25.異常悪魔ザラビス
コトラト世界編 開幕
日差しの暖かな午後、ミジャルンは古書店「文華堂」の前にいた。隣には親友のミオ。二人は、今日発売の新作小説を仲良く広げた。
「これって……ロマンスファンタジー?」
ミオがそっと覗き込むように尋ねた。表紙には、煌びやかなドレスを纏った美しい姫と、剣を構えた騎士が描かれている。
ミジャルンはいたずらっぽく笑った。「そーなの! 私の大好きなジャンル。でも、お兄ちゃんには内緒だよ? 『お前はいつまでそんな乙女チックなものを読んでるんだ』って言われちゃうから」
ミオはくすくす笑い出した。「でも、レイジお兄ちゃんこそ、ミジャルンに甘々じゃない?」
その時、二人の背後から声が飛んだ。「おい、聞こえてるぞ。僕は甘くない」
両手にコンビニ袋を提げたレイジが、呆れたようにこちらを向いた。
ミジャルンはすかさず反撃する。「はいはい、甘い甘い! さっきだってミオが咳をしただけで、『大丈夫か!? 病院に連れて行こうか!?』って大騒ぎしてたじゃん!」
ミオは顔を赤らめて反論する。「た、ただの咳だよ……」
レイジは持っていた袋で顔を覆った。「僕は……ただ、一般市民の安全を確保しようとしただけだ」
ミジャルンは盛大にため息をついた。「どこに一般市民がいるのさ」
ミオは得意げに胸を張った。「じゃあ私は、S級市民ってことで!」
レイジは目を丸くした。「なんでS級なんだよ!?」
ミオはにっこり笑った。「だって、私が一番お兄ちゃんに心配されてるもん」
ミジャルンは合いの手を入れる。「やれー! ミオー!」
レイジは押し黙り、耳を赤く染めた。
それでも、彼は何事もなかったかのように、ゆっくりとスナック菓子を口に運んだ。
『異世界への想い』
二人の少女が小説談義に花を咲かせている間、レイジは街灯のそばに佇み、夕焼け空をぼんやりと見上げていた。
彼の脳裏には、鮮明な記憶が蘇る。
深紫色の森が広がるヴァウ王国。
活気に満ちたムシャフ王国の喧騒。
そして、ミジャルンと共に過ごした、数々の冒険の日々。
だが、彼の心を最も揺さぶるのは、アシアのことだった。
エルフの里の風景。
輝く銀色の葉。
温かく迎えてくれた両親。
そして、強制転移の末にアシアが辿り着いた、柔らかなベッド。
彼は静かに息を吐き出した。
「……僕は、あちらの世界に戻らなければならない」
そう呟いたものの、すぐに言葉を続けた。「だが、今ではない……ミジャルンと一緒でもない」
ザラビスとして、そして人間として生きてきた彼は、初めて自覚した。
異世界を、一人で感じたい。
姉を守る兄としてではなく、異世界の住人としてでもなく。
ただの……レイジとして。
彼は、楽しそうに笑い合うミジャルンとミオに視線を向けた。
ミジャルンは幸せそうだ。そして、安全だ。
「……今回は、僕一人で行くよ。新しい何かを、探しに」
彼はそう呟き、かすかに微笑んだ。
『岐路』
レイジは岐阜にある古いビルの屋上に立っていた。雨が静かに降り注いでいる。
背後では、ミジャルンとミオが小説に夢中で、彼の異変に気づいていない。
「名古屋に行くって言ってたっけ……」
レイジは小さく笑い、空間に手を伸ばした。
指先で空間をほんの少しだけ歪ませる。
次の瞬間、ひび割れたガラスのように、現実が砕け散った。
亀裂から、紫色の光が溢れ出す。
レイジは力を制御し、周囲に影響が出ない程度に、小さなゲートを開いた。
そして、その穴に足を踏み入れた……内側から現実の亀裂を修復する。
何事もなかったかのように、世界は再び閉じた。
『多次元宇宙の狭間』
ザラビスは、無数のゲートが漂う、虚無空間に現れた。
それぞれのゲートはゆっくりと回転し、異世界の風景を垣間見せる。
「アシアのいる世界に戻りたい……」
彼はそう呟いた。だが、エルフの世界へと繋がるはずの緑色のゲートは、消滅していた。
「ふむ。どうやら、道が変わってしまったようだ」
彼は薄く笑った。
「まあいい。ならば、別の舞台を探すとしよう」
彼の目に飛び込んできたのは、強い紫色の光を放つゲートだった。
そこからは、混沌とした、荒々しいエネルギーが溢れ出ている。
「これだ」
彼は迷うことなく、ゲートに飛び込んだ。
『コトラト 無秩序の世界』
空は暗く、稲妻が遠くで光る。
激しい雨が、汚れた大地と歪んだ木々を叩きつける。
ザラビスは、薄暗い森の中に姿を現した。
彼は静かに呼吸する。
「ここは……本当に腐っている」
彼は意識的に力を抑えた。
彼の肉体は変貌を遂げる。
紫色の暗い肌、赤く光る血管、縦に割れた瞳。
角が生え、黒い翼が広がる。
漆黒の杖が、影から現れた。
だが、その破壊的な力は、世界を一瞬で滅ぼさないように制御されている。
「この世界での僕の名は……アノマリー・デーモン」
彼は遠くに見えるコトラトの街を見つめた。そこでは、悲鳴、争い、そして混沌が絶えることなく渦巻いている。
この世界には法はない。
支配者もいない。
ただ存在するものは、
犯罪組織。
人間狩り。
暴君。
そして、弱者を玩具や奴隷にする、冷酷な人間たち。
ザラビスは杖を握りしめた。
「これほどまでに獣染みた場所には……清掃が必要だ」
彼はそう言い、笑った。
彼の姿は消え、黒い霧へと変わった。
『アノマリー・デーモンの使命』
ザラビスは空中に浮かび、姿を隠しながら、森の影や暗い集落を巡る。
彼は、生き残っている者たちを探している。
捕らわれの身となった弱者、虐げられた者、捕食者に追われる者たち。
「大罪を犯した者たちは……ニリオンの地獄に送ってやる」
彼は冷酷に言い放った。「僕の地獄だ」
黒い炎が、彼の掌を包み込む。
遠くで、深紅色の光が空を切り裂いた。
死神の旅が、今、始まった。




