第6話 ハーブティー2
二週間が経った日の夜。
あの日以来、バディはあまり元気がない。ウィルも日々の雑務に忙しくバディの相手をしていられない。事務的に餌を与えるだけだ。
ウィルはしだいにバディをどこかに捨てようかと思うようになっていた。テオがいない今、バディを飼い続ける義理などない。
ヘタに近くで捨てて戻ってきても困るので、麻袋にでも入れて森の奥へ。
モンスターも獣もいるから戻って来られないだろう。森でヒナを助けなかったように、自然の摂理に任せればいい。
最初から捨てられていたのだ。テオがいなければ飼うことなどなかったのだ。
そろそろテオが置いていったお金を孤児院へ寄付しなければいけない。バディを捨てたあと、ついでに孤児院へ寄ればいい。
まだテオの顔を見ることができそうにないので、お金と手紙だけ渡して帰ってくればいい。
家に戻って来たら、テオの部屋も片付けてしまおう。いちいち物置部屋に家具を戻すのが面倒なら、壊して薪にしてしまえばいい。
それで今回の件は終わりにできる。きれいさっぱり忘れることができる。
明日は、朝からギルドで依頼を受け、そのまま依頼をこなして夜までに帰ってこようと思っていたが、予定を変更してすべて片付けてしまうことにした。
ギルドへ行くのはその後でも遅くない。まだ少しお金に余裕がある。
明日は早く起きて取りかかろうと思い、ウィルは寝る準備をしようと椅子から立ちあがった。
すると、バディが突然、出入り口の前に駆け寄りじっとドアを見た。尻尾がしだいに大きく左右に振られる。
すると、外からドンドンとドアを叩く音がした。
バディが短く高い声で吠えた。威嚇の吠え方とは違う。うれしそうな、甘えるような吠え方だ。
ドアを叩く音は止まない。
ウィルがゆっくりドアを開けると、外にはテオが立っていた。「どうして」とウィルが言うよりも先にバディがテオに飛びついた。テオはバディを抱きしめる。バディはテオの顔をペロペロと舐めてうれしさを爆発させている。テオもうれしそうに顔を舐められている。
「どうしてここへ?」
状況がのみ込めないウィル。ただの一時的な外出かもしれない。もっともらしい答えをひねり出し冷静さを保った。
テオはバディを抱きかかえたまま答えた。
「逃げてきた。お願い、僕を殺して!」
テオの目は真剣だ。
「急に何を言い出すんだ?」
「殺してくれないんだったら、僕はもうここにいちゃいけないから、バディを連れて行く」
「どこに行くんだ?」
「わからない。お世話になりました」
テオは礼を言うと去っていこうとする。
「ちょっと待て。ちゃんと説明をしろ」
テオは振り返ると、答えずもじもじしている。
「とにかく、いったん家の中に入れ。出ていくにしても夜は危険だ」
ウィルはハーブティーとハチミツを出して、テオと向かい合ってダイニングに座る。ちぐはぐのコップが、あの日と同じように明かりに照らされている。
ウィルに促されたテオは、ぽつりぽつりと孤児院での生活を語り始めた。その内容は、ウィルが思っていた孤児院の生活とはまるでかけ離れていた。
――まず、真っ先にハーフエルフだといっていじめられた。いじめは孤児院の職員にわからないように行われた。
いじめっ子は表向きだけ素行が良かったので、院長や職員に言っても聞いてくれなかった。新入りのテオが新しい環境に馴染めないのを他人のせいにして悪く言っていると決めつけられ、連日、懺悔室で無理やり懺悔させられた。
それだけではなく、背中のアザを見られないようにしていたが他の子に見つかってしまい、院長と職員に告げ口されてしまった。
院長と職員には「生まれたときからあるアザだ」と言ったら、「生まれながらに呪われた子だ」と言われ、解呪の儀式を受けさせられた。
小さい頃、両親に教会へ連れて行かれ、同じことを何度も受けたが何も変わらなかったのでムダだとわかっていた。けれども、大人を怒らせたくなかったから素直に受けた。
やっぱりアザは消えない。毎日、何度も解呪の儀式を受けさせられた。
ある日のこと、
「呪いの印が消えない子をこのままここに置いておくと、この施設に危害が及ぶかもしれない」
「もしかしたら、すでに危害が出始めているかもしれない」
「追い出すしかない」
「孤児院としてはそんなことできない」
「では、神に生け贄として捧げよう」
「そうだ。神の元へ送るしかない」
という院長たちの話を聞いてしまった。――
「それで怖くなって逃げてきた。あそこで苦しみながら殺されるくらいなら、ウィルに一撃で殺してくれたほうがましだって思った。強く生きられないなら殺してくれるって言ってたから……」
「そうだったのか。大変だったな」
ウィルは、ほかにももっとかける言葉があるだろうと思ったが、それ以外にかける言葉が思いつかなかった。
「あした……朝……バディと出てくから」
テオはうつむいて言った。
ウィルはこれまでのテオとの暮らしを思い出した。たった十日前後の出来事だ。とくにこれといった楽しいことのない、普通の日々。でも、これまでの十三年間の暮らしとは違う日々。
このままテオをどこかに行かせたら、盗賊や孤児院の職員と自分は変わらない。本当にそれでいいのか。今の自分にできることは何か。ひとつしかない。
ウィルは決心して言った。
「今日からお前は俺の助手だ。ここで死にものぐるいで働け。そして強くなれ。見てのとおり金持ちではない。タダ飯は許さん。働けばメシと寝床は保証する」
「ここにいていいの?」
「お前が望むならな。その代わり、俺は厳しいぞ」
「やったぁバディ! これからもここで一緒に暮らせるね!」
テオはバディを両手で頭上まで持ち上げると、飛び跳ねて喜んだ。
二人と一匹の生活が再会したウィルは、戸惑いがありつつも、欠けていたものが埋まったような安心も感じた。
何の因果か、ハーフエルフの子どもと暮らすという決断を自ら下すことになるとは、ウィルは思ってもいなかった。
しかも、アンナが生きていれば、テオくらいの年齢の子どもがいたはずだ。生まれた頃から一緒にいるならともかく、いきなり少年まで成長した子と暮らすことに、正直なところウィルにはまだ抵抗はあった。
とはいえ、バディの尻尾がうれしそうに振られているのを見ると、そしてテオの笑顔を見ると、心が穏やかになる気がした。これまでにはなかった感情だ。
翌日、新たな一日が始まった。
「仕事に行ってくる」
ウィルがテオに声をかける。テオは不安そうな顔をした。
「大丈夫だ、夜までには帰ってくる。俺の家はここしかない。留守番、頼むぞ」
ウィルはテオに見送られながら、清々しい気分で町へ向かった。
以降、テオが家事や雑務をしてくれるおかげで、余裕をもってギルドの仕事をできるようになり、ウィルはこれまでより多くギルドの仕事を受けるようになった。
薬草の採取だけでなく、草刈りや薪割りなどほかの冒険者が「雑用」と呼びやりたがらない依頼も率先して受けた。
ウィルが依頼主の家に行くと、依頼主から嫌そうな顔をされるが、それでも黙々と仕事をこなした。家でじっとしているより充実感を得られた。
テオの替えの服も買ってやることができた。安い古着だが、ないよりはマシだ。
取り立てて特別なことなどない、ありふれた生活。でも、これまでとは違う生活。ウィルは貧しくても日々に充実と自信を感じるようになっていた。
ウィルがギルドの仕事で外出している最中に、テオ一人で町まで買い物に行かせるようにもなった。バディも連れて行っているらしい。
薫風の吹くある日の夕刻前。
ウィルがギルドの仕事を終えて帰る途中、誰かに呼び止められた。女性の声だ。
見ると、いつだったか声をかけてきた変な女が、性懲りもなく声をかけてきた。
隻腕の疫病神にわざわざ話しかけてくるなんてどうかしている。他の人に見られたら、自分の商売にも影響が出ることもわからないのか、とウィルは思った。適当にあしらって早く帰ることにした。