第14話 僕は血の海を泳ぐ
まだ意識があるのだろうか。
僕は目を覚ました。だが、どうも体が言うことを聞かない。
特に、右腕はまったく動かせなかった。
「ははっ。何言ってるんだ。動かす腕が無いじゃないか」
僕は自分の考えに自嘲する。そんな時だった。
「無様だね。君は」
どこからか声がした。前を見ると、そこには一匹の蛇がいた。
君は誰だい。
「僕のことなんかどうでもいいさ。それより君はなんてかわいそうなんだい。それはそれは、同情するほどだよ」
そんなに僕は無様だろうか。
「ああ、そうだよ。君はすごく無様だよ。……どうしてそうなったと思う?」
どうしてだろう。
答えはわかっていた。それは僕が何もできないような無能だからだ。
「じゃあ、どうして無能なの?」
わからない。なんで僕は無能なんだろう。
「君は知っているはずだ。どうして君が何もできない無能なのかを」
僕が……知っている……?
「そうさ。それを今、確かめに行こう」
唐突に暗い夜の中で、目の前に景色が飛び込んできた。それは血生臭い世界よりも、暖かい景色だった。
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僕はいつも通り、学校から帰って来た。玄関に知っている人の靴があるのに気づく。
「げっ。今日は三年は早く帰って来てたのか」
僕はそーっと歩き、自分の部屋に向かう。しかし、
バタンッ
急に扉が開き、彼女が現れた。
「おかえりっ! 今日は遅かったね」
「……姉さんが早いんだよ。それよりいいの? 勉強しないで」
「まあ、なんとかなるっしょ」
前回のテスト。確か赤点ギリギリだって言ってなかったっけ。
すると、姉さんは僕の顔をじーっと見る。
「今日、なんかあった?」
「何もないよ。全然大丈夫だよ」
だが、急に姉さんは僕の頬をつかみ、引っ張る。
「お姉ちゃんに嘘が通じると思っているのか! いいから話してみなさい!」
「わはっは。いふから、はなひて。はなひて」
僕との共通点が灰色の髪だけで、性格が真逆なこの人が僕の姉、佐倉坂ミドリである。
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「学校で話す人がいない?」
姉さんはそう聞き返す。姉さんの部屋で僕はなぜか正座をさせられている。
「なら、話しにいけばいいじゃない」
「話しても……嫌われるだけだよ。僕みたいな性格なやつは」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃない。話して行けば、きっと自分の性格だって変えられるよ」
姉さんに僕の気持ちなんてわからない。だって、僕と違って、姉さんは学校の人気者なのだから。
「……人間はそんなに簡単に変われないよ」
そう言うと、姉さんは静かに黙った。そして、数秒の間を過ぎて、姉さんが一言。
「……ちょっと待ってて」
「えっ」
姉さんはすぐに自分の部屋から出ていった。台所の方でガタンゴトンと音がしているのは気にしてはいけない。
少し経った後、姉さんが戻ってきた。彼女は手にコップとやかんを持ってきていた。
そして、コップに何かを注ぐと、それを僕の方につき出す。
「……飲め」
「えっ。あ。うん」
こういう時の姉さんは言うことを聞かないと、とんでもない目に合う。
だから、とりあえず従っておくことがベストである。
「いただきます」
僕はその飲み物を飲んだ。それはお茶だった。温かいものが心まで広がってきた。
「まさか、料理が苦手な姉さんがこんなものを作れるようになっていたとは……」
「それ……誉めてるの? まあ事実だから怒らないけど」
正直、感動している。姉さんがこんなにおいしいものを作れるようになっていたなんて。
「人間って、変わっていくものだって私は思うんだ。変われない人なんて一人もいないんだよ。ただ、変わりにくい人と変わりやすい人がいるだけ。だから、これから簡単なことからでいいから、自分を変えてみない? お茶の作り方、教えてあげるよ」
「……僕にできるかな」
「同じ事を何度も言わせないでくれよ。できない人間なんていないさ。早速、お茶を作りに行こう」
「えっ。ちょっと。姉さん!?」
そして、僕は姉さんに引っ張られて、台所につれていかれるのだった。
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あの時は楽しかったんだ。
誰にも興味を示されることがなかった僕に、姉さんだけが優しくしてくれた。両親やクラスメイトがまったく関わろうとしない中、姉さんだけが。
「心の救いだったんだよね」
そう。まさに心の救いだ。姉さんがいたからこそ、今の僕は存在しているし、お嬢様とも仲良くなれた。
姉さんには感謝をしてもしきれないよ。今の僕を作っているのは、まさしく彼女なんだから。
「今の君を作っている……か。今の……カエルを踏み潰すような残虐な君をかい?」
………………。
………………。
………………?
君は何を言っているんだい?
「……覚えていないのかい? あの暑い日の中、お嬢様の顔に泥を塗ったあのカエルを?」
……えっ……カエル? ……あのカエルをどうしたって?
「……だから、カエルを踏み潰したじゃないか」
僕は訳がわからなくなっていた。唐突にその日のことを思い出そうとする。
だが、ちょうど館から川に行くまでの間の記憶が無かった。
僕は自分の足でカエルを踏み潰すなんて、そんなことは覚えていない。だが、僕はそれを否定できなかった。まるで、僕がその瞬間を無意識に忘れているのかのようだったからだ。
「それは少し違うよ。君は忘れたいだけだ。都合の悪いことは全部」
なぜだか……僕は自分が恐ろしくなった。僕はまだ、自分すらも知らないのではないか……。
「そういうところが無様なんだよ。君のそういう無責任なところが」
蛇は近づきながら言う。
「皆を助けるヒーローになる……だっけ。そんなものになる前に、自分自身が罪深いことに早く気づいた方がいい」
僕が……罪深い……?
なぜか、その言葉にすごく共感できた。なぜ、自覚があるのか僕にはわからなかった。
「自分の罪すら忘れるなんて……君はとことん愚かだねえ。その程度でお嬢様を守るだなんて、本気でそう思ってるの?」
本気で思っている。そのことは確かだ。でも、それ以外のことに確証が持てなくなっていった。
僕は……何だ?
「君は君だ。だからもう一度思い出すといい。君の罪を。君の最低さを」