第45話 人間は脆く儚い
ブラックの頭部から、狼のような耳が出現した。
「……コハル……だったか。お前の名前」
決して笑みなど見せない……むしろ、無表情なブラックからは確実な殺意がにじみ出ていた。
それでも、ブラックは会話をしようとした。彼には、それだけの余裕があるのだ。
そのことをコハルは面白くないと思ったが、ここで冷静に行動しないのは、ブラックの思うつぼなのはわかっていた。
だから、じっと様子を伺っていた。
「なんだかな。お前はサクラザカにすごくよく似ている。ただ……あまりにも感情を表に出しすぎているのが難点だな。そんなに嬉しいか? 存在する……ということは」
「うん。少なくとも、魂を与えられないよりは」
「そうか。皮肉だな。結局お前はサクラザカになりきれないというのに……」
「なる必要は無いですよ。だって、ボクはサクラザカさんになるために生まれてきたのではなく、サクラザカさんを支えるために生まれてきたのだから」
「まったく……だから、皮肉と言っているんだ。わからないものかな」
「それさあ……」
少女はブラックに笑みを向ける。
「理想の自分になれないのは、お互い様でしょ? 大丈夫? 団長さん」
「さあな。俺は俺のやりたいことをやっている。それだけだ」
「団長さんはかわいそうだね。すごく苦しそうだよ?」
「かまわない。それで守れる者が守れるならな」
ブラックは拳銃の引き金を引く。その弾丸はコハルの方に向かっていた。
「コハルちゃん!」
「……ジェナ」
ジェナがコハルに飛び込み、向かっていた弾丸は当たらずに通りすぎていく。
その光景をブラックは眺めていた。
「まったく……あまり気は乗らないが……」
「……あっ」
しかし、弾丸を避けた瞬間、ジェナはブラックに蹴り飛ばされる。
「がはっ!」
地面にぶつかりながら、道沿いの建物の壁に叩きつけられる。
コハルはそんなジェナの姿を見て、怒りをあらわにする。
「……お前」
そして、彼女は脚に身体強化の魔法をかけ、ブラックに近づく。
だが。
「ぐっ……」
ブラックの脚はコハルの腹に激突する。
しかし……思ったほど、力は込められていなかった。
「……あっ」
その時、コハルは悟った。わざと、ブラックが攻撃の威力を緩めたことを。
これから、近くでコハルに次の攻撃を与えるために、遠くへ飛ばさないようにしていたことを。
「……残念だよ。お友達を殺さなくちゃならないなんてな」
ブラックはそう言うと、コハルの頭をつかみ、その体を地面に張り倒す。
そのまま、体を足で押さえつけ、抵抗できないようにする。
「……やめて」
その光景を見ていたジェナは、小さく呟いていた。
「……やめて。団長」
しかし、その狼は小さな少女の右腕をつかむ。
「やめてよ! ……団長!」
その願いははかなくも散り、その右腕は胴体から引きちぎられるのだった。
……血がその場に散乱し、ブラックの頬にも付着する。
そして、視界が赤く染まっていくジェナは……その口を震わせていた。
その時、ジェナの中で何かが切れた。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
瞬間、ブラックの目にも止まらぬ速さでジェナが姿を消す。
「……!」
彼は驚いていた。そして、自らの鼻を用いて、匂いを感じとる。
「……なるほどな。だが、いくら強い力を持っていても、怒りを隠せねばまだまだ甘い」
そして、ナイフで斬りかかっていたジェナを、その鋭い瞳で捉える。
その腕をつかみ、腹に蹴りを入れる。
「うぐっ……」
ブラックはひるみ動きの鈍くなったジェナを蹴り飛ばす。
「ジェナ……お前が財団に残らなかったことは少し残念だな。それだけの潜在能力があるなら、いずれウヌクよりも強くなれるかもしれなかったのに……。まあ、それはそれとして……」
ブラックはコハルを地面に押し付けたまま、拳銃をコハルの背中に向ける。
「がはっ!」
弾丸を撃ち込むと、彼女は口から血を吐いた。
「俺は有言実行をする人間だ」
そして、彼はその銃に弾丸を装填する。
「殺すと決めたやつは……殺すことにしている」
「やめ……ろ……」
「…………」
ジェナが地面を這いずり、近づいてくる。
「無理はしない方がいい。あばらを何本か折ったし、腕や脚も痛んでいるはずだ。いずれ、人が来た時、手当てしてもらえばいい。でもまあ……」
その目は再びジェナからコハルに向けられる。
「友達は助からないがな」
そんな絶望的な状況でも、ジェナは必死に這っていた。
――いや……だ……――
ジェナは、その時のコハルの姿を見て思う。
――また、友達を失うのは……――
「誰か……助けて……」
そして、その姿がリズと重なる。
「助けて!! サクラザカさん!!」
バシュっ!
その時だった。
ブラックの目の前に光の槍が通りすぎたのは。
「……来たか」
その頬は、槍をかすり、血が垂れる。
「思ったより、速かったな。サクラザカ」
そこに……黒い瞳を持ち、片手に氷の剣を備えた少年がやってくる。
その瞳は赤く染まり、やがて怒りのこもったものに変わる。
そんな彼にブラックは笑みを送る。
「さて……サクラザカ。前に逃げたお前が……よく堂々と俺の前に姿を現せたな」
「うるさい。黙れ。お前と会話するつもりは無い」
サクラザカは黒い翼を背中に広げ、ブラックをにらみつける。
「早く……その子を離せ。クズ野郎」
「おやおや……ずいぶん様子が違うな」
その瞬間。
ブラックの背後にサクラザカは移動していた。
そして、彼に向かって、サクラザカは黒く染まった脚を叩き込む。
しかし……それはブラックに受け止められていた。
「……サクラザカ。今のお前じゃ俺に勝てない。ずいぶん……弱くなったなあ」
「っ!」
サクラザカの顎にブラックの脚がぶつかる。
だが……。
「……なんだ?」
サクラザカは顎から血を流すが、すぐにブラックの方に視線を戻した。
そして、その氷の剣をブラックに振るう。剣先が彼の胸をかするが、ブラックは地面を蹴り、サクラザカから離れる。
サクラザカはさらに左手に噛みつき、右腕を振りかざす。その腕は、長く伸びブラックを攻撃する。
「……これは」
その力の正体をブラックは知っていた。
「サクラザカ……そこまでして戦うのか」
「…………」
「だが……そんなものは無意味だ。あまりに動きに無駄がありすぎる」
ブラックはその腕を避け、一気にサクラザカのもとに近づく。
そして、その拳銃でサクラザカに弾丸を撃ち込む。
「……まったく」
その弾丸は彼の体に食い込んだが、それでも動きが弱まることは無かった。
「人間であることを捨ててまで……どうして戦うんだ?」
「お前には関係ない! ブラック!」
サクラザカは伸ばした腕を元に戻し、ブラックに氷の剣を叩き込む。
それを彼は素手で掴み取った。
「なあ、サクラザカ。……お前の守りたいもの……それはアリア姫のことだろ?」
「…………」
「なのに、なぜお前はあのコハルという少女を傷つけられて激怒している」
「……黙れ」
「黙ってもいいが、その甘さが命取りだ」
ブラックはサクラザカの腹を蹴り飛ばす。
その体は建物を突き破り、瓦礫の中に入っていく。
「…………」
その光景をブラックは見つめていた。
「……今のお前は矛盾している。守るためなら、どんな方法を使ってでも勝利しようとしていた以前のお前とは違う」
その時。
その瓦礫の山は吹き飛び、一人の吸血鬼が姿を現す。
「……ブラック」
サクラザカはその男の顔を見て、考え込む。
そして……。
「……ありがとうございます。ブラック団長」
その瞳は黒く……光がまったくこもっていなかった。




