3日目 ガリ勉とギャルと休日~成沢の場合~
「うへへ……ぐへへ……へ」
スマホのトーク画面。
そこに表示される『初々根伊織』の文字にニヤつきながら、風呂上がりの成沢はソファの上でごろりと寝返りをうった。
初々根くんが、ウチの彼氏。期間限定だけど。
じわじわと実感の湧いてきた事実が、成沢の頬を更に緩ませる。
(今までで一番美味しいハンバーグ……)
あんなに嬉しい言葉を、まさかクールで頭の良い初々根くんがストレートに言ってくれるなんて!
(月曜日のお弁当も、絶対ハンバーグ入れよう……)
あの後結局初々根くんは用事があったのか何処かへ行っちゃったけど、あの言葉だけで充分すぎるくらい嬉しい。
いまだ半分夢心地の成沢は、そのまま伊織に持っていくお弁当へと頭を巡らせる。
(ハンバーグ、は決定。あとブロッコリーとベーコンを炒めて、卵焼きは……甘いのと甘くないの、どっちが好きかな)
伊織と成沢の出会いは、実は同じ高校になるもっと前。中学3年生の夏休みである。
電車の中で痴漢にあった成沢をまわりが微妙な空気で見る中、唯一声を上げて助けてくれたのが伊織だったのだ。
「痴漢なんて、人として恥ずかしくないんですか?」
はっきりした声で、堂々と。
痴漢の手を掴みあげた初々根くんは、世界で一番格好良かった。
忘れもしない、初恋。
(初々根くんは、覚えてないみたいだけど)
それでも、いやだからこそ、好き。そこまで考えた所で、顔に熱が集まった成沢はきゃあという声と共にクッションを顔へ押し当てた。
伊織と出会ったその日から、成沢の頭には常に伊織の勇姿があった。
(あの子、頭良さそうだったな。やっぱ宮高に入るのかな)
中学3年生の成沢は、考える。
次は彼と同じ学校だったら良いな。でも、自分じゃ県内一の進学校を目指すには学力が足りないし、まずもし高校が一緒でも、今の自分のままではきっと振り向いて貰えない。
(……もっと、自分を磨かなきゃ)
まずは勉強、性格、身だしなみ。あと料理とか裁縫とか、とにかく出来そうなことは、全部。
(どんな子が好きかは分からないけど。ありのまま、出来ることを頑張って伸ばした自分を、もし好きになって貰えたら)
それはきっと、すっごく幸せだ。
「よーし、頑張るぞ!」
「……で、結局本当に同じ高校に入っちゃったんだよね」
彼に意識して貰いたくて始めた勉強は、思いの外楽しくて。
高校2年生にしてやっと並び立つまでの点数を取れるようになった。
「でも……でも。本当は2位とか3位とかになって、こいつ、できる! って意識してもらって。それで一緒に勉強したりして! ……『ここ教えて』とかしたかったー!!」
何で、一足飛びでいきなり1位。足をばたつかせ、成沢は唸る。
でもそれでお付き合いアピールチャンスを得られたのだから、結果オーライだろうか。
「はあ……。もっと、仲良くなりたいなあ……」
初々根くんは、人とつるまない。そこがまたミステリアスで格好良いけど、折角のチャンスなのだからもっともっと初々根くんを知りたい。……迷惑にならない範囲で。
「勉強が好き、って言うのだけは知ってるけど……」
なんで好きなのか、他にどんな好きなものがあるのか。食べ物や女子の好みだって、嫌いなものだって知りたい。
(ウチって、欲張りかな)
お試しのお付き合いをして貰えて、料理をおいしいと言って貰えて。手だって繋いで貰ったし、話だって沢山して貰った。でも。
「初々根くんに、もっと近付きたい。ううん、近付くの!」
そう言って、成沢は勢いよく起き上がった。急な行動と大きな声に、リビングの隅で本に目を落としていた成沢の父の肩がはね上がる。
「ど、どうしたんだい姫瑠?」
「えへへ、秘密!」
「秘密って……!? いやその前に、今男の名前を」
待ってくれよ、姫瑠! そんな父の声を背に、成沢は頬を叩いて気合いを入れ直す。
「ぜったいぜったい、振り向いて貰うんだから。初々根くん、待っててね!」
そうと決まれば、善は急げだ。ここ数日浮かれすぎて進んでいない参考書をぱらぱらと捲り、お気に入りの鞄に入れる。
「明日は勉強デーにしよ! 今日使うのは残して、あとはここにイン!」
明日は図書館に行って勉強しよう。そう決めた成沢は、父の悲鳴を気に止めることなくくふふと微笑んだ。
「初々根くんが折角まぐれじゃないって褒めてくれた最初の長所だもん。伸ばすぞー!」
「姫瑠、初々根くんって誰なんだいー!?」
こうして、成沢家の夜は更けていく。