第1話 これは進み砕ける僕の物語
「……朝か?」
眩しい光が僕の顔を照らす。目を開け自らの状況を確認する。
自分がいつもと違うベッドで寝ているのに気づき、ふとんの中から起き上がる。
――……ここ、どこだ?――
まだ、目がぼやけているため、よく周りが見えない。とりあえずベッドから出て、よろけながらも立ち上がる。
その部屋はまったく知らない場所だった。
「僕の部屋……じゃないよな」
僕は昨日、確かに自分の部屋で寝ていた。なのに、なぜまったく知らない場所で寝ているのだろうか。
天井に吊らされたシャンデリア。床の複雑な幾何学的な模様のカーペット。壁は白く、扉は焦げ茶色の西洋チックな建築様式。それらはここが僕の部屋ではないことを物語っていた。
やがて、意識が鮮明になっていく度に僕は焦燥に駆られる。
「……えっ。なんで?」
普通、酒に酔って間違って他人の家に入ってしまった……とか、うっかり寝ている間に誘拐された……とか、なんらかの理由があるのではないだろうか。
しかし、18歳の自分は酒を飲んだことなど一度も無いし、それに誘拐されるほどの価値が自分にあるとは思えない。
「えっえっえっ!?」
それなのに、自分はまったく知らない場所にいる。唯一親近感のあるものは自分のまとっている灰色のジャージのみ。
「誰か他にいないのか!」
僕はすぐに扉に手をかけ、部屋の外に出る。
そこには長い廊下が広がっていた。ゴミはあまり見当たらないため、よく手入れされているのがわかる。一方の壁にはカーテンが続いており、もう一方は壁と扉が交互にあり規則的にランプが設置してある。
「誰か住んでいるのかな。だとしたら、探せば見つかるはず」
僕はとにかく走った。
走って最初に見つけた扉は客間に繋がっていた。
だが、そこはあまりにも客間とは認識しがたいほど、ゴミやホコリが散らかっていた。
「……ここ……使われていないのか?」
散らかっている……と言っても、誰かが汚しているようには感じられらない。むしろ、自然と時間が経って、訪れた結果がこの部屋を表しているように思えた。
「……んっ?」
ふと、床に何かが落ちているのがわかった。それは小さな黄色の石だった。
「なんだろう。これ」
それは異様で……見ていて心が奪われるほど綺麗だった。
今まで生きてきて、こんなにも惹き付けられるものというのはめったに無かった。
――……以前はどんなものを好んでいたんだっけか――
しばらくその宝石を手に取り眺めている間、そんなことを考えていた。
「……あっ」
ふと自分の目的を思い出す。
――そうだ。人を探していたんだった――
僕はそれをジャージの胸ポケットに入れ、別の部屋の様子を見に行った。
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「ふぅ……はあ……」
どの部屋を見ても、先程の客間と対して変わらなかった。本当に人が住んでいるのか、確証が持てなくなってきた。
「つか……れた……」
走り続けた結果、僕は疲労が溜まり廊下の床に倒れ込んだ。次第にこれは夢なのではないか、とも思い始めてきた。
思えば、最初からこの考えに至らなかったことが不思議である。普通はあり得ないことが起こっている時は、真っ先に思いつくことであろうに。
床の感触はカーペットのおかげで柔らかかったが、非常に冷たかった。なんとなく、この感触のほうが僕自身の部屋のベッドに似ている気がした。
僕はだんだんと眠気に襲われていく。廊下の上で寝るという行為は、僕の頭がおかしくなっていることを表している。ここで寝れば、次に目が覚める時には元の部屋に戻っているというご都合主義な考えが浮かんでいた。
そして、僕はゆっくりと目を閉じる。やがて、体が床に冷やされる反面、意識は暖かい空間に引きずり込まれていく。
ピチャピチャピチャ。
眠気が一気に覚め、目をパッチリと開けた。
床をつたって水の音がしたからだ。
「僕の他に……誰かいる……?」
僕はすぐに立ち上がった。そして、再び脚に力を入れて走り出した。その音が鳴り響いた方向に向かい続ける。
壁に耳をつけ、再度音を確認する。音はさっきよりも大きく
聞こえるので、確実に近づいていることがわかる。
やがて、音の発生源が目の前の部屋だとわかった。その部屋の扉の前で、足を止める。その奥からは確かに人の気配がした。
他人がいる……。そのことは僕をとても安心させた。訳のわからない状況にようやく答えが出るかと思うと本当に嬉しかった。
僕はドアノブをつかみ、覚悟を決める。そして、勢いよく扉を開け、言葉を発する。
「あの! すみません! ここってどこなんでしょうか!?」
必死だったためか、この時の僕には配慮というものが足りなかったのだろう。
「……あっ」
湿り温かい空気。籠の中の衣服。そして、何よりも下着姿の少女が、そこがお風呂場の前の脱衣所であることを示していた。
「…………」
「…………」
お互い黙って互いの瞳を見る。というのも、その少女の赤い瞳と癖のある黒い髪に見とれてしまい、しばらく言葉を発することができなかった。
「……はあ」
少女はため息をつき、こちらを睨む。少女の手に何かエネルギーのような光の粒が集まっていた。それはやがて、一つの光の球体を形成していった。
「……えっ。えっえっえっ!」
ようやく、自分に起こる危機を理解した時には、もう遅かった。少女はこちらを見ながら、口を開く。
「そうね……。ここは、あなたの墓場よ」
その球体はものすごい速さで、回転をかけながらこちらに向かってくる。
「……ひっ」
避けようと考えたが、思考を始めた時には球体は目の前まで迫っていた。
「がはっ!」
それは僕の腹にしっかりと命中した。球体は僕を廊下の壁まで突き飛ばし、腹に激痛を走らせた。それは5メートルほどの助走をつけた飛び膝蹴り並みの痛みだった。
バタンッ!
少女は思いっきり扉を閉める。
僕はというと、吹き飛ばされた先で白目を剥いていた。足に力がまったく入らなかった。
意識が遠くなる中で、少女の容姿を思い出す。あの美しい容姿。そして……。
彼女はいったい何者なのだろうか。その疑問を残し、僕は気を失った。ただ、やはり彼女も女性であるため、きっと下着姿は見られたくなかったのであろう。
彼女に対する謝罪の気持ちを持ち、それは僕の心と体を重くした。
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やがて、数分後、少女は脱衣所から出てきた。同時に僕も若干意識を取り戻す。
……どうやら普通に起きるということは夢ではないらしい。
彼女は顔を僕の方に近づける。
「もう起きてるんでしょ?」
少女の問いかけによって、完全に目を覚ます。
「いきなり入ってすみません」
「いいのよ。鍵をかけていなかった私も悪いし」
顔を遠ざけ、濡れた髪を揺らし、廊下を歩き始めた。その少女はあまり肌を露出させていない黒いドレスを着ていた。
「着いてきなさい。話があるわ」
「話……ですか?」
僕はヨロヨロと立ちながらも、少女の後を追う。
一度、衝撃(物理的に)を受けたからか、だいぶ冷静になってきたため、建物の大きさに驚いた。
「こんなに広い館。一人で管理しているんですか?」
「一応、たまに掃除はするくらいよ。……まあ、使わない部屋はめったに触れないけど」
主にあの客間を代表とする部屋のことだろう。ふと、疑問が浮かんだ。
「誰か来たりしないんですか?」
「あなたのような普通の人間がくるのは珍しいわよ。……でも、最近はこれまたちょっと変わった人もよく来るわね」
ちょっと変わった人とは誰だろうか。しかし、その人以外は
ほとんどこの建物にはやって来ないということだろう。
少女は指を振った。すると、廊下の脇にあるホコリが滑らかに移動した。
「それって何ですか?」
「えっ? 何が?」
僕が質問をすると、少女は首を傾げこちらを見つめる。
「その……ホコリが」
「ああ……これのこと」
少女は首を傾けたまま、眉をひそめる。
「これは魔法よ。あなた、そんなことも知らないの? これは魔素を使って物体を操作する魔法。ちなみにさっきあなたにあてたのは魔素を集めて作った魔弾と呼ばれる攻撃魔法よ」
魔法……というものが本当にあるだろうか? 以前の僕なら到底信じられなかったが、実際にこの身に魔法の力を受けたからには魔法は存在すると考えるしかない。
……うーむ、人生いろいろとあるものだなあ。
「それにしても、あなた。さっきの魔弾は殺す勢いでやったのによく生きていたわね」
「そうなんですか!? まあ、死にかけましたけど……」
「……冗談よ。ちゃんと加減はしてあるわ。それにしても、あなたはわかりやすい顔をするのね」
僕は自分の顔が青ざめているのを感じた。
「昔からよく顔に出やすいって言われますからねえ」
少女は一度歩くのをやめ、こちらをじっと見つめる。
「えっ。どうしたんですか?」
「いや」
依然として彼女は表情を変えないが、何か言うのをためらっているようにも見えた。
しかし、彼女はその言葉を口にする。
「じゃあ倒れていた時に、涙を流していたのも何か理由があったの?」
「倒れていた? ……僕って倒れていたんですか?」
僕がそう尋ねると、少女は少し考え、また歩き出した。
「すぐ外の庭で倒れていたの。気を失ってるみたいだったから、ベッドで寝かせておいた。ただそれだけよ。まあ、それなのにまさか下着姿を見られるとは思わなかったけどね」
「そのことは勘弁してください」
必死にその場で土下座をする。若干彼女の引いている視線が痛いが、今は気にしない。
「冗談よ。あなた、けっこう面白いのね。……着いたわ」
そこには、他の扉とはひとまわり大きい扉があった。少女はそれをゆっくりと開く。
そう言えば何か質問をされていたような……。まあ、そのうち思い出すであろう。
扉の向こうは大量の本棚があった。普段、読書はあまりしない方だが、そこにはたくさんの情報が詰まっていると感じられた。
「凄いですね。こんなにたくさんの本が」
「ここは私の書斎。大体仕事が無い時はここで調べものでもしてるわ」
彼女が近くのイスに座ると、イスは宙に浮き始めた。そして、僕はその少女を見上げる。少女にはうまく表せないが圧倒的なオーラのようなものが感じられた。
「自己紹介が遅れたわね。私の名前はアリア。誇り高き吸血鬼の末裔よ」
「…………えっ」
一瞬、その少女の発した言葉が理解できなかった。
「ええええっ!」
この吸血鬼の少女との出会いがやがて、僕の運命を左右することになるとは……この時の僕は思わなかった。




