男の記憶
三人の中でこの二人を知っているという思いが浮かぶ。
「なぁ、えぇと、すまないが、私たちはどこかであったことがあるかな?」
「あるだろうな、三人一緒の馬車に乗っていたんだ、全員知り合いなんだろうよ」
男がそう言うと豚がぶっきらぼうに答える。
「いや、そりゃそうなんだろうけど……」
一度状況を整理してみよう、
男は俯きながら考え始める。
まず考えられるのは、私たちは何らかの理由で脳に障害を負ってしまい記憶を失っている、その治療のために私たち三人は同じ馬車に乗せられ、ここまで来たというものだ。
しかし、これでは問題が残る。
もし私たちが治療の為にここに来たというのであれば、私たちの状況を説明する、医者だったり、看護師だったりがいてもいいのではないだろうか、それに、だとしたらたどり着くのはこんな洋館ではなく、病院のはずだ。もしかしたら、ここは洋館のような見た目だが実際は病院なのかも知れないが、過去にこんな洋館のような病院を見たことがある。
待てよ、過去に?私は、記憶を失っていたはずだ、それなのに、なぜ過去に見たことがあることを知っている?
そうだ、見たことがある、こんな病院を、それどころか入ったことがある、そうだ、そうだ、段々と記憶が戻ってきた。
重要な記憶とは思えないが、少なくとも、何も思い出せないよりはいいだろう。
あぁ、そうだ、私は、見舞いのためにこんな病院に入ったんだ。
そうだ、誰のお見舞いだ、思い出せ、思い出せ、そうだ、彼女だ、私には当時恋人がいた、あぁそうだ、その彼女のお見舞いのために病院に行った。彼女は、何故病院に行っていた?
見舞いに行ったということは、入院していたのだろう。
なぜ入院していた、何かの病に伏していたのか?違う、そうではない怪我か?そうだ、怪我で入院していた、怪我?どんな怪我だ、あぁ、どんどん記憶がよみがえってくる。
そうだ、彼女は、ある男に逆上され、襲撃を受けた、私が病院に行った時には彼女はもう瀕死だった、そうだ、彼女は、あぁ、そうだ……。
その日私は、病院に来ていた。
昨日の夜に彼女が謎の男から襲撃を受けて大けがを負った。
その知らせを聞いたのは昨日の深夜一時。
ちょうどそろそろ寝ようかなと思っていたころ、その知らせは唐突に来た。
「なぁ、お前の彼女、大丈夫か」
唐突にスマホのアプリに送られた友人からのメールに私の心臓はどきりと波打った。
嫌でも、何か良くないことが起こっていると予感させられるそのメールに私は、すぐに返信した。
「大丈夫かって、何があったのか」
このメールが帰ってくるまでの数秒間、私は、焦りと、不安で今にも走りだしたい気分だった。走り出したところで、意味が無いので実行には移さなかったが。
「知らないのか?あいつ、今、救急搬送されたんだよ」
「搬送?何か病気でもしたのか?それとも重い怪我とか?」
「それが、俺も人づてに聞いた話だから、よく知らんが、どうやら変な男に襲われたらしい」
「まじかよ、どこの病院かわかるか?」
「六山病院」
六山病院、その病院の名は知っている。
確か最寄の駅かそこの病院に止まるバスが出ていたはずだ。私は、その知らせを受けてすぐにそこに行きたかったが、今から行っても、親族でも何でもない私は、門前払いされてしまうだろう。
とりあえず、私は、彼女に電話をかけた。
暫くの間部屋の中に、コール音だけが鳴り続ける。
でない、ワンコールごとに私の心臓が波打つのが速くなるのを感じる。
でない。もう一度かけてみようか?
いや、まて、もしかしたら、彼女はいま、寝ているのかもしれない。
だとしたら、今ここで電話をかけ続けても迷惑になるだけだろう。
今日は一度寝よう、そして明日病院へ行ってみよう。
私は自分にそう言い聞かせて眠りについた。
正確には眠れていないが、とにかく眠ろうと努力をした。
バスを降りると、目の前にはまるで、西部開拓時代の金持ちが住んでいそうな洋館が目の前にあった。
降りるバス停を間違えたのではないかと、思ったが、扉の隣に六山病院とかかれた表札を見つけ、安堵した。
扉の前に来るとガラスの自動ドアがスライドし、私を中に迎え入れる。
病院の中は総合病院の典型例といった作りで、複数の患者が自らの名前を呼ばれるのを退屈そうに待ち、退屈に耐えかねた五、六歳ぐらいの子供が奇声を上げながら走り、母親らしき女性に咎められている。
私は真っ直ぐ受付に行き、そこに座る女性に話しかけた。
少し鋭い目つきでこちらを見据えてくる、その女性は確かに目つきは鋭く見え、口元の表情で少しでも柔らかく見せようとしているのがわかる。
「あの、お見舞いに来て、えぇと、○○(私はここで彼女の名前を言ったはずだが、肝心な彼女の名前を思い出せない)さんの病室って……」
「○○○○さんですか?」
「えぇ、はい、その人です、昨日ここに搬送されたはずなんですけど」
女性が目の前のパソコンで、何かを検索する。
「ご家族の方ですか?」
「いや、家族ってわけじゃぁないんですけど……」
「申し訳ございませんが、お伝えすることは出来ません、今は親族以外の方は面会謝絶中でして」
「あぁ、そうですか」
私は食い下がることもせず、その場を離れ、近くにあった自販機の前に設置されたソファに腰を掛ける
もしこれがドラマであれば、私はその女性に喰いかかり、何としてでも、彼女の居場所を聞き出そうしただろうが、度胸もなく、目立つことも嫌いな私にそれは出来なかった。
だが、面会謝絶という言葉に私の胸は再びずきりと痛む。
やはり彼女の容態は相当悪いのだろうか……。
私は少し考えた後立ち上がり、彼女の病室を探すことにした。
正直、病室なんて、限られているのだから、彼女のいそうな階を探して、病室のネームプレートを見れば、見つけられそうなものだ。
もし、不審に思われて声をかけられても、面会謝絶中であることを知らなかったことにして、彼女を探していたことを言えば、許してもらえるだろう。
スマホを取り出し、六山病院のホームページを確認する。
どうやら、症状ごとに病室のある階が分かれているらしい。
友人は襲撃を受けたと言っていた、症状は骨折か何かだろうか、いや、骨折程度で面会謝絶になるとは思えない。
私は脳神経外科のある七階に行こうと、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターを降り、すぐ近くにあった病室のネームプレートを確認しようとして、自分の失敗に気が付いた。
ネームプレートがついていない。
そういえば、最近はプライバシーやら、何やらで、ああいったものはもう無い、ということを聞いたことがある。失敗した。
流石に全ての病室を開けてみて回るわけにはいかない。それをしてしまったら、先ほどの言い訳をしたとしても、聞いてもらえないだろう。
私が所在なさげに七階の病室をウロウロしていると、私の目の前にある、扉が開かれ、二人の男女が出てくる。
二人の顔からは、何というか、負のオーラというものが感じられ、まるで、この後すぐに自殺にでも行くかのような足取りでこちらに向かってくる。
その顔を見れば一瞬でそれが誰であるか分かった。
少し前に彼女から写真を見せて貰ったことがある、彼女の両親だ。
私は、気まずさで、一瞬、角に隠れようとしたが、私が一方的に彼らのことを知っているだけで、向こうは私のことは知らないのだから、その必要はないと気付き、堂々とすれ違った、今、改めて考えてみると、彼女が私の写真をみせている可能性もあるし、必要がないとは言い切れないが、彼らが出てきた病室が、彼女の病室であろう。
私は、彼らに悟られないよう、院内を一周してから、彼女の病室に入る。
病室の中にいた彼女は、体中が管で繋がれ、服の外から見える皮膚は、包帯の隙間から除く数ミリしか見れなかった。
面会謝絶、襲撃、落ち込む彼女の両親、確かに今まで、彼女の容態があまり良いものではないということがわかる断片的な情報はあったが、ここまでだとは思わなかった。
私は、彼女の頬にそっと手を触れてみる。
しかし、彼女の心地の良い冷たさを孕んだ、温もりはもう感じられず、包帯のザラザラとした無機質な質感だけが、私の指の先端を支配した。
すぐに手を引っ込める。
その感覚が余りにも、不吉なものに感じられたからだ。
まるで、苦痛や死に直接触れたような感覚だった。
その時だった、彼女が横たわるベッドの隣に置かれた机の上のスマホが着信を伝える。
ロック画面の通知欄を見る。
複数の通知があり、その多くが彼女の友人などから送られてくる心配のメールだった。
その中には、私が昨夜送ったものもある。
通知をさかのぼっていくと、一つ、異質なものがあった。
「全部お前が悪いんだからな」
背筋に恐怖にも、興奮にも似た感覚が走る。
私は、こいつと彼女のやり取りの履歴を見てやろうと、ロックを解除しようとした。
罪悪感はなかった。
手始めに、彼女の誕生日を入れる。
開かない
では、私の誕生日か
開かない
誕生日ではなく、誕生年かもしれない
開かない
そうだ、私たちが付き合い始めた、日だ
一分後にやり直してください
あぁ、クソッ
一分の間に必死に選択肢を考える、そうだ、確か彼女は、犬を飼っていた、その犬の誕生日か……、
一分が経つ。
犬の誕生日を入れる。
開いた。
すぐに、彼女と件の男との連絡が見れる。
最後に送られたメールは、
「全部お前が悪いんだからな」
そのすぐ前に、男の写真が乗っていた。
「今日のコーデ」
という文と共に載せられた写真。
その、豚のようにブクブクと太った男を私は、知っている。
私の住んでいるアパートの下の階に住んでいる男だ。
帰り道に何を思ったかは、思い出せない。
ただ、私は、気がついたら、私の住むアパート、に付いていた。
ただし、普段よりも一つ下の階に。
ベルを鳴らしたが返事がない。
もう一度鳴らす。
やはり返事はない。
私は、何と無しにドアノブをひねると、意外なことに扉は開かれた。
ドアの鍵を閉め部屋に入る。
扉を開けてすぐ見える、キッチンには、大量のカップラーメンのゴミが積み上げられ、異臭を放っていた。
私は、リビングへと続くドアを開ける。
その瞬間、ドアの前で待ち構えていたのだろうか、男が殴り掛かってきた。
私は、思わぬ一撃を鼻にくらい後ろに倒れこむ。
男は、私に馬乗りになり、何事かを叫びながら、何回も、何回も私の顔を殴りつける。
見た目通り、男はかなり重く、なかなか抜け出せない。
私はパニックになりながら、男の腹を蹴り上げ、なんとか抜け出す。
床に尻をつけたまま、後ろ向きで廊下を進むとキッチンの下にある戸棚に手を引っかけてしまい、つまずく。
その隙を付き、男はまた再び私に馬乗りになろうととびかかってくる。
私は、無意識のうちに、手に持っていたものを男に掲げる。
思わず、目をつぶってしまう。
また再び、男の体重が私にかかる。
だが、今回は殴られることはなかった。
私が目を開けると、そこには真っ赤に染まった私の手と、もう動かない男がいた。
噓だろ、殺しちまった。
男の顔を見ると、まだなんとか、生きてはいるらしい、目を見開きながら辛うじて息をしている。
どうすればいいんだ、警察?救急?
いや、まて、このことがばれたら、私は、間違いなく捕まるだろう。
そんな、最初に襲ってきたのはこの男のはずだ。
そうだ、ならこれは正当防衛だ。
でも、私は、この男の家に不法侵入している……。
その時、ベルの音が聞こえる。
誰かが来た。
「すいません、警察です○○(これは私の名前ではなかった)さんいらっしゃいますよね」
ベルは何回もなり、次第にベルはノックへと代わる。
噓だ、こんなはずではなかった。
私は、ゆっくり後ずさった。
私が移動する音が聞こえたのか、警察はよりノックを激しくする。
「○○さんいるんですよね!入りますよ!」
私は、その声に驚き思わずつまずいてしまう。
その瞬間、私の後頭部に痺れるような燃えるような激痛が走る。
「○○さん!開けますからね!」
警察がそういうと、外の光が入ってくる。
気持ち悪い、吐きそうだ、痛い、熱い。
思い出した、そしてこの二人は。




