久しぶりの執筆
久しぶりです。
と言ってこの人の作品を読むの久しぶりだなあ。と思ってくれる人は果たしているのでしょうか。
正直昔読んでくれた方がいても覚えてないだろう、と思ってしまうぐらい稚拙な物語しか発表できていないのですが。何度か、連載作を執筆再開の為に自分の作品を読み返したりしたのですが自分でも面白くないというかしっかりと黒歴史化していると言いますか。まあ、今年の目標として連載を再開。理想としては畳む所まで行くというのを新年の抱負としてXでつぶやいたのでがんばってみようかな、という心情でございます。
さて、ここまでお読みになられてならさっさと書いたら?と言いたくなったかもしれません。私自身もあれ?これさっさと書き始めて頑張るべきではないかと思います。どうせ稚拙な作品なのだから練習はそっちでやって次を目指す。出来るかは置いておいてそちらの方が建設的であるのは確か。
ならば、なぜ手を止めないのか。
書きたい内容がある。ただそれだけなのですよね。
じゃあ、何が書きたいの?と思ってもらえたらうれしいのですが、実は三日ぐらい重い感情を引きずってしまっていて、正直今も思い出すと軽く感情が動く、エモーショナルな出来事があったのです。
そんな出来事があって、その後は寂寥感やら懐かしさやらで胸が締め付けられ、下手したら涙が出そうなぐらいだったのが、今だとちょっと辛いと言いますか、自分思っている人生の中で体験してかつ名前を見つけられた感情を表す言葉が辛いという自分でも見当違いの方向に投げてしまったボールを見るようなそうじゃないという感想がつらいという言葉を使うと湧いてくるのですが、それは置いておいて、どんな出来事があったかと言いますと、
カラオケで昔(8歳ぐらいの小学生の頃)よく歌っていた歌を歌ったのです。
あ、まって待って。帰らないで。あと500文字あるかないかだから出来れば評価とコメントしていって。
と、まあ定番の一人( よがり )コントをしまして。
少し自分語りをしますと、小4の頃に家でガタガタがおきまして、親にかまってもらえなくなっちゃったんですよね。その代わり習い事であったり、犬を飼ったりしたのですが。まあ、体を動かす習い事だったので楽しかったですし、犬は可愛いかったですけどたぶん自覚できてなかった心の穴を埋めてくれるものではなかったんだと思います。
そんな中、とあるライトノベルが買い与えられました。それは、もうサービスを終了してますがGYAOという動画配信サービスで親がたまに流していたソー〇・アート・〇ンラインというアニメの原作のライトノベル文庫でした。
それまでは体を動かしたり、ゲームだったりが好きで本が好きな人がいる。ということすら認識をしていなかったはずです。(知らなかったという悪魔の証明)
なので買い与えられても最初は全く気にせずに手を付ける事すらしませんでした。でもある時、何かきっかけがあったのかほんとにただの気まぐれだったか、僕は何かかっこいい絵が描いてあるその本を手に取って、熱中しました。
今では読むこと自体に慣れていたり、何十回と読んだことで読んでいる時に表現すら覚えていると思ってしまう程読み込んだことで読むのに3時間かかるかどうかという時間しか掛からない。
そんな本を土日合わせての起きている時間のほとんどを費やして、たった一冊読みました。
もう一度、主張しておきますと小学4年生の本嫌いと言わずとも、最初漫画かな?と文庫を手に取って、中身を見て文字がたくさん書いてあってこれは僕のではないな。と思う子供がです。
こんな衝撃はない。そんなものは知らない。
そんな特大の爆発が起きた結果、今のとりあえず暇ならなろうの小説でも読んで時間をつぶそう。なんていう人間を一人作りました。
過去の宝物だからか、今では逆にSAOを避けてしまっている自分がいます。子供の時にお小遣いを握りしめてブックオフに買いに行って集めた本は今はただのインテリアと化してしまっています。タブレットを買い与えられてまず最初に行ったのが小説を探すことだった子供を作った僕の根本ともいえる作品。
そんな作品のアニメソングを気まぐれにカラオケでジャンルからたまにはと思いながらアニメ→ソードアートオ〇ライ〇といって選択して歌いました。
昔好きだった作品。最近は反転アンチにすらなりかけてるんじゃないかというぐらい避けてきた作品。
アニメ本編の映像も流れたこともあって自分の根幹であることをガツンと認識させられました。そのおかげでこうして執筆活動をやりたい!となってパソコンで文字を打っている訳でもしかしたら、昔みたいに執筆活動を前向きにできるんじゃないかな。という、自分への期待が生まれる出来事でした。
見返したところ、後500文字で終わると書いているところがありしたがもうちょっと多かったですね。
熱意が思ってたよりも籠ったエッセイになったかな、と思います。