逃がした魚は大きいようだ
なぜかネタが降ってきたため書きました。楽しんでいただければ幸いです。
これはとある侯爵家のお話である。
ここはどこかの世界に存在するシルヴァランドという国である。そこに存在するエルストン侯爵家で今、ささやかな事件が起こっていた。
「侯爵様!!少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか!?」
執務中で莫大な量の書類に目を通していたヴァイラス・エルストン侯爵は眉をひそめて、自らの執務室の部屋のドアを蹴破る勢いで入ってきた中年の女性…メイド長を見た。
「何の騒ぎだ、騒々しい。」
ヴァイラスは自らの機嫌の悪さを隠すことなく、メイド長に話しかけた。メイド長の名誉の為に言っておくが、エルストン侯爵家に雇われるほどの使用人たちは礼儀作法をしっかりと身に着けており、まず慌ただしく雇い主の部屋に飛び込んでくることなど…特に『長』と呼ばれる役職を持つ者がこんなことをすることなど、平時ではまずありえない。だからこそ、機嫌は悪いもののメイド長をとがめることなくヴァイラスは話を聞こうとしているのだ。
「お嬢様のことなのですが…。」
「…ジェシカに何かあったのか?」
「あ、いえ、アシュリー様の方です。」
「私は忙しい。持ち場に戻れ。それと、あの小娘はもう、私の娘ではない。廃嫡した。」
『お嬢様』…自分の本当に愛した女性との間の娘『ジェシカ』を目に入れてもいたくない程溺愛しているヴァイラスは、心優しく可愛い愛娘に何かあればすべての仕事を中断しても娘の為に動く。しかし『アシュリー』は違う。跡継ぎの男児ではなく、政略結婚の駒にもなりえなかった役立たずである。王家とのつながりの為に王子の婚約者にしたものの、王妃教育の厳しさに耐えかねて異母妹や義母に八つ当たるようなろくでなしであった。多少のことならば…一応アシュリーの母、ソフィアに対しての負い目はほんのわずかだがある…目を瞑っていたが、息子のヴァルスからアシュリーがジェシカを亡き者にしようとしたという話を聞き、ついにヴァイラスは切れた。
まず、ジェシカに王子との結婚は大変なものになるがそれでも構わないのかと覚悟を聞いた。それでも愛する人と共にいると決めたジェシカと王子…シュナイダーを見て、ヴァイラスは二人の力になってやることを決めた。王や周りの貴族に根回しを行い、シュナイダーの婚約者を姉のアシュリーではなく、妹のジェシカに変える事を認めさせた。相性の問題でどうしようもなくなったら兄弟姉妹間での婚約者の変更を行う、この貴族社会では良くあることだ。そしてヴァルスの集めた数々のいじめの証拠を使い、ジェシカの害にしかなりえないアシュリーを廃嫡することに成功した。そしてジェシカとシュナイダーの婚約を卒業式という大舞台で国の貴族の子息子女に認めさせた…これはシュナイダーや息子、また将来のシュナイダーの側近たちの手腕だ。
ぶっちゃけ、ジェシカが許そうが許るまいがアシュリーには廃嫡以外の道はなかった。ジェシカがどうしてもというのならば、アシュリーをどこかの下級貴族と養子縁組して貴族として残れるくらいは手助けしていたかもしれないが。まあ、もしもの話などしても仕方ない。
これらのことが終わり、アシュリーに廃嫡のことを伝えたのが昨日の話だ。当然使用人たちにも通達は終えており、今日まで屋敷に残っていたら着の身着のままでもエルストンの屋敷からたたき出すように伝えていたのだが、今更駄々でも捏ねているのだろうか。それでもヴァイラスの知った事ではないが。
ヴァイラスの反応を見て何を感じたのかは分からないが、メイド長は落ち着いた様子になり(目は非常に冷たくなった)改めて雇い主に話しかけた。
「アシュリー様が自らの部屋にあった貴金属をはじめとしてありとあらゆる金品を、ドレスの飾りの宝石まではぎ取り出て行ったという話でも、後回しでよろしいのですか?」
「………はぁ?」
たっぷり三秒の沈黙後、ヴァイラスから出たのは気の抜けた声だった。
「信じられん…。」
「現実です。父上。」
かつて様々な宝石類や装飾品などで飾られきらびやかだったアシュリーの自室の様子は、現在地味で暗く閑散といていた。これが我が儘娘の部屋と言われても、誰も理解できないだろう。
アシュリーには二つの悪癖があった。一つは義母と異母妹に対する嫌がらせ、もう一つはとにかく貴金属・装飾品を欲しがる…特に小粒で高いものが好みであった。気に入ったものを見つけると、すぐに金に糸目をつけず買いあさっていたのだ。しかもエルストン家の金で。別にエルストンにダメージを受けるほどの買い物ではなかったが、それでもうっとおしいものではあった。しかし…。
「まさか、ここまで金目のものに執着しているとは思わなかった。」
「そうですね。アシュリー姉上は買い物したら、そのまま箱に入れて放置でしたから。別にどこかにつけて見せびらかしたりしなかったですし。買うことで喜びを満たしているのだとばかり…。」
ヴァイラスより先にアシュリーの部屋に来ていたヴァルスが、何とも言えない顔でヴァイラスと現状を把握するように話している。ついて来ていたメイド長も何とも言えない顔で後ろに控えていた。ちなみにジェシカは王妃教育の為に王宮に行っており、母親は王妃のお茶会に参加しており両名とも不在である。
しかし、そんな中で空気を読まずに部屋に入ってきた一人の年若いメイド(珍しくアシュリー付きのメイドとして長年仕えていた)がうっかりこぼした言葉に部屋にいた全員が衝撃を受けた。
「失礼します。掃除をしに…うわー流石アシュリー様。やると思っていたけれど、ここまでとは…。」
その瞬間、全員がそのメイドに目を向けた。その眼光に思わずメイドは後ずさり、逃げだそうとした。が。
「説明しなさい、リタ。」
回り込まれてしまった。メイド長の言葉には逆らえず、そのままメイド…リタは直立不動の姿勢をとった。
リタの話はこうであった。
えーと、あの、私、何か言ったら首になるとか…え、ない?本当ですか?無礼講?…やっぱりなしとかやめてくださいね。…あのですね、アシュリー様って、すごい方なんですよ。私はこのエルストンに雇われて七年になります。その間、ずっとアシュリー様を見て来たので、良く知っています。…はい、アシュリー様と同い年というので雇われました。…え、年の同じメイドなら理不尽な我が儘放題をされても逃げ出すことがなさそうだから!?そんな理由で雇われてたんですか、私!じゃあ、アシュリー様がいなくなったら首…え、しない?あ、私、認められてたんですか?仕事ぶり…。わー、本当にアシュリー様に感謝しないと…えっどういうことかって…。あ、そうですね。お話ししないと。
アシュリー様ってすごく勉強家なんですよ。王妃教育、ダンスやら作法やら語学やら歴史やら文化やらの勉強の合間を縫って、経営学とか、食物学とか、土木関係のこととか、とにかく王妃には関係ないだろ、それ!ってこっちが言いたくなるようなことまで、ガンガン勉強していて…。一度、聞いたことがあるんです。どうしてそんなに勉強するのかって…。そしたら「やりたい事の為よ。」って…。当たり前のように言うんです。それって王妃様になることですかって聞いたら、すごく嫌そうな顔をして「私が与えられたものをただ唯々諾々と受け継ぐだけだなんて、そんなストレスのたまることするわけないでしょ?」って。ぶっちゃけ、王妃様になんてアシュリー様、全くなる気なかったみたいで。え、聞いてない?それはそうでしょう。誰にも言わないようにって口止めされてましたから。なんでって…、私、アシュリー様付きのメイドですよ?え、侯爵様が一番偉いって…知ってますよ。いや、聞かれませんでしたし。そりゃ、ジェシカ様付きのメイドみたいに、何かあったら逐一報告って言われてませんし。
…えっと、もういいですか?え、まだ何か?…鋭いですね。ええ。まだ黙っている事あります。…わかりました。全部話します。
まず、私もアシュリー様に教わって色々勉強してました。…平民学校の先生よりわかりやすかったです。きっと機転を利かせた仕事が出来るようになったのはアシュリー様のおかげです。本当に感謝しないと。…買い物についてですか。資金にすると言ってました。何のかって…事業だそうです。その事業が安定したら案内を私に出してくれるって言っていました。詳しくは知らないです。後、アシュリー様的にはこの家から与えられた苦痛に対する慰謝料替わりでもあるって…ストレス、ためられてましたから。
え、なぜって…侯爵様、マジで言っていますか、それ。やばっ、素が…。えっと、本当に言っていいんですね?首にしないですね?いや、今首にされると家族が路頭に迷うので…。少なくともアシュリー様の事業が安定するまでは雇ってくださいね?え、ああ、誘われているんです。アシュリー様の事業に。
まあ、そんなことはいいです。いや、普通に考えてアシュリー様、マジ切れ案件でしょ。だって後妻を迎えるのはともかく、後妻の連れ子が父親の実の娘って…ヴァルス様より年上ですよ。堂々と前妻の奥様がいたころから浮気してたってことですよね?めっちゃ不貞を働いてますよね?え、現奥様の方が付き合い長い…なら、最初から前妻様との結婚を蹴ってりゃ良かったんですよ。家に逆らえなかったって、中途半端に権力に固執するから…。年頃の女の子にはきついですよ、それ。まあ、現奥様やジェシカ様が近年まれに見るすっごくいい人って言うのは認めますが…それでもアシュリー様にとってはやっぱり腹が立つって言うのは仕方ないと思うんです。そりゃあ、こっちは勉強で忙しい中、顔も見たくない人間に遭ったら「私の前に現れないでくれます?図々しい。」くらいは言いたくなると思いますよ。アシュリー様、基本的には行く場所、限られていましたし避けようと思えばジェシカ様も避けられたでしょうに。…ジェシカ様は分かり合いたかったっんだって言われましても、家捨てる気満々のアシュリー様には必要ないものでしたでしょうね、エルストンの名前も家族も。
…えっと、しんみりさせる気は一切なかったんですけど…。え、アシュリー様の行くあて?聞いてどうするんですか?もう、アシュリー様はエルストンの令嬢ではないんですよ。…まあ、交友関係がある方は知っていますが。その方と会えるように私が手引きしていましたし。…誰かって、ごくごく普通の平民ですよ。え、聞いてないってそりゃあ、あ、言わなくていいですかそうですか。
あー、確かにそこは気になりますよね。興味がない異母妹をどうして学校でいびっていたか。…まあ、真実は単純なんですよ。アシュリー様、いじめにはノータッチです。え、実行犯は取り巻きだったって。そうでしょうね、望んでもいないのに取り巻きが出来て、しかも過激な方が多いってアシュリー様、愚痴ってましたから。え、無実?…うーん、アシュリー様曰く「過激なことをしていて、異母妹を命の危機にさらそうとしていることを知っていて、それでも止めずに勉学を優先した私が無実とは言い切れないのでは?」って。ぶっちゃけ、余計なことをして、家から出ていけなくなることを嫌がったんでしょうね。アシュリー様、めっちゃ家出る気、満々でしたから。今考えると、押し付けられた責任をとらされることも計算のうちだったような気がします。…取り巻きを締め上げるって、今更なのでは?もう終わったことですし…。あ、それとこれとは別ですか。…相変わらずのジェシカ様限定の親バカと、どうしようもないシスコンですね。いえ、何にも言っていませんよ?
まあ、ジェシカ様にはとんでもない護衛が付いているって、エルストンの関係者はみんな知ってますから。アシュリー様もにこやかに放置できたと思いますよ。凄いですよね。影と呼ばれる凄腕のボディーガードまで夢中にしてしまうんですから、ジェシカ様は。あの人に好かれる体質ってもはや才能ですよね。
…今更ですね。アシュリー様の護衛、いませんよそんなもの。何よりお強いですし、必要ないでしょう。え、アシュリー様はお強いですよ。王妃教育やらなんやらでたまったストレスを、騎士団の平民のみを集めた生え抜き部隊と一緒に訓練したり暴れたりすることで発散してましたし。え、ああ、アシュリー様曰く、たしなみだそうですよ。令嬢にはいらない嗜み?…凄く今更ですね。あ、そうそう、あの部隊の中で部隊長と剣戟を十合以上も打ち合えたのはアシュリー様くらいですよ。さらにアシュリー様、計略にもたけていたので、すごく部隊内で頼られていましたから。あ、婚約破棄からの廃嫡の動きをもっと早くつかんでいれば、うちですぐに小隊長待遇で引き取ったのにって部隊長が歯噛みしてました。まあ、それが嫌で上層部で動いていた今回の流れを下に流れないようにって、めっちゃアシュリー様は私を使って暗躍してましたから。…聞いてないって、あ、もういいですか。
生え抜き部隊を敵に回してしまったようですが、騎士団長がた、大丈夫ですかね…。まあ私のような一介の使用人が口出しすることではありませんよね。え、部隊長って騎士団長並にお強いんですか?強いとは思っていましたが…。成る程、私が五合くらいしか打ち合えなかったわけです。…え、私?いやいや、普通ですよ普通。いや、マジで。
このくらいですかね…。あ、この部屋の掃除は…後でいい?かしこまりました。それでは私は仕事に戻ります。長々と失礼いたしました。
「…信じられん。」
「…現実です、父上。僕も信じられませんが。」
アシュリーの部屋からリタが出て行ったのち、ヴァイラスとヴァルスはこの部屋に来たばかりの時と同じような会話をしていた。しかし、顔からは生気が失われている。メイド長もどう話したらよいのか分からないという顔をしている。メイド長にとってもリタというメイドの本性を知ってしまい、混乱の極みなのである。
「…私が、もしも、アシュリーと向き合っていれば、何かが変わっていたのだろうか。」
「父上。もしもの話は無駄なこととおっしゃっていたではありませんか。なってしまったものは仕方ないのです。」
「ヴァルス…。」
ヴァイラスがヴァルスの言葉で彼と視線を合わせると、死んだ魚のような目をして笑っていた。
「取り敢えず、出来ることからやりましょう。」
「…そうだな。」
ヴァルスは亡き実母に似た顔…アシュリーとよく似た顔に悟りを乗せていた。ヴァイラスは本気で泣きそうになった。
「まず手始めに、アシュリー姉上の名前を利用したクズ…違った、元・自称取り巻き共をじわじわと苦しめて追い詰めていきましょう。ついでに搾り取れるものは搾り取りますよ。」
…ソフィアの血って、もしかして性悪の血なのではないか。本気でジェシカ以外の二人の子供を放置していたことを後悔するヴァイラスであった。
その数年後、リタは仕事を辞めた。そのころから平民たちの間では、辺境領が力をつけているという話がまことしやかに流れていた。しかしこの数百年の間、暴力以外何も見るものもなかった辺境領について、国の上層部は放置することにした。
さらに月日が経ち、気が付くと辺境領は場所こそ辺境だが、すでに辺境というのもおこがましい程の発展を遂げていた。和菓子の文化を基準にして、和菓子の材料や緑茶を作る農業が発達。隣の国との干菓子を中心とした交易のために商売と街道と輸送業が発達。隣国のお偉いさんも気に入った和菓子は新鮮さが命ということで、和菓子を食べにくる観光客が増加。観光客向けの宿、食事処、テーマパーク、歓楽街と次々に町が形成されていく。
これらの発展の背後には、現辺境伯と『女将さん』と呼ばれる美しい女性、その右腕たる存在の女性が関わっているというのは、公然の秘密である。
現国王をもってして「逃がした魚は大きかった。」と言わしめさせる手腕がアシュリーにはあったのだが、ぶっちゃけ後の祭りである。
最後は色々とお察しください。