第51話 鏡の国に生きる彼
シアンの前に立つウヌク。
彼はゆっくりとその口を動かす。
「シアンちゃん。……ここから、離れて」
「でも……ウヌクくんは?」
ウヌクは微笑み、シアンの前に座り、彼女の肩に触れる。
「僕は大丈夫。それよりも、奥で団員たちが戦っているから……」
「……えっ。敵はあのサクラザカって人だけじゃないの?」
シアンはその顔をだんだんと青くし、そのことをウヌクに問いかける。ウヌクはそれに優しく答える。
「帝国の連中がここに攻めこんできている。こんなに早いとは、さすがに思わなかった」
「そん……な……」
「来る途中にいた騎士たちは全員殲滅したけど、まだ奥では団員たちが戦っている。シアンちゃんは、彼らを助けてあげてほしい」
シアンは少し考えた後、その顔を引き締め、ウヌクに言う。
「……わかった。ウヌクくんも絶対に死なないで」
「うん」
彼女は、その会議室の外へ走っていく。
それを見届けた後、ウヌクは振り向く。
「もう起きているんでしょ? サクラザカくん……でいいんだよね」
「ええ。まあ……」
ウヌクとサクラザカの鋭い視線が合わさる。
サクラザカはさらに威圧し、言う。
「あなたは?」
「僕はウヌク。財団の幹部さ」
「そうですか」
そんなサクラザカに対し、ウヌクは笑みを浮かべ言う。
「なんで、さっき部屋を出ていくシアンちゃんを攻撃しなかったの? 隙はいくらでもあったはずだよ」
「隙? そんなものは無かった。あなたが防御していたはずですので」
「へえ。なかなかいい勘をしてるね。さすがは団長と戦って、生きているだけのことはある。……でも、戦力を減らせる可能性があったなら、攻撃しておくべきだったんじゃないかな?」
「…………」
サクラザカはしばらく黙った後、答える。
「……一人殺せば、それで財団は壊滅する」
「…………」
「ならば、あなただけで充分です」
「……ふーん」
ウヌクはさらに笑みを強める。
「おもしろいね。……今まで出会ったことがない熱を感じる」
彼はその刀に触れて、言う。
「じゃあ、始めようか」
「……はい」
サクラザカも氷の剣に触れ、かまえる。
…………。
瞬間、二人は互いの武器を激しくぶつける。
「……っ!」
押されていたのは、サクラザカの方だった。彼はシールドを展開し、防御しようとした。
だが……。
「……えっ」
そのシールドを作る魔素の内側に、ウヌクの刀身があった。
「ぐっ!」
すぐさま、シールドを展開するのをやめ、身体強化の方に魔素を使う。そして、向かってくるウヌクの刀を避ける。
――速すぎる!――
彼は、サクラザカの出会ったどの敵よりも速かった。第一、魔素の反応よりも速い攻撃をサクラザカは見たことが無かった。
「くそっ!」
サクラザカは地面を蹴り、逃げようとする。
しかし……。
「……っ!」
その足に魔素で作ったロープが巻きつけられる。それはウヌクの手から発生したものだった。
「しまっ……!」
ウヌクはそれを引っ張り、サクラザカを近くに戻す。
「……っ!」
再度、ウヌクの刀とサクラザカの剣がぶつかる。
サクラザカの剣は大きく弾き返され、再び剣先をウヌクに向かわせるには、あまりに時間がかかった。
ウヌクの刀の速さを考えれば、なおさら急がなければならない。
「……っ!」
「ん?」
サクラザカはその氷の剣を後ろに投げ、体を低くし、ウヌクの刀を避ける。
そして、ウヌク本人の腹に蹴りを入れる。
「……うっ」
蹴りの入ったウヌクは、サクラザカから距離が離れる。サクラザカはその間を使い、氷の剣を再び握りしめる。
「…………」
サクラザカは少し顔が引きつる。ウヌクが再び笑みを浮かべたからである。
「……結構力を入れて、蹴ったつもりなんですけどね」
このウヌクという男の強さは異常だった。刀の速さだけではなく、ロープを引っ張る腕力、蹴りを入れられて耐える精神力。そのすべてが秀でていた。
「……しかも」
しかも、サクラザカはすでに吸血鬼になっている。相手の細かい動作は大抵見切ることができる。それにも関わらず、ウヌクの刀身が見えないのだ。
「……いったい……どうなってるんですかね」
「…………」
ウヌクはサクラザカにニコリと笑う。
その笑みが、余計その恐ろしさを強めている。
「君の攻撃には、迷いが見える」
「……っ!」
「人を殺すことを……迷っている?」
次の瞬間。
ウヌクの目の前にサクラザカは斬りかかっていた。
その剣を、ウヌクは刀で受け止め、話し続ける。
「けれども、人を殺すことに何の躊躇いも無い気持ちもある。……戦って生きるためには、しかたのないことだったんだね。そんな二面性のあることが……その迷いの原因じゃないかな?」
「少し……うるさいですね」
「ははっ。でも、大丈夫。そういう人の方が多い。人間の魅力だから。その迷いも乗り越えることによって、成長に繋がる。ただ……」
ウヌクはサクラザカの顔面を蹴り飛ばす。空中に血を撒き散らしながら、サクラザカは弾き飛ばされる。
「足枷は……はずさなければ、いつまで経っても足枷のままだ」
「…………」
ウヌクは刀を腰の鞘に戻し、倒れるサクラザカの胸ぐらをつかむ。
そして……その顔に拳を叩き込む。
「迷ったままでは、僕には勝てない。そんな弱い志じゃあ……」
「…………」
それでも、サクラザカの瞳は依然としてウヌクの方を向いていた。
「……足枷なら、良かったんですがね」
「……?」
「何度はずしても……何度はずしても、巻きついてくる。それはまるで……」
彼の黒い瞳が、力強くウヌクをにらみつける。
それは、今日初めてウヌクに恐怖を与えた。
「蛇みたいだ」
瞬間、その氷の剣を手から放し、サクラザカの腕はウヌクの首もとを捉える。
体を固定し、締めつけ、刀に手を届かないようにする。
「……っ!」
「でも……それはあなたも同じだ」
サクラザカの殺意のこもった黒い瞳が、ウヌクをじっと見つめる。
「あなたも迷っている。そんな感じがします」
「…………」
ウヌクは屈み、自らの体にしがみつくサクラザカを地面に叩きつける。
「……っ!」
その時、地面についた瞬間、サクラザカはウヌクの腰からその刀を抜き取る。それを彼に向けて、突く。
そのサクラザカの攻撃を目で捉え、ウヌクは刀を避けて、サクラザカを蹴り飛ばす。
腕が自由になったウヌクは、その場に落ちている氷の剣を拾う。
「……迷っている……か」
ウヌクはその剣を握りしめ、考える。
「そうかもしれない。さっき……団長から電話があった」
彼は懐から、携帯電話を取り出し、サクラザカに向ける。
そして、録音された音声を流す。
『……ザザっ。……ウヌクか?』
それは紛れもないブラックの声だった。
『……お前には失望したぞ』
「…………」
サクラザカは黙って、それを聞いていた。
ウヌクは苦笑いをし、言う。
「……連絡はこれだけ。……意味わかんないでしょ?」
「ええ。まあ……」
「でも、なんとなく心当たりはあった。ずっと昔から、団長は不思議な人だった。誰よりも、人間らしかった。……君に出会うまでは、僕もそう思っていた」
ウヌクの黄緑色の瞳は、じっと床を見つめる。
「なんていうかね。……それでも、団長がいてこその財団だったんだなって、思うんだ」
そして、ゆっくりと瞼を閉じ、その口元に穏やかな笑みを浮かべる。
「……楽しかった。でも、もう終わりだ。財団は今日……滅びる運命にある」
「…………」
「だからって、ここで戦わない理由にならないけどね。僕にだって、まだ守らなければいけない仲間がいる」
その時だった。
ウヌクがサクラザカを嘲笑うかのように見つめたのは。
「君は……誰を守りたいの?」
「…………」
サクラザカの顔が……血管が浮き出るほど引き締まる。
その瞬間。
二人の男は、互いの武器を握り、走り込む。
その二人の姿は、まるで鏡合わせのように酷似していた。




