に入った。
「ああああああああああああああっ! 目がああああああああっ!」
「げほっ……なによ……げほっ……これ……お茶じゃないじゃない」
そう。確かにこれはお嬢様のいつも飲む紅茶ではない。
だが、これは緑茶である。前に姉からおいしい緑茶の作り方を教わったため、改めて作ってみた。
「これはああああああ! 緑茶っていって僕の前いた場所で人気だったお茶なんですよおおおおおおおおお!」
「うるさああああああああああい!」
お嬢様が怒鳴ることによってようやく僕は落ち着いた。その声が書斎に反響する。
「……本を読まなかったの?」
「いやあ。文字がまったく読めなくて」
「それなら、聞きにくればよかったのに」
まったくその通りである。どうして聞きに行くという選択肢を思いつかなかったんだろうか。一人で行動しようとするのは悪い癖である。
お嬢様は顔をうつむかせ、額に手をあてる。機嫌を悪くしてしまったのだろうか。僕はいろいろ考え、お嬢様を喜ばせる方法を考え出す。そして、それを実行する。
「焦ったお嬢様の顔も、かわいいですよね」
ギロッ
あれっ。空気が重い。いったいこれは……。
「もしかして……あなた……調子に乗っているの?」
どうやら、地雷を踏んでしまったようだ。
バギュン!
僕は腹に魔弾をかかえながら、廊下の壁に突っ込んだ。
お嬢様は何も言わずに、扉を閉める。
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「はあ」
完全に嫌われた。
僕は行く宛もなく、廊下をさまよっている。ランプの光が僕の顔を照らす。
やがて、歩いていると、エントランスにやってきた。
「そういえば、まだ外に行ったことが無かったなあ」
出口の扉に手を伸ばす。
「フフフッ。本当に扉を開けていいの?」
突然、声がした。その声がどこから発生したのかはわからなかった。
「どういう意味ですか?」
「そうだね。でも、それは自分で考えるべきじゃない?」
確かにその通りかもしれない。吸血鬼であるお嬢様がもしもあまり外に出ないなら、外に出るという行為はお嬢様に対する裏切りになる……かもしれない。まあさすがに言い過ぎな気もするが……そんな風習があったら、またもやひどい目にあうだろう。
だから、念のため扉は開けるべきではないと、この人は言っているのだ。
お嬢様のことを知らない限りは、あまり勝手なことはするべきではないのだろう。
そんな忠告をする人物が僕は気になった。
「あなたはいったい誰なんですか? できれば、姿を見せてもらえませんか?」
「私? 私はね。ただ中間で生きる者、 、 ってとこかな」
エントランスの甲冑の裏から人が現れる。その人は青と白のメッシュの長い髪を持ち、モデルのようにスタイルの良い女性だった。水色のロングスカートが特徴的だった。
「私はクロエ。これからよろしく」
明るい笑顔を見せるクロエさんは、僕に手を差し出した。
「はあ。どうも。僕はサクラザカです」
僕は差し出された手に応じて握手する。その手は妙に冷たかった気がした。
「ところで、君。その手に持っているものはなんだい?」
その質問により、僕は自分の手を見つめる。
そういえば、お茶の入ったポットだけ書斎から出た時に持ってきていた。そして、そのままここまで持ったままだったのだ。
「実はお嬢様にお茶を作ったのですが……どうも気に入ってもらえなくて」
「珍しいわね。アリアちゃんは基本なんでも食べられるのに」
彼女はうふふっ、と笑い、手を離す。どうも悪い人では無さそうだ。
彼女はポットの方を指差し、言う。
「できれば、私にもそのお茶をもらえる? アリアちゃんが飲めない味を知りたくなったわ」




