「全部君のせいだ!」「全部あなたのおかげですよ」
「全部君のせいだ!」
「はあ」
お父様がチケットを手に入れてくださったので、最近人気の劇を見に行こうと思ったのですよ。
そうしましたら途中の大通りでクリント・ラファティ子爵令息に絡まれまして。
絡まれたというのもおかしいですか。
水溜りを通った馬車が水を跳ね散らした、ということがありました。
わたくしも濡れるところだったのですが、通りかかったクリント様が庇ってくださいました。
おかげでわたくしは何ともなく。
お礼を申し上げようと思ったところ、逆にわたくしのせいだと食ってかかられた、ということです。
どうしてこうなったのでしょうか?
困惑なのですが。
ドノヴァン子爵家の娘であるわたくしセーラは、クリント様とは貴族学校の同級生なのですよ。
クリント様は快活で友人も多く、ウィットに富んだ会話のできる殿方なので、常々素敵だなあ、格好いいなあと思っておりました。
ラファティ子爵家の嫡男でいらっしゃいますしね。
うちドノヴァン子爵家とは家格も合いますし、いずれ婚約に至るかもという、淡い期待もありました。
しかし何ということでしょう。
こんな理不尽な言いがかりをつけられようとは。
人生って何が起こるかわからないものですねえ。
「大体セーラ嬢は迂闊過ぎるだろう! 馬車の水跳ねなんて予想できそうなものだ」
「申し訳ございません」
これに関しては本当にクリント様の仰る通りで。
わたくしもチケット入手困難な人気劇を見られるとあって、心が躍っておりました。
つい浮かれて周りの状況をあまり把握しておりませず。
「おかげで僕はこのざまだ。どうしてくれる!」
「……」
濡れていらっしゃいますね。
いや、それはそうなのですが、どうも納得いかないというか。
でもクリント様に助けていただいたことは事実なのですよね。
「わたくしはクリント様に報いるために何をすればよろしいでしょうか?」
「ようやく本題だ。セーラ・ドノヴァン子爵令嬢。僕と婚約してもらいたい」
「えっ?」
婚約?
あまりにも唐突で一瞬思考が停止してしまいました。
そして一体何です?
周りの方々が歌いだしたり踊りだしたりし始めましたよ。
あっ、ひょっとして全部仕込みなんですか?
クリント様は片膝をついて小箱を差し出しています。
「セーラ嬢、これを」
「はい」
やはり魔石です。
貴族の婚約では殿方から魔石をいただくのが通例になっておりますので。
おかしな言いがかりかと思えば、全部仕組まれているのではないですか!
婚約は家と家が決めるもの。
わたくしに決定権はないのですが、なんて言いだすのは野暮というものですね。
だって今日出かける前にお父様が言っていましたもの。
『先方によろしくな』
『先方? 劇団の座長とかですか?』
『ああ、いやいや、行けばわかるから』
わたくしの婚約ではないですか。
つまり先方とはラファティ子爵家のことですね?
もう、皆してわたくしをのけ者にして話を進めるのですから!
「セーラ嬢?」
わたくしが婚約の魔石を受け取らないものですから、クリント様も少々不安になったのですかね?
でもわたくしは意地悪じゃありませんよ。
こういうお茶目なイベントは好きですし、クリント様のことも好きですから。
そっと小箱を受け取ります。
「やった、ありがとう!」
「きゃっ?」
クリント様に抱きしめられました。
歌と踊りが止まり、一斉に拍手されます。
ありがとうございます。
潮が引くように仕込みの方達がいなくなると、クリント様が言いました。
「さて、劇を見に行こうか」
「えっ? クリント様もですか?」
「セーラ嬢の隣の席は僕なんだ」
チケットを見せてきます。
どこまでも計算なのですね?
嫌いではないですよ。
「では行きましょうか」
「仰せのままに」
クリント様の差し出す腕を取ります。
ふふっ、気分が浮き立ちますこと。
◇
――――――――――五〇年後。
クリントの白髪の混じった頭を、窓越しの木漏れ日が優しく照らしています。
「色々あったけど、まずまず楽しい人生だったじゃないか」
「そうですねえ」
過去形で言うのは早過ぎる気もしますね。
まだまだクリントもわたくしも元気ですから。
もっとも人生も最終盤だなあ、とは考えています。
愉快な婚約から二年後に結婚し。
子供達が貴族学校に通い始める頃にクリントが子爵位を譲られ。
忙しかったですがそれなりに充実した日々だったです。
長女に初孫ができた時は嬉しかったですねえ。
向こうの家に何度もお邪魔して苦笑されました。
いやいや、孫を祝福されて嬉しいのは一緒だからと、笑って許してくださいましたが。
爵位を長男に譲ってからは領地に引っ込みました。
といっても領政については家宰が切り回しているので、クリントが行わなければいけないことは少なく。
旅行に行ったり花を愛でたり、のんびりした生活を過ごしておりました。
「婚約の日のこと、セーラは覚えてるかな?」
「もちろんですとも」
一生で一番刺激的な日でしたからね。
わたくしの進む道が決まった日とも言います。
懐かしいですねえ。
「セーラがなかなか魔石の小箱を受け取ってくれなかったろう? 婚約を断られるのかとヒヤヒヤしたんだぞ?」
「そうだったのですか。でもわたくしの立場にもなってみてくださいな」
「セーラの立場?」
「全部お膳立てされていて、はいどうぞ、という感じだったのですよ?」
「……それは何かまずいのかな? 楽でいいと思うのだけれど」
「選択の余地がなかったでしょう?」
「そうか、魔石をいくつか用意しといて選ばせるという手があったか」
そういうことではないのですけれどもね。
歩む道を強制的に決められてしまうということに、少し怖さがあったのは事実なのです。
でもどんどん前へ引っ張っていってくれる、クリントの積極性があってのことなのだなあと、今では理解していますけれども。
五〇年間の幸せはそうして形作られたものなのですから。
「僕は貴族学校に入学してセーラを知って。それ以来ずっと君のほうを見ていた気がする」
「えっ? ごめんなさい、全然気付かなかったです」
「ハハッ、僕も気付かれないようにしていたから。不審者みたいだものな」
何だ、クリントも私のことを好きだったのではないですか。
婚約した時も家格が合うし同級生だからね、という話しかされていませんでしたよ?
婚約シーンだけは印象的でしたが、わたくし達の関係は政略みたいなものだとずっと思っておりました。
「初めは背筋のピンと伸びた令嬢だなあと思って。ドノヴァン子爵家の令嬢なのか、家格は僕と合うな。成績もいいし、淑女だし、と考えている内に惹かれていた」
「どうして今まで言ってくださらなかったのですか?」
「……癪だったからかな」
「癪?」
「僕ばっかりセーラに夢中だったなんて、何か負けたような気がするじゃないか」
どうして勝ち負けが出てくるのですかね?
いえ、クリントは負けず嫌いなところがありますか。
思わず苦笑します。
「わたくしも学生時代、クリントのことがいいなあと思っていたのですよ」
「えっ、そうだったのかい?」
「はい。陽気で活発で、クリントがいれば場が盛り上がるじゃないですか。友人も多いし素敵な令息だなあと」
「何で今まで言ってくれなかったの!」
「淑女はそういうはしたないことを口にしないものなのです」
ぐぬって顔をしていますよ。
クリントは面白いですね。
「いいではないですか。今になってようやく言えるようになったと捉えるのも。これまで言う必要がなかったと捉えるのも」
「……言葉なんかで心の隙間を埋める必要がなかった、ってことか」
「さようです。十分満足ですよね」
「セーラの言う通りだなあ」
「でしょう? 『まずまず楽しい人生だった』と納得したところではありませんか」
「それもそうだ。いつも僕を支えてくれていた、君のおかげだなあ」
わたくしだって思うことはあるのですよ。
『全部君のせいだ!』で始まったわたくし達の関係でした。
いつか言い返してやろうと思っていたのです。
クリントの手を取ります。
あの日わたくしを庇って濡れた若い頃のものとは違い、深く皺が刻まれている手を。
「全部あなたのおかげですよ」
――――――――――後日談。
そういえば孫の小さい頃の口癖が『ぜんぶきみのせいだ!』だったのですよ。
思い出して笑ってしまいました。
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