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虚無王ザラビスは退屈している  作者: 釘宮・連
ザラビスの起源に関する注釈
87/95

87.それで十分だ

契約コトラットは一晩で変わるものではない。


轟音ごうおんを上げて起き上がることもない。


奇跡きせき誇示こうじすることもない。


ただ…続いていく。


ゆっくりと。


おともなく。


かつて開いたきずのようだった大地だいち亀裂きれつは、ほそに満たされ始めていた。かつて色褪いろあせていたくさは、ゆっくりといろを取り戻している。みどり祝祭しゅくさいとして現れるのではなく、ただ、生き残るちいさな勇気ゆうきとしてそこにある。


みずいまたしかにながれる。もはやまよわない。その音はまだやわらかいが、すで律動りつどうを持っている。まるで世界せかい今度こんどこそ、二度にどくずれないとしんじ始めたかのようだ。


そらもついにあおえらんだ。


完璧かんぺきな青ではない。


だが、あさべるには十分じゅうぶんだ。


貴族きぞくだんはその平地へいちっていた。


編成へんせいもなく。


警戒けいかいもしていない。


ただ立っている。


彼らはもはや脅威きょういっていない。


ながあいだはじめて…立ちかうべきものなどなにもない。


よる深呼吸しんこきゅうをする。空気くうきちがって感じる。おもくない。しつけるようなこともない。


玲二朗れいじろう一言ひとことも言わずに水平線すいへいせんを見つめている。普段ふだんなら皮肉ひにくっぽいコメントをするだろうが、今回こんかいは違う。


ゆかりは依然いぜんとして翔也しょうやよこすわっている。


翔也はまだ意識いしきもどっていない。


だが呼吸こきゅう安定あんていしている。むねおだやかなリズムで上下じょうげしている。まるでからだが、おもい出すにはあまりにもおおきすぎる何かを背負せおったあと休息きゅうそくすることを選んだかのようだ。


春名はるなはゆっくりと立ち上がる。


「私たち…成功せいこうしたね」とささやく。


だれおおきなこえで答えない。


だが全員ぜんいんが知っている。


そうだ。


彼らは成功した。


自分自身じぶんじしんちからだからではない。


誰かがることを選んだからだ。


その自覚じかくは重く…同時どうじかるく感じられる。


白凪しらなぎ


白凪は一言も言わずにとおざかっていく。


足取あしどりは穏やかだ。


あわてる様子ようすもなく。


ドラマチックなこともしない。


ただあるいている。


あたらしい草がえ始めた平地をくだりていく。かぜがそっとローブにれる。周囲しゅういの世界は生きており、初めて、はかなくないと感じられる。


ちいさなかわ岸辺きしべで立ちまる。


水はんでいる。


大きな音もなく流れている。


白凪はしばらくそこに立っている。


はゆっくりとにぎめられ…そしてゆるむ。


ここには誰も見ていない。


まもるべきものもない。


えなければならないものもない。


すこしだけあたまを下げる。


そしてついに


一滴いってきなみだちる。


それ以上いじょうもなく。


さけぶこともない。


音もない。


ただ一滴が川の水に落ち…そして痕跡こんせきもなくえていく。


「ありがとう」とそっと言う。


風がその言葉ことばはこび去る。


「私のゆめかなえてくれたから」


声はひくい。


穏やかだ。


「私はこの世界が平和へいわであってほしかった。全てがむかしのように戻ってほしかった」


じる。


「そしてきみはそれを叶えてくれた」


微笑ほほえまない。


だがずっとめていたかたが…少し緩む。


まだ一度いちども言っていないことが一つある。


「そして…ありがとう」


声は柔らかくなる。


「思い出させてくれたから」


おさな子供こどもかお記憶きおくかぶ。


おとうとだ。


かつていえに満ちていた小さなわらい声。


かつていつも自分の後をついてくる小さな足音あしおと


彼を生きかえらせることはできない。


永遠えいえんにできない。


だがそのたたかいの最中さいちゅう…世界が壊れかけていたとき…彼女は思い出すことができた。


いたみをともなうようなかたちでもなく。


後悔こうかいとしてでもなく。


ただあたたかく。


「それで十分だ」


涙はまった。


白凪は目をひらく。


青い空が川面かわめんうつっている。


そして初めて…彼女はその記憶の中で孤独こどくを感じなかった。


かえす。


ふたた仲間なかまたちのもとへ歩き始める。


足取りは軽やかだ。


ソニア


ソニアは彼らと一緒いっしょではない。


彼女ははないた場所ばしょに立っている。


小さな花だ。


まだ完全かんぜんには回復かいふくしていない大地と対照たいしょうをなす鮮やか(あざやか)な色だ。


長い間、それを見つめている。


手で触れることもない。


ただ立っている。


風がそっとかみに触れる。


世界は…ひろいと感じられる。


空っぽでもなく。


ちているわけでもない。


ただ広い。


「もう泣かない」とそっとつぶやく。


そしてそれは真実しんじつだ。


涙はもう止んでいる。


のこっているのは、胸にある不思議ふしぎな温かさだけだ。


もはや痛くない喪失そうしつおもい。


「忘れないよ」


小さく微笑む。


あの名前なまえをもう大声で呼ぶことはない。


だが心の中では


サタン。


彼女がつけた名前。


彼女が選んだ名前。


彼女が彼のためにつくった名前。


「私がその名前をつけたんだから」


目は柔らかくなる。


「君は名前をもとめた。そして私はそれをあたえた」


その名前はあく象徴しょうちょうではない。


崩壊ほうかいの象徴でもない。


ソニアにとって…それは本来ほんらいよりも長くまることを選んだ誰かの名前だ。


まなび、変わった誰かの名前だ。


「ずっとそう呼ぶよ」


深呼吸をする。


「君は私を友達ともだちに選んだ」


その言葉はもはや重くない。


痛くもない。


感謝かんしゃの気持ちとともにくちにする。


「ありがとう」


風はより温かくける。


小さな花はそっとれる。


「生きていく」


声は今や安定している。


「君がすくったこの世界で」


空のほうを振り向く。


青はもっとはっきりとしている。


太陽たいようももはや迷わない。


ひかりは痛くないように彼女の顔に触れる。


「リョウも忘れない」


その名前はより柔らかく口から出る。


弟だ。


かつて痛すぎるためにけていた記憶。


今は違う。


ソニアは涙ではなく、小さな微笑みとともにリョウのことを思い出す。


「ずっと君たちのことを思い出しつづける」


その言葉がとどいているかどうかは知らない。


誰かが聞いているかどうかも知らない。


だがそれは重要じゅうようではない。


なぜなら初めて—


彼女はもはやいかけたくない。


残って生きたいと思うのだ。


貴族団


ソーニャが戻ってきた時、ほかの者たちはすでに一緒に立っていた。


白凪はいつもどおりに戻っている。


穏やかだ。


川で一滴の涙が落ちたことを知る者は誰もいない。


夜はしばらくソニアを見つめる。


わった?」とそっとたずねる。


ソーニャはうなずく。


「うん」


長い説明せつめいは必要ない。


彼らは全員が感じ取っている。


喪失は真実だ。


だが崩壊させるようなものではない。


玲二朗は空を見上みあげる。


「不思議だ」とそっと言う。「世界が…軽く感じる」


ゆかりはかすかに微笑む。


「たぶん、一人ひとりささえていないからだね」


その言葉はちゅうに浮かぶ。


全員が理解りかいしている。


誰かが彼らと崩壊のあいだに立っていた。


誰かが彼らには背負えない何かを背負っていた。


そして今…その重荷おもには彼とともに去った。


傷としてではなく。


足跡あしあととして。


翔也が少しうごく。


まぶたふるえる。


全員が振り向く。


だが彼はまだ目覚めざめていない。


ただもっと深く呼吸をする。


まるで体もこの世界が安全あんぜんだと信じ始めたかのようだ。


ソーニャは彼を見つめる。


小さく微笑む。


「私たちはここにいるよ」とそっと言う。


それで十分だ。


エピローグ


朝はひるへとうつわる。


契約は雄々しく(おおよしく)かがやくこともない。


ただ生きて

「次回更新: 3月 6日 21:00」

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